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珠美の島〜18年の時を経て〜11話

1963年8月17日
午前11時過ぎ
200人程の乗客を乗せ
船は出航した

約1時間後
チービシと呼ばれる
波の荒い難所で
高波に襲われたみどり丸は
あっという間に沈没した
SOSを出す間もなく

中学生だった母は
船に乗るため
泊港まで行ったが
「もういっぱいだから」
と乗船を断られ
諦めて家に帰ったらしい

母いわく
定員を越した多くの人々を
船底にまで乗せていたそう
なのでその時は
自分は乗せてもらえなかった事に
不満を持っていたと

事故の一報が伝わったのは
約4時間後
夕方になってからだった
暮れゆく中での救助活動は難航
取材に行ったはずの新聞社
そしてアメリカ軍も
救出に多大な力を貸してくれたが
乗客の約半数が
死亡、行方不明となった

泳げない母が
乗っていたらと
想像する

かなりの確率で
今ここには
いなかったかもしれない

その時
みどり丸とは別に
自分の船にお客を乗せ
久米島に戻ってきた
宗形さんのお父さん

「なんでお前は何もせず帰ってきた」
と島の人に責められたと

彼は自分のやるべき仕事を
全うしただけなのに


宗形さんは
みどり丸の慰霊碑が
島にある事を教えてくれた

「でも段々と誰も行かなくなったから
 今あるかどうかはわからないよ」と

誰も訪れなくなった石碑は
存在しない、に等しい

時間と共に
事故の記憶も慰霊碑も
風化していく

どんなものでも
いつかは消えてゆく
それは
自然の摂理ではあるけれど

自分が生きている
ほんの束の間くらいは
祈りを届けたい
道半ばで散ってしまった思いに

ほんの少しでも
何かの力になれるような
そんな
時間と日々を
折り重ねて行こうと

思う












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