新作落語の革命家は空恐ろしい本を残している。
「落語家の通信簿」三遊亭円丈(祥伝社新書)
三遊亭円丈を最後に見たのは3、4年前、喬太郎などが一緒のイベント寄席だった。
病み上がりで衰えていく自分への苛立ちを本気で悔しがり、笑いに変え、最初はやや戸惑いのあった会場を、見事に自分の世界に引き込んでいった。
今となれば本当に観といてよかった。
現役の同業者が同業者を批評するということ。
福田和也の「作家の値打ち」は当時の文学界で大いなる物議を醸した。批評家が作家を忌憚なく評するという当たり前のことですら波紋を広げるのに、現役落語家がそれやっちゃ大変だろうと、こっちが心配になったのが「落語家の通信簿」である。
なんたって円丈は「御乱心!」(改訂版「ろんだいえん」)を書いた人である。書きたいことを書くだろう。
そして読んだらほぼ書きたいことを書いている。
私情含みはそれがわかるようになっているが、いやはや。
他人を批評するということは自分の落語観を映す出すこと。
円丈は名人とうたわれた師匠の圓生から古典の基礎を叩き込まれた三遊亭の本流である。
しかし古典ではなく、新作落語の創作に身を捧げた。
いくつもの名作を生んだし、多くの後塵の道を開いた。
その偉大な業績にふさわしい名実を得られていないのは、落語協会分裂に巻き込まれて経歴的にとばっちりを受けたことと、自らの正義と落語観を守るためなら(この本のように)言いたいことは言ってしまうスバラしい人柄のせいかもしれない。その円丈の不器用さを愛した人は多い。
「落語家の通信簿」からみる円丈の好み
・立川談志(特に晩年)について、世の神格化傾向には疑問を持っている。
・立川流には厳しい。立川流というのは寄席を離れてからの弟子たち。
なによりも心もちを大切にする柳家、しっかりと立ち居振る舞いやしぐさを身につけて心情を描くのが三遊亭と言われる。寄席育ちの芸を大切にする三遊亭から見ると思うところがあるのだろう。
・新作派にはやや甘い。しかし後輩たちも自分と五分のライバルという意識がむき出しな意見が面白い。
・当り前だが志ん朝を高く評価している(志ん朝ファンとしてはうれしい)
「笑点」メンバーについて少し
落語を語るときに「笑点」の存在を無視することは難しいだろう。
本の中にも笑点メンバーの項目立てがしてある。
やはりポイントは歌丸だろう。
笑点はもともと新作落語の落語芸術協会が主で、桂歌丸も新作落語で売り出した。面白いし知名度も高い人気落語家だ。
ただ晩年、本人が古典落語に取り組み、円生にならばんとするような発言もあり、また日本テレビがそのあたりを美談として伝えるに至って、落語家の本流を歩む古典落語の名人的な歌丸像が作られていった。
モヤッとした落語好きは多かったと思う。
円丈にとっての歌丸は”笑点に命をかけている人”である。
こういった意見は大切だと思う。
さてさて、ついでに「笑点」を卒業した三平は…
まず、目次にあるように「志ん生」ファミリーと「三平」ファミリーという並べ方が滋味深いのだが、三平、正蔵については非常に淡白である。
三平に関しては、知的でナイーブで、性格が良いと人間的に認めているが、高座をきちんと聞いたことがなく、資料映像や音源を探したが見当たらなかったので触れていない。
本が出版されたのが2013年から9年後の今年、2022年の正月にamazonで林家三平を検索すると、いまだ高座の映像や音源がない。
そこなんだよなぁ~と思う。
テレビ的なタレント落語家はいても良いのだけど、根岸には独特の環境で育った期待があり、いろいろ言われるだろうけど、いつ大化けするか楽しみにしている人も少なくない。だって並の家庭で育ったら身につかない、根岸の兄弟しかもっていない江戸落語のDNAがあるはずだもの。
作品と呼べる高座に挑戦して欲しいものだ。
そんないろんなことを思わせる。
嗚呼、もう円丈がいないって、つまらないなぁ。