『ハーモニー』感想(2023/05/21)

はじめに

SFというものをあまり読みません。
最近の読むジャンルが純文学に傾倒していたから。
『ハーモニー』がSFと聞いて、胸のうちに久しくなかったワクワクを感じました。
お薦めされた本を読むのは、自分にない世界を知るため。そして、その人を知るため。
とても面白い本だということ。そして、その人がとても『ハーモニー』を好きなんだってこと。それは、一通り目を通すうちに充分過ぎるほど伝わってきました。
本を読んだからといって、なにがあるというわけではありません。それでも、ほんの少し、この人に近づけたのかな……という風に思います。

どうせ誰も見ない感想。
批評とかじゃなくて感想、頭のいいことなんて言えません。
メモがてら、思ったことを浅いなりに書いていこうと思います。

読中に思ったこと

読中に感じたことをいくつか、あまりたいしたことでもないので簡単に挙げていきます。
ネタバレをしっかりしていくので、未読の方はぜひ本編を読んでみてください。

  • しっかりした設定の世界観のSFはありますが、医療から形作られる世界観は真新しかったです

  • 随所に見られるコンピューターコマンド的なものから、何者かが物語世界をメタ的な視点で記述していることは冒頭で気が付きました。(物語がそもそも現実ではなくコンピューターの演算上の話かなという疑い)

  • ミァハの目論見に気づかなかったので、だいぶ驚かされました。

  • 語尾など、文章の法則に合致していない部分があって気になりました。

最後の語尾について、気になったといえば気になったのですが、
語り部である霧慧トァンの前半の幼さ、青さを表していると思えば、すっと頭の中に入ってきます。
大人になってからは、文章も長くなり、硬い言葉、専門的な表現も多くなることから、不思議と気にならなくなっていました。
語りで年齢を表現する、といったことがここまで上手くできているのは珍しく、とても面白いです。

読後に考えてみたいこと

今回の作品はメッセージ性もあり、文章をそのもの楽しむ部分もありましたが、本領はその明るいディストピア的世界観であり、各人物の選んだ選択にあるのではないでしょうか。

その中でいくつか、ちょっとここで考えておきたい、考えを整理しておきたい事柄があるので、それについて書き留めておきます。

  • 「優しい世界」について

  • 「御冷 ミァハ」は神か

  • 「意識」は必要か

「優しい世界」について

今回の作品の舞台は、人が病気で死ななくなった世界。すべての人が「あるべき」行動を自然ととれるようになった社会。優しさで包まれたユートピア。
ただし、生命主義という価値観の押しつけは大きく、読者はトァン、ミァハ、キアンの3人に対して同情の気持ちを持ったのではないでしょうか。

少し問いを発展させます。
完全に人は老いや死を乗り越え、押しつけがなくなった世界は生きやすいかどうか。
そういったことを考えさせられる小説でした。

その世界は生きやすいとは思いますが、逆張りオタクの血が騒ぎそうだとも感じます。
人は人を出し抜いたり、競ったりすることに喜びを感じる側面があるので……いや、優しい世界のそういった概念はないのかもしれませんね。

ほかにも、永遠に生きるのだとしたら、失敗を重ねつづけたり、孤独を潰されつづけたり。埋まらない満たされない感覚を引き摺っていつまでも生きていくのは、今のメンタルのままでいくと難しいんじゃないか、という風に感じています。

いや、それこそ凡庸な感覚なのかもしれません。
今もよく使う方便。
「童貞を卒業するまで死ねない」
で辛いことを乗り越えていたことを考えると、
満たされない責任は外部に押し付けながら、そういった世界でもなんやかんやうまくやるのかもしれません。

最近、人間関係で強く満たされたと感じた時がないので、こういった性愛=満たされるという短絡的な思考に陥るのかもしれないなと思いつつ、次の議題へ進みます。

「御冷 ミァハ」は神か

御冷 ミァハは主人公であるトァンの友人。もう一人の友人であったキアン、そしてトァンからカリスマ的存在として、畏れと敬いの視線を向けられていました。

謎めいた出自、生命主義に反する異質な思想、その後の特殊な経歴。
この物語になくてはならない存在でありつつも、この物語に登場するあらゆる人間と異なる存在です。
絶対である生命主義に歯向かう存在として、生死を問わず世界に様々な影響を与える「神」と言っても過言ではないのでしょうか。

