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野球本の世界は迷宮界なのだ。

野球関連の本を整理していて思ったこと。

 野球に関する本を整理しながら、これはどうしたものかと思っている。
 前に本好きの集まる棚貸しの古書店で野球本を出してみたら、ピクリとも反応がないことに驚いた。
 気づくべきだった。
 私は知っていたのだ。
 野球の本を資料として集めているのは、そんな場所には来ない特殊な人々であることを。
 長らくスポーツにかかわる仕事をしていたので、野球の取材も多かったし、マニアックなファンたちにも多くのことを教えられた。
 野球を調べ資料を集める人々には、それぞれに研究対象があり、球団や選手や野球史、技術の変遷など細分化されていた。
 監督という分野でいえば、プロからアマチュア学生野球にまで分かれ、例えばそのなかでも巨人軍の監督論を掘り下げるという具合だ。
 細かすぎる迷宮。
 そんな需要に向けた本は普通のところでは売れない。

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「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」が評判も良いし売れているらしい。

 これまで多種多様な野球の本が発売されてきて、かつてはベストセラーも多く、古本としての質量と市場のマッチングが難しい。
 ベストセラーといえば「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」が評判で、おそらく中日の歴史や監督論を研究する人には貴重な資料となるだろう。ただ、いかんせん売れすぎているので古書としての価値は限られてくる。
 そして自伝評伝やこのような本はノンフィクションとはいえ、ある程度は本人寄りの内容にはならざるを得ない。
 別視点から描かれた資料と合わせ読む必要が出てくる。
 落合博満は野球IQがとてつもなく高く、素晴らしい実績を残しているから、そのインサイドストーリーには説得力があり、内容への評価も高い。
 ただし後世の研究では、プロ野球の流れ、球団史や論、同様に監督論を含めて俯瞰するようになるので、また別な落合監督像が出てくるのかもしれない。

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こんな監督論もあるよという少しマニアックな話。

 落合博満はモダンで優れた監督であったが、優秀な監督というのは一つのタイプだけではない。
 数多くある監督のタイプ分類にはこんな分け方もある。
 ①昭和の大監督型
 プロ野球は元々がフロントも現場も六大学野球の仲間たちを中心に立ち上がったから、互いに遠慮がなく球団社長よりも球団運営の主導権を握る監督もいた。
 球団そのものを変革し創造するGM型の監督で、長期的に見据えた補強育成も一貫しているので組織が堅固。
 藤本定義、三原修、水原茂、鶴岡一人、根本陸夫などがそうだった。
 ②チーム野球マネジメント型
 チームに野球スタイルを植えつけて強くしていくタイプ。
 チームカラーを作り、継承させていくべき基本の闘い方を叩き込み、監督が変わった後も崩れにくい伝統のもとを根づかせる。
 多くがこのタイプを目指し、代表的なのは川上哲治、広岡達朗、森祇晶、野村克也など。
 ③やりくり采配起用型
 まさにプロの監督、与えられた素材をうまく使いこなす手腕で、とにかく結果を出していく。
 球団に後ろ盾がいなかったり、短期的な成績アップを義務付けられた場合はこうなる。ただしチーム作りに長期的な視点がないので、一時は良くても浮き沈みは激しい。
 初期の仰木彬や横浜の権藤などがそうだった。

 これでいけば落合博満は②よりの③。
 おなじ中日でいえば星野仙一はプロ野球界最後の①。
 タイプは違うがどちらも超一流で、采配面で卓越した落合は試合を追いかけるファンの視点に立てば、優れた監督の印象が強い。
 星野の関わった球団は、長期的な視野と球界内政治力を駆使した戦力補強がなされているので、辞した後もしばらくは戦力低下しない。しかし、その辺の評価は監督業を越えているので、ファンからはなかなか得られにくい。

 最終的にどのような評価になっていくのかは歴史が決めていく。
 そのためにも野球の本を取っておくのは無駄じゃないと思うのだが…どう?


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