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「働かないおじさん」は、未来のぼくであり、あなたなのだ
ピラミッド構造を持つ階層社会にあっては、その構成員が逃れられないある法則が存在する。
ぼくたちは一人として、その法則の支配から逃れられない運命なのだという。
その法則とは、ピーターの法則である。
すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達するというのが、ピーターの法則だ。
およそ50年も前の1969年、南カリフォルニア大学教授の教育学者ローレンス・J・ピーターが、この法則を提唱した。
ピーターによれば、能力主義的な階層社会のあらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められるという。
では、実際に仕事が進むのはなぜか?
仕事は、まだ無能レベルに達していない者によって行われている。
まだ無能レベルに達しておらず結果を出している人の中には、無能レベルに達してしまった人を"会社のお荷物"のように思う人がいる。
20代〜30代の若者から「働かないおじさん」問題が厳しく糾弾される昨今。
もらっている給料とその人の働きが釣り合っていないと見なされるや否や、「働かないおじさん」という烙印が押されてしまう。
確かに「働かないおじさん」は存在する。おばさんも存在するのだが、昇進する多数がおじさんであるため「働かないおじさん」と呼ばれるのだろう。
仕事中にネットサーフィンをするおじさん、トイレは必ず勤務時間内にすると決めているのではないかと思われるおばさん。
しかし、こうした「働かないおじさん」は、能力があるが故に要領よく手抜きをする人と何が違うのだろうか?
無能さを確かめるリトマス試験紙
ピーターによれば、無能レベルに到達したかどうかを見極める方法は、「この人は何か有益な仕事を成し遂げつつあるか?」と問うことだという。
答えがイエスであれば問題ない。
答えがノーであれば、無能レベルに到達しているということだ。これを終点到達症候群と呼ぶ。
先の問いは、無能さを確かめるリトマス試験紙として機能する。
ただ、話はこれだけでは終わらない。
わからないということが答えであるならば、それは問うたあなた自身が無能レベルにたどり着いているということなのだ。
このことを理解している人は、評価する相手の能力について、自信を持ってイエスと言えるのではない限り、基本的にはノーと答え、賛同者を募ることになる。
「わたしのお眼鏡に適う人以外は、みんな無能だ」と考えている以上は、そう考えている「わたし自身の無能さ」を問われずに済む。そして、独りよがりだと非難されてはたまらないので、賛同者を募るというわけだ。
賛同者もまた無能だと思われないようにするために、糾弾者に迎合するという合理的な選択を行うことになる。
だから、「この人は何か有益な仕事を成し遂げつつあるか?」と問うだけでは無能レベルの判定はできない。
相手の実態、具体的な症状も合わせて見なければならないのだ。
終点到達症候群
無能レベルの到達を示す終点到達症候群には、次のような具体的な症状がある。
❶忙しさアピールをしがち
✔︎電話依存症:「同僚や部下と満足に連絡がとれない」と愚痴をこぼす。
✔︎書類溺愛症:目を通すこともない書類と本の山で机をぐちゃぐちゃにしている。
❷仕事ができるアピールをしがち
✔︎書類恐怖症:デスクの上に書類や本があると耐えられない。仕事を丸投げすることで、整理整頓ができているように見える。
✔︎デスク恐怖症:仕事場からいっさいの机を撤去する。階層の最高位にいる人にありがち。
❸目的よりも手段を重視しがち
✔︎ファイル偏執症:書類の整理や分類をとことんやらないと気がすまない。
✔︎フローチャート狂信症:どんな些細な仕事でもフローチャートに従って処理されるべきだと言い張る。
❹ステータスアピールをしがち
✔︎巨大デスク依存症:同僚よりも大きな机を持つことに異様な執着を示す。
✔︎建造物執着症:建造物に対して異様なまでの執着を見せる。
❺見せかけの余裕をアピールしがち
✔︎シーソー症候群:自分の地位にふさわしい決断がまったくできない。「民主主義の手順」とか「先々をにらんだ視点にたって」などと正当化する。
✔︎惰性的バカ笑い症:仕事を放ったらかしにして冗談を連発する癖が止まらない。
❻人間関係が悪化しがち
✔︎自己憐憫症:苦労話とぼやきが多い。自分は現在のポストの殉教者だと嘆きながら、その地位を別の人間に明け渡すようなそぶりを見せない。
✔︎難癖症:部下を常に不安定にしておくことによって、自分の危うさを覆い隠そうと努める。
✔︎外見偏屈症:仕事にはまったく関係のない部下や同僚の身体的特徴をあげつらい、バカらしい偏見をもって接する。
いかがだろうか?
