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そしてわたしは今日もそっと彼女を川にながす


8月からはじめたこと、
その中の1つは朝ヨガと瞑想のクラス。
ワーママはるさんのオンラインレッスンです。

後半にみんなで瞑想を行う時間帯があるのですが、
これがなかなか難しい。

瞑想とは
心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になる事、目を閉じて深く静かに思いをめぐらせることである。
Wikipedia

頭に浮かんでしまったものは
目の前に大きな川を思い浮かべて、その川にそっと流していきます。

呼吸を意識して、心と頭の中を静かに、穏やかにしていく作業。

1ヶ月やってみて感じることは、
頭に浮かんでくる物(事)は、
今の自分のアンテナに引っかかっている物が多いな、ということです。

なので、わたしの川に流してきた物のひとつについて、分解してみます。

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同い年の彼女

ひと月前から、わたしの仕事のチームに同い年の女性が移動してきました。
わたしは、彼女のことが、好きで、憧れていて、嫉妬していて、自分と比べていて、そして少し嫌いです。

彼女は自信に満ち溢れています。
仕事もはやく、営業成績も上位。
独身で、自分磨きを怠らず、髪の毛もサラつや、
じぶんの興味のあることについて勉強していて、
試して良かったことをよく勧めてくれます。

わたしは、チームのリーダーとして働いているのですが、
そのわたしよりも彼女は指令性があり、チームを客観視できているように感じてしまいます。

そう、私は彼女といると、劣等感に苛まれるのです。

わたしは、自分のことがわりと好きです。
わたしの性格は、共感性が高くグループを調和させ、
誰もおいていかないでつつみこむタイプ。
みんな公平に。みんなの意見を聞いてから決めよう。となる人間です。

でも、わたしが子供の頃から憧れていたのは、
こどものおもちゃの主人公サナちゃんで、
みんなに慕われる生徒会長で、
的確な指示を出せる部活動の部長でした。

今でも、わたしは誰かの先頭に立ってひっぱっていきたい気持ちがあるんだな。
わたしのやり方を見つけてきたはずなのに、
彼女の存在で、わたしの中の小さなときからの憧れが、
大きくなっているのを感じました。

わたしはわたし。
彼女は彼女。

わかっているよ。

わたしは、わたしの強みを生かして、生きていく。

われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのだ
嫌われる勇気より

そして今日も大きな川に、そっと彼女を流します。

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