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【書籍紹介】ストーリーが世界を滅ぼす

アメリカの文学者であるジョナサン・ゴッドシャルの新作「ストーリーが世界を滅ぼす」を読んだ。原題は"The Story Paradox: How Our Love of Storytelling Builds Societies and Tears them Down (拙訳:物語の逆説: 我々の物語への愛がいかに社会を築き、そして崩壊させるのか)"である。

我々人間に備わっている物語を愛する本能が、いかに社会を豊かにし、またいかに社会を崩壊させるのかを示した内容となっている。

実生活を振り返っても、私たちは物語に翻弄されている。漫画やドラマ、ロールプレイングゲームに熱中する。マーケティングの書籍コーナーには消費者をなびかせる物語についての方法論が並ぶ。経営者は従業員により熱心に働いてもらうため物語を語り、政治家は有権者へ自身への投票を促すための物語を語る。ハイダーとジンメルが作った意味不明な動画を見させられても何かしら物語を作ってしまう。私たちは物語無しでは世界を理解することができないし、他人を説得することもできないのである。

陰謀論やフェイクニュースを信じる人が多いことも、それらが物語として魅力的だからだろう。未だに地球平面説を信じている人がいて、気候変動を信じない人がいる。科学的に証明された事実は残念ながら面白くないことが多い。科学を攻撃する人は、「科学そのもとというより、科学に源流を持つナラティブ(P.127)」を拒絶しているのだろう。

ストーリーが社会を脅かす危険は、哲学者プラトンも2400年前に見抜いていた。良い国家のためにはストーリーテラーを追放しなければならないと「国家」で記している。一方で「洞窟の寓話」で有名な通り「国家」も物語であり、プラトン自身もストーリーテラーであったのだ。

物語は大規模に人間の行動に影響を与えコントロールする主要な手段である。実は物語に反対するどころか、彼ほど物語の力を見抜いて存分に活用した偉大な思想家はいなかった。(P.103)

私たちの運が良かったのは、プラトンの時代に比べて科学が発達して知識が蓄積されている点だ。人間が物語を愛する本能についての知識を蓄積していくことで、物語によって生まれるトラブルを解決できるかもしれない。私たちが闘う相手は物語を吹き込む人でも、物語に惑わされる人でもなく、我々が進化の過程で獲得した物語への愛そのものである。


文章全体のテーマとして、人間が物語を愛する本能がある。スティーブン・ピンカーの「暴力の人類史」やダニエル・カーネマン「ファスト&スロー」などが引用しながら、私たちはなぜ事実をありのまま理解できず、物語を作ってしまうのか論じられている。

本書で抜けている視点を挙げるとすれば、物語を愛する本能は果たして人間だけに備わっているかという疑問だろう。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが「生物から見た世界」で述べているように、生物はそれぞれの種が持つ知覚世界と作用世界でつくられる独自の「環世界」で生きている。ダニから見た世界と犬から見た世界と人間から見た世界は異なっている。それぞれの意味の世界を生きている。今風に言えば、生物はそれぞれのメタバースで生きていると言ったところだろうか。

物語を愛する本能が、生物の中で人間だけが持つ高等なものと考えてしまうと、この本能の研究において他の生物を研究対象から外してしまう危険もある。私たちの身の回りにいるカラスやヤモリ、体内にいる大腸菌が、それぞれの物語の中で生きているとすれば、我々より相当上手に物語と付き合っているかもしれない。

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