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【創作小説】カルボナーラに贈る卵

「だって寂しかったんだもん」

いつか君と観たラブストーリー。

主人公の男が浮気をされて、女に弁明されるシーンとまったく同じシチュエーションで、全く同じセリフを聞きながら、自分が同じ立場になるとはなあ、とぼんやり思っていた。

寂しかったのだろうがなんだろうが、すでに違う男を知った君。

毛布にくるまって、ぽとぽとと涙と、カルボナーラソースを零す君。

シーツは涙と、クリーム色の液体を受け止める。


僕が大好きだった君の髪ーー君のパスタは、どこぞの男の手によってカルボナーラに味付けされていた。

彼女がしゃくり上げるたび、ソースはぼとぼとと落ちて、じゅる、と麺が擦れる音を響かせた。



ーーー ーーー ーーー


髪を見れば、その人がどんな人なのか大体想像がつく。

髪が絹の女性は丁寧な生活を送っていそうだなと思うし、針金の人はお固そうだなと思うし、たまに髪が蛇の人がいるけどあんまり近づかないでおこう、と思う。

本当に色んな髪の女性がいるけど、中でも僕が惹かれるのは、柔軟性があってどんな味にもなれる、だけどちゃんと自分の芯はしっかり持っているパスタの女性だ。


君を初めて見たとき、こんなに綺麗なパスタを持つ女性がいるのだと目を奪われた。

しなやかで、コシがあって、艶やかで。

とても美しくて綺麗で、美味しそうな君に僕は一目惚れしたんだ。

僕はどうしても君に近づきたくて、何度もアタックして、手作りソースをプレゼントして、ようやくOKをもらったんだったね。

君の髪は本当に素晴らしいパスタだから、どんな味付けもモノにしてしまう。

まっすぐでなめらかな、絶妙な太さとアルデンテ。

ナポリタンでもボロネーゼでもボンゴレでもたらこでも。

僕の作るソースをいつも纏ってくれた君。

どんなソースも本当によくにあっていて、とても綺麗だった。

だから、今度は何のソースがいいかなって。

そうだ、カルボナーラなんてどうだろうって。

君も、カルボナーラもいいなーと笑っていて。

思いの外うまくできたカルボナーラを君はとても気に入ってくれて、

それからというもの、記念日は君をカルボナーラで味付けすることが僕たちの約束になった。

僕たちのお付き合いは順風満帆に続いていた。

けど、年月を重ねるうちに少しずつすれ違いとか、もっと言うと飽きなんてものが出てきてしまうのが悲しいかな恋人という関係には付き物だ。

例に漏れず倦怠期を迎えた僕たちも、心の距離が空いてきていることはわかっていた。

君が以前ほど笑顔を見せなくなってきていることも、ましてや僕自身、君のパスタに触れなくなっていたことも。

そんな状態が続いていたとき、本当にふとした些細なことがきっかけで、ギスギスした空気も相まってケンカをした。

気が立っていた僕は謝りたくなくて。

倦怠期を言い訳に、その後連絡をしようともしなくて。

このまま自然消滅してもいいやと半ばヤケクソになっていた。

数日後、仕事帰りに立ち寄ったスーパーでふと市販のカルボナーラソースが目に入った。

自然と手に取っていて、それから君を思い出した。

思い出した、と言うくらい、僕はまったく君のことを考えていなかった。全然君と向きあってなかった。

一目惚れしたはずの君のパスタを、なんで見向きもしなくなってしまったんだっけ。

僕の作ったソースで喜んでくれた君を忘れてしまっていて。

しばらくカルボナーラなんて食べていなくて。

急に後悔して、とても寂しくなった。


翌日、君の職場前で仕事が終わるのを待った。

直接ちゃんと謝りたい。君と会って話がしたい。

そろそろ終業時間かと、行き交う人の中で君の姿を探した。

ビルから出てきた君を見つけて、緊張して、一歩踏み出して、声をかけようとした、けど。

君の隣には僕の知らない男がいて。

たぶんただの同僚なんだろうけど、僕がしばらく見ていなかった君の笑顔は、そいつに向けられていて。

立ちすくんでしまった僕は、黙って君とそいつが同じ方向に歩いて行くのを見届けた。

君のパスタが、輝いて見えた。

君を疑いたくなくて、きっとたまたま同僚と帰るタイミングが重なっただけだと言い聞かせた。


数日後、もう一度僕たちがやり直せるようにと、僕はふたりの特別なカルボナーラを作ろうと思って、材料を買い込んで彼女の家にサプライズで向かった。

でもやっぱり、こんな時にサプライズなんかするもんじゃない。



ーーー ーーー ーーー

冒頭に戻る。

合鍵を使って玄関を開けて、目に入ってきた光景は君の靴と、男物の靴。

本当にこんなにお約束なんだなと他人事のように思った。

そこからももう見事にお約束。

寝室のベッドには、たぶん先日見かけた会社の同僚っぽいやつと、パスタにカルボナーラを纏った君がいた。

なんとなく浮気の予測はついていたから、変に冷静だった。

けど、カルボナーラにされた君を見て、僕たちふたりの大事なカルボナーラを簡単にそいつに許してしまうんだ、と思った瞬間、どうしようもない空虚感に襲われた。


今日買ってきた材料は、いつもよりちょっといいやつなんだよ。

君との特別な日もいいもので作っていたけど、それよりも。

卵も、いつも買ってた卵じゃなくて、高級な卵。

美味しい卵で、飾ってあげたいと思ったんだ。

けど、君はもっと先に進んでいて。僕とじゃなくて、別のやつとカルボナーラを作る事を選んだ。

たぶん浮気相手の同僚は雑なヤツだ。見た感じソースもおそらく市販だし、全然美味しそうじゃなくて、せっかくの君の素敵なパスタが台無しだ。

浮気されただけだったらまだ許せたのかもしれない。

でも、よりにもよってカルボナーラに味付けさせたなんて。

カルボナーラじゃなくていいじゃないか。

僕たちにとって、大事な大事なカルボナーラ。


いつの間にか浮気相手はいなくなっている。
僕が動けないでいた間に逃げたみたいだ。

ベッドの上で泣いている君に近づく。

「あのね、寂しかったの」

じゅる、と君のパスタがうねった。

「私だってね、こんなことしたくなかったんだよ。でも蓮田くんから全然連絡くれないし、」しばらく触れていなかった、大好きだった君のパスタを久しぶりに近くで見た。

しなやかで、コシがあって、艶やかで、絶妙なアルデンテ。

だとずっと思っていたけど、なんだか傷んで、パサついている。

泣きながらいかに寂しかったか語る君の言葉を聞きながら、卵を取り出して、机の角で殻を割る。

君とどんなことを話したいかイメージをしていたんだ。

この卵はどこ産で、とか、どういう鶏からとれるもので、とか、だからいつものやつと全然違うんだよ、とか。そういうどうでもいい話をしながら、謝るタイミングを見つけられたらな、とか。ギスついていた雰囲気が徐々にほぐれて、どちらともなく笑って、一緒にカルボナーラを食べられたらいいな、とか。

ぱき、と君のパスタの上に卵を落とす。

溶いてないただの生卵だから、
そのままずるん、とシーツに落ちてしまった。
多少は絡まったかな。

「……きれいだよ」

こんな形で君を飾りたくはなかったけど。

不味そうだったカルボナーラも、幾分かマシになったのではないだろうか。



残りの卵をパックごと君に押し付けるように渡して、
僕は君の家を後にした。


健康面も気になるし、
しばらくはグルテンフリーの生活を心がけようと思う。

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