これはあの人のことだとか、自分にも当てはまるものがあるなと感じるのではないだろうか?
現実を直視してもらえれば解決するか?
無能レベルに達した場合、うまい対処法はあるのか?
すぐに思いつくのは、無能レベルに到達したことを素直に認めることだ。
しかしながら、無能=成果を出せていないことだと思い、成果を出せていない=努力が足りないと思い込むなら要注意である。
現実を直視することには、無能を怠惰と同一視し、ハードワークを続け、不幸・不健康になるおそれが伴うのである。
では、どうすればいいか?
創造的無能のすすめ
ピーターは、創造的無能のすすめを行なっている。
創造的無能とは、初めから昇進の話を持ち掛けられないように工夫することであり、昇進するには何かが不足していると見せかけることである。
そんな周りくどいことはせずに、打診された昇進を断ればいいのではないか?
しかし会社の昇進というのは複雑な問題だ。
家族は昇進を望んでいる場合もあるだろうし、その後の冷遇を考えると幸福で健康になるとは限らない。
だから創造的無能がすすめられているのだ。
創造的無能こそが昇進を避けるための確実な方法であり、創造的無能は昇進拒否に勝るのである。
では、創造的無能とは具体的にどのようなことか?
一言で言えば、自分が無能レベルに達していることを周囲に印象づけることである。
具体的には、変人ぶりを発揮する、一匹狼となる(無愛想な変人ぶり)、外見を演出するということが挙げられている。
ただし、昇進を回避したいことを悟られてはいけない。
「おかしいなあ。出世する人間と、取り残される人間って、いったい何が違うんだろう?」と独言て、上司が心の中で「あなたみたいな変人、出世候補にならないよ」と呟くくらいの演出が必要なのだ。
創造的無能への疑問
でも、ここで一つの疑問にぶつかる。
ピーターの法則から逃れられる人は一人もいないはずだった。
みなが現在のポストで優秀であると認められれば、必ず次のポストへの昇進し、無能となった段階で昇進はストップするのだ。
だから、みな必ず無能となるのだった。
だとすると、創造的無能もまた終点到達症候群の一つと言えるのではないか?
出世したいように見せつつ、出世できないと言う状態は、周囲からはすでに無能と見なされていて、本人の意思とは裏腹に評価が得られていない可能性もある。
自己評価と他者評価のズレだ。
このことを理解するためには、「無能」を整理しなければならない。
すなわち、「絶対的無能」と「相対的無能」に整理して考えるということだ。
絶対的無能とは、自他ともに認める無能だ。この場合、自己評価と他者評価が一致している。
もう一方の相対的無能とは、他者の評価によって認められる無能だ。この場合、自己評価よりも他者評価が厳しい評価となるが、本人にとってはそれが受け入れ難いこととして感じられる。
そして創造的無能というのは、他者の評価を受け流しつつも(あるいは、受け入れつつも)、主観的にはいまの仕事で自分の役割が果たせていると実感し、いまの仕事に満足している状態を意味している。この場合も、自己評価よりも他者評価が厳しい評価となるが、本人にとってはそのことが喜ばしいこととして感じられる。
いまの仕事に満足しているが、しかし同時に、次のレベルの仕事に進むと満足度が低下することも理解している。だから、次のレベルの仕事に相応しい人物だと思われないような工夫をする。
やっぱり面倒くさい。
だから創造的無能のすすめは実践向けではない。
ピーターの法則は、どちらかというと労働者よりも、管理者にとって、管理上の注意点について活用されることが多い。
管理上のポイントは、昇進すると自分のやりがいと能力が低下することがわかっており、いま以上のポストに絶対に昇進したくないと考えている人と、それ以外の人への対処法を分けて考えておくことだ。
昇進をしたくない人への対処法
普段の働きぶりに感謝すること、労をねぎらうこと以外は、管理者は特に何もしなくてもいいだろう。
ただ、昇進をしたくない人の中にもグラデーションはあって、昇進をしたくないことと昇給がなくてよいことはイコールではないと考えている場合もある。むしろその方が多いと思われる。
