父が他界して、半月以上経った。遺影を見ていたら、涙がぼろぼろ溢れた。あんな父だったのだもの、今更泣くわけがない、と思っていたのに、自分でも意外だった。命が消えるというのは、こういうことか。 酒好きで、飲んでは暴言を吐き、ときには母に手をあげた。髪を引っ掴んで振り回した。いろんなものが宙を舞った。母のお針箱は、何度バラバラになったか知れない。 その横で、私はいつも、泣いていた。高校生になっても、泣いていた。そんな私に母は「バカだね」と冷たく言い放ったことは、今も忘れない。
朝から用事で、たまたまある総合病院に行った。 駐車場には、救急車が、今日は出動がないらしく、暇そうに停まっているのが見えた。 そうだ、私はこの病院へ、救急車で運ばれてきたことがあるのだ。 忘却の彼方へ消えていた記憶が、よみがえる。 当時、重いうつ状態と躁状態を繰り返し、どうにも人生が辛かった。 死にたい思いを抱えつつも、周囲の人たちが、懸命に支えようとしてくれているのも痛いほどわかり、さらに辛くなってしまっていた。 死んではいけない、けれども生きているのも辛い。 両方の思い
待ちに待った、秋がきた! このまま、日本の気温は下がらないんじゃないかと心配するくらい、暑い毎日だったけれど、10月に入ったとたん、急に気温が下がり、涼しい風が吹き始めた。 高い空を見上げて、深呼吸。 ふぅーーー。 めいっぱい、体の中にも、秋を取り込む。 御所のベンチに座っていると、鳥の声や虫の音、人の話し声やさくさく砂利道を踏む足音などが、静かにそっと耳に届く。 なにより、みな、ゆっくりペースなのが心地よい。 京都盆地の中で、ここだけ時間がゆっくり流れている感じ。 い
2つ目のアカウントを作ったのだけれど、やっぱりこちらに戻ることにしました。あちらに上げた記事も、近々こちらへ移動する予定です。名前やプロフィールに悩み、別アカウントにしたものの、意味のないことでした。今後はこちらで書いていきます!
机の上って、気がつくといつも、ごちゃ〜っとしている。 とくに、紙類。 時間がなくて、とりあえずクリアファイルに挟んだ書類。 走り書きしたメモ。 プリントアウトした資料。 届いた手紙類。 出先でもらってきたパンフや名刺。 挙げたらきりがないほど、机の上には書類であふれる。 そんなゴタついた机の上を、今日はキリリと整理した。 人って不思議ね、机がごちゃついていると、気持ちもごちゃつく。 やらなきゃいけないことがあっても、ぜんぜん、やる気が起きないし、こころもザワつく。 試験前
バスで北大路バスターミナルまで戻り、遅いお昼ご飯を食べました。 もぅね、お腹がぺこぺこだったので、つい大きいシロノワールとたっぷりのコーヒーを注文してしまいました。 まだ時間があるということで、府立植物園の紅葉を見に行きました。 北大路バスターミナルから、植物園の北大路門まで、歩いていくことができます。 途中、加茂川の白鷺が優雅でした。 北大路門から入園し、北へまっすぐいくと温室があり、それを左手に見つつ通り越すと、そのさきに池があります。 池のほとりが紅葉の木でぐるっと
長い寄り道をしましたが、ようやく鷹峯に到着です。 まず、常照寺を拝観しました。 常照寺HP http://tsakae.justhpbs.jp/joshoji/toppage.html わぁ!綺麗な紅葉! 山寺風のこの門構えがたまりません。 これは吉野太夫が寄進した山門なのだとか。 門をくぐり、内側から外を見ると、今度は額縁で切り取られたような素敵な絵になります。 いいなぁ、やっぱりいい、京都! しかもこの贅沢をほぼ貸し切り状態で楽しめるとは!今日はここへ来た甲斐があった
さて、今宮神社へ来たからには、どうしても食べたい、食べておきたいあぶり餅。 ということで、お店に向かうには、ここ、東門を出てすぐなのですが、この朱塗りの橋と東門が、今宮神社のお気に入りスポット。 実はあぶり餅屋は、門前に2軒、しかも向かい合わせで建っています。 「かざりや」さんと「一文字屋和輔」さん。 2年前に「一文字屋和輔」さんのあぶり餅をいただいたので、今回は「かざりや」さんへ行くことに。 あぶり餅とは、きな粉をまぶした餅を串刺しにして焼き、白味噌のたれをまぶした和菓
