何も持っていない人
正論じゃない生身の感情の吐露が聴きたくて映画を最近観ることが増えた。言葉に示せなくても頭に思ってしまう、そんな何かが映画では表現される。正解通りに生きられない人々への救いだなって。
今まで言語化能力が高い人が好きだった。彼女ら、彼らの言葉は美しいし、お互いの胸の引っ掛かりを解消し合える気がするから。分かり合える気がする。でも、寂しかった。言語化能力が高くないと、人を好きになれない自分へのむずがゆさ。人を尊重できない自分への自己嫌悪。
上司とサシ飲みした。そこで人に分かって欲しい、分かりたいという欲求が強いという話をした。愛されたいって。その時の上司の話がとても良かった。
人は言語に表したときの生産物と、持っているものは違うという話。何度も何度も聞いてきたし、自分の中にもあったのに、この時はスッと入ってきた。人は言語の中でしか思考できないというイメージがある意味で消えた。
というのも、湧き出る感情は万人にあると思ったから。思考ではなく、その人を受け入れる強さが欲しいと感じた。
その人に強く向き合う。言葉の裏側に目を向ける、ただ言葉に執着しない。
これを続けていくことは僕が人を分かろうとすることにつながる気がする。
人間性を高めたい。それにはまず言葉を発した理由を問い続ける必要がある。ゆっくり咀嚼する結果、話す速度は落ちるだろうが、それがいい気がする。
面白い、をそろそろ諦めようと思う。評価し評価される人間関係から。受け入れて受け入れられる人間関係に変えたい。
人の感情を掬い取れる人になりたい。
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