どうして日常のモヤモヤをここに書くのか。

私という人間について
私は結構外からの刺激によって心が大きく揺れ動いてしまうタイプです。
子供の頃から、家族や周りの親しい人たちに
「考えすぎ!」
なんて言われることが多かったです。
他人の些細な一言や何気ない言動に悶々とすることがよくありました。
悶々としている間は、同じところをぐるぐると回っているような感覚です。
「考えてもしょうがないことは考えるのをやめなよ」
なんて言われても、やめ方がわからない。
だから、人と関わることはエネルギーの要ることでした。
じゃあ、1人が好きかと言われると、そうでもない。
人と関わることは好きで、どんな人からも学ぶことがあり、学ぶ姿勢を持ち続ける大人になりたいと思っています。

人と関わるのは疲れるけど人と関わるのが好き、
なんて矛盾した不器用な私ですが、
家族や学生時代の友人に恵まれたおかげで
自分なりに充実した日々を過ごしていました。

社会に出てから感じた生きにくさ
社会に出て仕事を始めてから、「生きにくいな」と思うようになりました。
バックグラウンドや価値観、常識が異なる人たちの言動に心が揺れ動いてしまうことがありました。
私にとっては「ありえない」非常識な言動を取る人たち、
一つ一つの言動に影響されて、思いつめて、どんどん暗くなっていきました。
(やりたい仕事ができているのに・・・)

動じない自分でいる
先輩からあまりにひどい言動を受けた時、上司に相談したことがありました。
しかし、その時に上司に言われたのは、
「うーん、○○さん(私)は、繊細な人だからね。
 考えすぎない方がいいよ。
 みんなそこまで考えてないよ。」

また、考えすぎ、か。
確かに、いちいち反応していたらキリがないけれど、無意識に考えてしまう。
そこで、改めて「考えすぎる自分」と向き合ってみようと思いました。
 なぜ考えてしまうのか、
 考えて状況は良くなったのか、
 考えない時の自分は何をいているのか、
色々な方向から内省し、スルースキルの本も読み漁り、
強靭なメンタルの持ち主にもアドバイスをもらい、
ちょっとのことでは動じないでいられるようになりました。(心の筋トレ成功)

2つ意識していることは、
1 自分の中に優先順位(軸)を持ち、大切でないコトについては考えないこと
2「ふつう」「常識」は人によって違うから、自分と違う人に対して「間違っている!」とは言い切れないということ

これを意識するようになってから、少しだけ視野が広がって、
考えすぎることが減りました。(完全になくなったわけではないですが)

それでも、やっぱりモヤモヤすることも
当初と比べてだいぶ楽になりましたが、
自分の意識をちょっぴり変えただけなので、周囲の環境は同じまま。
私にとっては「それはありえないでしょう!」とか「いやいやいやいや!」と
ツッコミを入れたくなるようなことが多々あります。
表面上は冷静に対応しても、内心「なんだそりゃ!」と毒づくこともあります。

言い表しようのない感情、
その名もモヤモヤ、
このモヤモヤたちが心の中に溜まってきました。
溜まったものは吐き出せばいい、
簡単なことですが、問題はどこに吐き出すか。

職場の人間?家族?友人?
職場の人間にモヤモヤを伝えた場合、
それはもしかしたら陰口になってしまうかもしれない。
相手を傷つけることが目的ではないのでこれはよくない。
家族や友人にモヤモヤを伝えた場合、
親身になって聞いてくれると思いますが、モヤモヤ話ってリアルで聞くと愚痴を聞いてるの一緒なので疲れますよね。
ということで、却下。

そこで思いついたのが、ここです。

Noteに書く理由
リアルではスルーすれば済むだけの話、
でも、モヤモヤするというこの気持ちを
誰も傷つかないように吐き出すのに調度いいと思いました。
(もちろん個人が特定されないよう配慮しつつ書いています。)

それから、リアルでモヤっとする状況にでくわしたとき、
(お!これはネタになるー!喜)
と、軽く受け止められるようになるとも思いました。

あわよくば、通りすがりの誰かが私のモヤモヤ話を読んで、
クスッと笑ってくれたらいいなーとも思っています。

ということで、
文章やイラストなどで日々のモヤモヤを発信していきたいと思います。

モヤモヤ話が尽きたら、日常に起きたちょっといい話なども書けたらいいな。
でも、モヤモヤネタはまだしばらく尽きません。

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