会社としては、昇進させずに、昇給のみとする制度を整備することが検討できる。
昇進する人の不満をコントロールするためには、昇給のみの人と昇給のピッチに差をつけることも合わせて検討できよう。
昇進をする人への対処法
昇進を積極的に望む人や消去法的に望む人、成り行きに任せる人に対しては、以下の対処法が提案される。
❶昇進前に訓練
昇進する前に訓練をすることで、次のポストが相応しいかどうかを見極めることができる。昇進後のポストが昇進者の終点か否かを判定するというものだ。
❷階層別の教育制度を整備する
昇進後の対応として会社がとる方法としては、階層別の教育制度を整備するということがある。有能であればさらに昇進することになるし、無能であれば少しでも無能さが表面化することを先延ばしすることができる。
❸降格制度を整備する
それでもいつかは無能さが顕在化し、誤魔化しがきかなくなるときが訪れる。そのときのために降格制度を整備しておくことも必要だ。減給することになるかもしれないが、もともとはその給料で降格したポストを担っていたと考えれば、理解できない話ではないだろう。
❹ポストをなくす
究極的には階層化するポストをなくすということも選択肢のひとつにはなる。ティール組織がそうしたイメージの代表だ。ティール組織では、トップはあくまで対外的な顔としての機能しかもたない。とはいえ、会社の規模によっては、この選択肢を選ぶことは容易ではない。
他者と比べなくて生きていける社会の創造
さて、長くなってしまったが、ここまでの話はピーターの法則について一般的に語られる内容と大差はない。
だから、もう少しだけ深掘りして考えてみよう。
そもそも人はなぜ無能になるのか?
それは他人と比べられるし、比べるからだ。他人との比較の中に、有能・無能という線引きは横たわっているのである。
したがって、人を無能レベルに追い込まないための根本的な解決策としては、他者と比べなくて生きていける社会を創造することである。
階層化社会では、相対的に優秀だと判断された人が、出世していくという構図をとる。他者と比較されている。
出世した先で自分の無能さに気づいたとしても、上司や同僚や部下の評価を気にして、さらには家族や友人の評価を気にして、自らの無能さを受け入れることができない。比較される自分もまた、自分と他者を比較しているのだ。
この状態は非常にきつい。きついからこそ、もっと給料を求める。高い給料をもらうようになると、自分よりはきつい状況にないと思われる人や同じような境遇の人と比較して、もっと高い給料を求める。
こうした負のループから抜け出るためには、相対評価から抜け出すことが必要だ。
他人の価値観ではなく、自分の価値観で納得のできることをやる。絶対評価への転換だ。
きつくて意味がないとか、自分にはふさわしくないとか思いながら働くよりも、楽しかったり、天職だと思える仕事に従事する。
そのほうが、他者にとっても価値あるものを創造することができるだろう。
創造的無能などと言ってわざわざ無能状態を創造しなくてもいい社会。個人の創造性を他者と比較することなく発揮できる社会。そんな社会が創造できれば、ぼくたちはピーターの法則の呪いから解放されるのだ。
上司が無能だって?
愚痴りながらも、受容してあげてほしい。
能力主義的な階層社会においては、あなたもいつかは、あなたが想像している以上に無能な上司になるのだから。
「働かないおじさん」は、ピーターの法則の最終形態である可能性が高い。その意味で、「働かないおじさん」は、未来のぼくであり、あなたなのだ。
であるならば、天に唾を吐くことよりも、一人ひとりが、いきいきと働ける環境をいかにつくるかを考えることにエネルギーを注ぐことが賢明だ。
ピーターの法則を後ろ向きの管理手法獲としてではなく、前向きな環境改善へのヒントとして活かすこと。
これこそが、ピーターの法則の生産的な学び方ではないだろうか?
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