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人生を創造する文章術

「文章を書くことで心が安定するのはなぜか?」

〈一般の人に文章を書かせること〉についてこの8年近く試行錯誤してきた。文章講座を開催した当初は、受講者の文章が上達すればいいな、と思って楽しく書いてもらう工夫に苦心した。

うまい文章とはどういう文章か?
「個性的で自分らしい文章」「テーマが明確でリズム感がある」「視覚化ができていて情況がありありと浮かぶ」「五感で書いている」「感動が伝わってくる」……いろいろあるけれども、大胆にざっくりと言い切れば「リアリティがある文章」ってことだと思うに至る。

この「リアリティ」って奴を、講座ではかなり意欲的に追求してきた。時にゲームや、神秘的なセレモニー、歌、絵画、動画を使ってリアリティの神様を受講者に降ろそうとしてきた。
リアリティとは物事を写実的に描写する能力ではない。幼児のようなつなたい言葉を使ってもリアリティは生み出せる。むしろシンプルなほど強烈だ。なぜなら、単純なほうが読者の想像力をかきたて、読者との共同作業で脳内にイメージの楼閣を立ち上げることができるから。

とりわけ、受講者が自分の「魂の叫び」に触れ、それを言葉にした時のリアリティは凄まじい。絶対に真似できない唯一無二の文章を書いてしまう。
リアリティのある文章は固有のリズムと音程を持ち、いつか聞いた故郷の歌のように読者のノスタルジーを掻き立て、読後感もすばらしい。第第1稿では全くリアリティのなかった文章が変身し、ぐいぐい胸に迫ってくるその瞬間は快感だった。すげえ、と思った。人間ってすげえ、人間の可能性ってすげえ……。

魂の声を言葉にした時の文章には自動的にリアリティがくっついてくる。潜在意識に潜んでいた過去の記憶、その時の感情や情動が記憶と友に開放されると、フリーズドライされていた記憶から湯気が立ち香りと共にリアリティが現れる。

誰もが、見事に原稿用紙にリアリティを立ち上げる。そんなプロにしかできないようなことを、ド素人の受講者がやってのけることが、一種の快感だった。
奇跡は、毎回の講座で起きる。最初はまぐれだと思った。

記憶回路を遡って、あの日あの時に戻った受講者は、神の視点……とも言うべき第三の目でもって、過去の自分記述し始める。左脳と右脳が調和した見事な芸術活動、テーマを捉まえ記憶にアクセスしたとたん、誰もが猛烈な勢いで書き始める。その圧巻の集中力で場の気圧は一気に上昇する。

密度の濃い場ができ上がると、おのおのの文章はメタモルフォセスし、最初に書いた文章から想像もできないモンスターな作品に昇華していく。そんな変容に対して案外と筆者本人が無自覚なのも面白かった。

クリエイティヴ・ライティングの執筆時間は20分〜30分だ。そんな短時間で、文章のプロでもない素人が〈リアリティ〉でもって体験を作品にしてしまう。何がこの場で起きているのか? 

講座を始めて今年で8年になる。多くの経験を積んで最近になってやっと、現場で起きていることを言語化できそうな気がしてきた。

あの場で起きていることは、人間の魂に関わることだ。
文章を通してとてつもない浄化や、破戒が起きる。過去がハリボテになり崩れ落ちていくあの瞬間は、講座を体験した人ならわかるはずだ。激震が起きて地割れが起り、皆が遭難しそうになりながら、必死で人生を綴る、あの貴重な張りつめた瞬間。

人間が文字を発明し、それを使って自在に文章を書くようになった歴史は、案外と浅い。一般人が文章を書くようになってせいぜい500年だ。まだまだ脳は文章を書くことに慣れていない。

書くことには伸び代がある。書くことにはまだまだ隠された可能性が秘められている。もう少しそこに踏み込んで行きたい。

これまであまり認めたくはなかったが、クリエイティブ・ライティングは確かに精神的なトラウマをサポートする力があると思う。その可能性も真剣に見極めて、育てていきたいと思っている。

2月と3月に少人数のクリエイティヴ・ライティング(創作文章講座)を開催します。詳細はこちらのホームページをご覧ください。久しぶりにリアルとオンライン両方を開催します。
https://www.cwc-japan.com/


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