放任主義と過保護①

嘘つきは本当の始まり』の記事で自分の履き間違いを父のせいにして後ろめたかった話を書いた。
その状況を客観的に見ると、今は親の立場からの感覚もあるので「いや未就学児なら家を出る時に親が身支度をチェックしないと…」と思ってしまう。
5歳の私が自分が悪いと当たり前に思っていたのには理由がある。

両親は私に対して割と放任主義だった。
“主義”というワードがどうしても強い。
割と、としたのは放任主義にもレベルがあるんじゃないかと思ったからで『放任主義』をその先に育児放棄があるとしていいものなのかわからないけれど、仮にMAXがネグレクト(育児放棄)なら2~3割くらいだろうか。
…その辺りの基準は自信がない。結局のところ、よその家庭と比べたことがないので。
勘違いしてほしくないのだけど、放任主義=ネグレクトと思っている訳ではない。あくまでも究極、エスカレートする危険性或いは親の欠陥としてネグレクトという事態が起こりうると理解している。

何から書いていいのか判らなくなるくらい色んな想いがあるけれど、まず伝えたいのは私が両親から教わったのは『他人に迷惑をかけない』よりも『自分のことは自分でする』だったということ。
保育園当時はもちろんまだ親がしてくれている部分がたくさんあった。
ただ例えば保育園から小学校の頃は、友達の中には毎日三つ編みが交差するような凝った髪型をしていたり、服も上から下までコーディネートされたものを着ている子がいた。
そういうことにおいて、私の母は娘にあれこれ構うタイプの母親ではなかった。
私が小学校中学年まで両親は共働き(しかも正社員ではない)だったので、もしかすると物理的に無理なだけで本当はしたかったのかもしれない。
でも、事実として私は割と早くから自分で髪を結い自分で服を選んでいた。
そしてこれは手抜きという訳ではないはずだけれど、遠足などのお弁当は竹の皮に包まれたおにぎりだけだった。
“竹の皮”と聞くとあれだけど、当時が昔話みたいな時代だったわけではもちろんない…。
同級生のお弁当は可愛い絵のついたアルミ製のお弁当箱に、玉子焼やプチトマトが可愛らしく収まっていた。そんな時代に竹の皮…。
実は今でも竹の皮はおにぎり用にAmazon等で買えるもので、殺菌効果もあるらしく母なりの愛情だったんだろうとは思うけれど、子どもながらにというか子どもだったからこそ恥ずかしかった。母には言わなかったと思うけれど。

5年生までアパートに住んでいたと前にも書いたが、私が4年生の時父に大きな転機があった。
それを機にアパートから同じ町のマンションに引っ越すことになり、母は専業主婦になった。と言ったら、今までに出来なかった事をしてくれそうなものだけれどそうはならなかった。
父が在宅の仕事になり夜の方が集中出来たのか昼夜が逆転してしまい、なぜか母までそれに付き合い明け方に寝て昼頃起きる生活になってしまった。
そんな家でひとりお日様と共に生きていた私は、両親が寝静まる朝に自力で目を覚まし、朝ご飯を作って食べ、ゴミを出してから登校した。
その頃遅刻を咎められたクラスメイトが先生に向かって言い放った
「だって、お母さんが起こしてくれなかったんだもん!」
という言葉がちょっと衝撃的でその時の教室の光景まで覚えている。
その子が(だから私は悪くないでしょ)という顔だったのが更にびっくりだった。
「遅刻は起きられなかった本人が悪いに決まってる」という気持ちと、「あの子は親に起こしてもらえるんだ…」という気持ち。
親が起こしてくれたらいいなぁとも、もちろん思った。
実際、私は器用に全てこなしていた訳でもなんでもなく、起きられずに遅刻もしたし忘れ物も多かった。学校からのお便りを母が気にかけてチェックする事もなかったので、一度など弁当が必要な親子行事があったのに、お知らせを渡し忘れて私だけお弁当もなく1人だった。
あれは本当に大失態で、私のせいでまた周りの大人に「お弁当も作らず参加しない親」とか思われたんじゃないかと申し訳なくて、この件も結局親に言えなかったと記憶している。

……今までの記事でも何度か書いてきて気がついたけれど、子どもって案外親に話していない事が多い。子どもっていうか、もしや私だけ…?
瀕死のドブネズミを助けようとして噛まれた時でさえ、ジンジン痛む指にこっそり絆創膏を貼って我慢していた。もしかしたら破傷風や狂犬病の可能性もあっただろうと思うと本当に恐怖しかない。
親となった今は、娘たちには私のそんなところが受け継がれていないことを祈るばかりだ…。

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