結論だけ言うと、否。

この『ハーモニー』をある側面から読み解くと、
子供であった「トァン」が大人へと成長する物語です。

ミァハの影響を強く受けていた子供時代。
本人にも自覚はないうちに、彼女を神、そうでないとしてもほかの人間より上位のなにかとして崇めていたのかもしれません。

ミァハを喪い、「彼女にできた、自分にはできなかった」という劣等感を抱えながらも、社会を上っ面で受け入れていきました。
そして、広い世界に触れていくうち、少しずつ自分なりの考え方、オリジナリティが生まれて。
ミァハとの対峙、導き出された結論は、彼女とのある種の訣別。

たしかに、結果的に同じ答えでした。
けれど、思考過程において彼女と同じ人間として立ち向かうことで、ようやくミァハの呪縛から逃れて、一人の大人になれたのではないか、私はそういう風に感じました。

「意識」は必要か

「ハーモニー・プログラム」は、人類の思考すらも全て外注することで、あらゆる人間が最善の行動がとれるようにするもの。
結果として、意識という「会議」は無用となります。

「意識」や「生、死の意味」を題材にするものは名作が多いという持論がありますが、本作もまさにその通り。

意識を会議で表すのは、
毛色は違うものの、私が愛する若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』でも見られる表現です。
ユーモラスながらも、人間の「根源」に迫る『おらおらでひとりいぐも』。主人公のおばあちゃんの脳内で繰り広げられる意識たちの会話。『ハーモニー』のを読みながら思い出し、クスリとしながらも、「意識は会議」という概念は胸の中にすっとしみ込んできました。

また、人間意識の統一については、『ガン×ソード』の敵役「かぎ爪の男」の悲願「幸せの時」の目標でした。
『スクライド』『コードギアス』の谷口悟朗監督が生み出した傑作のひとつであり、何度も見返した作品です。
『ハーモニー』も『ガン×ソード』も復讐が出てきたり、意外と近いなあ、そんな風にもとらえていました。いや、自我を完全に残す分、「幸せの時」の方がたちが悪いのかもしれません。

このように、「ハーモニー・プログラム」は全体としてスケールが大きく真新しいものでしたが、何となく見たことがある概念がつなぎ合わさっている部分もあり、突飛で受け入れにくいものではありませんでした。

結局のところ、人類の意識が統一されて最善を選ぶことができる、それは非の打ちどころもなく素晴らしいことではないでしょうか。

本当の意味で他者と分かり合うことなんてできない今、
同じ価値観で、同じ思考をわかちあえる。一体化できるならどれだけ満たされるのだろう、幸せなことなんだろうと考えます。

現在意識を統一できるものはないという点もありますが、
今、私はわりと私の価値観を気に入っています。
そして、分かり合えない中、なんとか分かり合おうと藻掻いていることも楽しく思えます。

全く正しくないかもしれません。
でも、将来、人間の意識を統一できるような都合のいいものができるまでは、(それはそれで楽しみですが)
しばらく手持ちのもので頑張ってみたい、そんな気持ちでいます。

ミァハが「同志」を欲した理由。
彼女が人だから。
「同志」が目的達成の駒という側面もあるかもしれません。
でも、一番は誰かと自分の気持ちを分かち合うことで、昔の意識不在の感覚に近づいていたいからなのかな、と考えます。

さいごに

ぐだぐだとよくわからないことばかり書き連ねました。
ただ、なんだかんだ言いながらも、ここまで感想がすらすらと書き進められたのは意外です。

『ハーモニー』面白かった。
最初に予想していた内容を上回っていて、もう一度、忘れたころに読み直したい本です。文体も固くなく、エンターテインメントとして楽しめる作品なので、読んでない人はぜひ触れてみることをおススメします。
紹介してくれて、ありがとうございます。


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