ぽかぽかの秋の日差しに誘われて、紅葉狩りに行ってきました。 行き先は、京都鷹峯(たかがみね)。 えっ?鷹峯ってどこ?と多くの人の頭に?が浮かびそうな地名だけれど、金閣寺よりもう少し北のほう、と説明したら、あぁ、とわかってもらえるかしら。 もともと京都が好きで、特に寺社仏閣めぐりは、大学生のころからの趣味。 もう30年近くなるかなぁ。 あちこち出かける中で知識も深まり、京都検定2級も取得しました。 鷹峯といえば、 が見どころなのですが、今回、北大路バスターミナルから市バス
友達に、人生初のタロット占いをしてもらった。 占い歴は、中学生のころからだそうだ。 おもむろに取り出した、当時からずっと愛用しているというカードは、いい感じに年季が入り、魂が宿っているかのような存在感があった。 以前、タロットは、占う人によって解釈が違ってくる、と何かで聞いたことがある。 だから、どんな腕の良い占い師だったとしても、見ず知らずの人に占ってもらうのは少し怖く、今まで一度も見てもらったことがなかった。 でも今日、友達が取り出したカードを見て、少しびっくりしたけ
最近、こころから笑えない、と思う。 もちろん、友達や仲間と笑ったり、おかしいことが起きたら、一人くつくつ笑うことはある。 でも、なんか違うのだ。 気持ちが、暗い。 顔の表情が、消えてしまった。 原因は…ある。 家族との関係だ。 こころの通った会話が、できない。 うまくいっていない、と言いたいが言い切れない、それこそ微妙なラインにいる。 側から見たら、仲がよさそうに見える、がしかし、実情は…的な関係。 だからこそ、余計に辛いのかもしれない。 作り笑顔で、なんとかその場し
ハローワークに行った。 手続きが済んで、外へ出ると、スーツ姿の女性に声をかけられた。 「お仕事をお探しですか?」 はい、と言うと、さらに近づいて、 「わたくし、お仕事のご紹介をしております、〇〇と申します。お時間いま大丈夫でしょうか?」 大丈夫でもなかったけれど、どんな話だろう?とちょっと気になったので、はい、と言ってそのまま立ち止まり、話を聞くことにした。 渡された名刺を見ると、人材派遣会社の人だった。 工場での検品の仕事があり、すぐ紹介できるという。 検品かぁ…。 と
今年の秋は、天候に恵まれている。 基本、約束がない限り、ほとんど家から出ない、出たくない私は、たいてい部屋の中から暖かな日差しを眺め、あ〜いい天気だ、なんて言ってみたりしてぼんやりしている。 とはいえ、窓の外にひらけている世界に、本当に興味がないわけでもない。 道ゆく人を眺めながら、あの人はこれからどこへ行くのだろう?きっとこんな日差しを浴びて歩いていたら、気持ちがいいに違いない、などと思うと、閉鎖的な部屋にこもりきりの自分が、とても嫌な、つまらない存在に思えてしまう。
日記を初めて書いたのは、小学2年の2学期ごろだったと今もよく覚えている。 どういういきさつでそうなったかは覚えていないのだけれど、母親にサンリオのかわいい日記帳を買ってもらい、「日記をつけましょう。毎日続けることが大切です。」というようなコメントまで書いてもらったことはよく覚えている。 昔から、母親は、家計簿とともに毎日必ず日記をつける人だった。 だから、娘にも、書くということを楽しんでもらいたい、と思ったからかもしれない。 筆記具にもこだわりがあった。 母親はいつも万年筆
みなさん、noteはどこで書いていますか? 電車の待ち時間に、サクッと作成? 家でしっかりパソコンに向かって? それともお布団に入って、物思いにふけりながら? きっとみなさん、思い思いのところで創作されているのでしょうね。 ちなみに私は、家のマイデスクのパソコンに向かって書く派です。 子どものころから、机が大好き。 さながら「私のお城」というところでしょうか。 でもこの「お城」、なかなか管理が大変なのです。 少し気を許すと、紙類が山積され、机が使いにくいどころか、机の姿さ
初めまして。 これからnoteを始めるにあたって、私のことを少し知っていただきたくて、自己紹介を記します。 生い立ち・子どものころ 子どものころは、いわゆる優等生。 傍目にはとても恵まれた家庭に見えていたようです。 でも、父親から母親へのパワハラ、モラハラ、母親から子どもへのパワハラ、モラハラが横行。 ものごころついたときから、私には、消えたい、死にたい、という思いがこころの奥にありました。 ・友達関係 小学校高学年になるにつれて、友達との人間関係がうまく築けなくなっ