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10年を振り返って#1

おはこんばんにちは、空来と申します

Twitterのタグで#10年を振り返って
というものがあったのでこちらでやってみようかと思います
年齢が19歳なので
小学3年生からのスタートです。
私は日本語が得意ではありません(尚、生粋の日本人である)
暖かく見守ってくださると幸いです()

そもそもこれTwitterでは書ききれねぇ(真顔)

では参ります(デデン!

小学3年生(9歳)

この頃は小学1年生から始めた新体操を続けていました。

私は

リボンがやりたい☆

という単純な理由から体験もせず入りました()

当時指導して下さったコーチはかなりの実力者で某サンリ○ピュー○ランドでのダンサー経験者でした。

そのため育成クラスというコーチからの本格的指導、大会出場の機会を得るためには必ず昇格試験を受け合格しなければ入れないという決まりがありました。凄いですね(他人事)
私はリボンができればよかったので全く眼中にありませんでした(糞)

しかしこの年からコーチが変わり1人から数人に増え、育成クラスはコーチの推薦という形となりました。

そして私は

無事推薦されたのであった☆

えぇ育成クラスに私が?と思った記憶があります。
推薦される数ヶ月前に同級生の子が前コーチの試験を受け見事合格した、ということもあり余計に入っていいのかなぁと思いました。

しかし美味しい餌を目の前にしてそれを無駄にする女ではなかった

「お母さん、私やってみたい」

この一言で私は育成クラスへ入ることとなりました。

パッパカパーン( ᐛ👐 )メデタァイ

この1年はとにかく柔軟を行った記憶があります
特に記憶に残っているのは毎日母親の手を借りてうつ伏せになった状態で勢いをつけ足を顔の前に置く、てれびくん(一般名はしゃちほこ)という技の柔軟
硬い頃はすぐに足が戻ってしまうので母親に毎日押してもらいました。
しっかり効果が出るまで3週間の月日が流れました(いや意外と短ぇよ)
👇🏻特訓の成果による1年後の私

この時はもうおしりが頭につくくらい行きました。


さすが子供(という名の餓鬼)の頃の私。柔軟に悩むことなくグングン身体が柔らかくなっていきました。

小学4年生(10歳)

この年から大会へ向けて本格的に練習が始まりました。

まずは、ホームである練習場所でのミニ大会が行われました。
私が披露したのは、個人種目の手具(道具)無しでの演技でした。
その演技は私を含め3人が全く同じ振り付けで行っており審査側であるコーチからは実力が丸見えでした(どうだったかは記憶にありません)

その大会の際、ほとんどの人がレオタード(衣装)を借りていました(もちろんお金がかかる)が母が反対し手持ちのレオタードとなりました。
他の子からあーだこーだ言われることは無かったので気にする事はなかったです。

そしてこのミニ大会の後、クラブ(下の画像の道具)を使った私だけの個人種目が出来ました。

その演技を振りつけたのは私の新体操を辞める原因となったコーチでした。理由は後でお話します。
同様に団体種目も新しい演技の振り付けが作られ、大会へ向けて練習が始まりました。

ある日そのコーチが特に力を入れている別の新体操クラスの場所で練習することになりました。
その際、別の新体操クラスでのコーチはかなりの熱血指導でその教え子に対して行き過ぎた指導もありました(教え子の背中を思い切り蹴り飛ばすなど…)

そんなことは露知らず私は一生懸命練習していました🤪

しかし母はそのことに対してもちろんいいイメージを持たず、喘息を持っている私に水泳を習わせようと考えます。

この年の12月、3日間の体験入学をしました。
そして私の好感触を得ると、母はこう言います。

「新体操をやめて水泳を習いなさい」

当時の状況をそのままいえば、新体操をやりたい娘を無理やり辞めさせる母親です。

しかし母親は
もし本当にやりたいのであれば違う新体操クラスにしなさい、とも言ってくれました。

でも私は新体操を続けたい、と言いませんでした。
つまりそこまで本気ではなかったんだと思います。
辞めたくない!とも言わなかった記憶があります。

2回の大会出場機会も母親の判断で1度だけの出場となりました。お金もかかるしわざわざ2回も出なくていいでしょう、と。

この時も私は何も言いませんでした。
やはりその程度だったのでしょう

ただ、一つ覚えている出来事があります。
それは私の出る大会の団体演技の練習が終わった後、その場から離れることが出来ずそのまま出ない大会で演技する団体種目の練習を共に演技してしまった際に、コーチから

「なんで空来が入ってんの?あんた出ないでしょうが(呆れ気味)」

と言われたことを10年経った今でも覚えています。
寂しかったな。

私の新体操人生で本格的な大会への出場は1度のみ。
その際に頂いた賞は

future賞!(∩^o^)⊃━☆゚.*・。

無事未来、捨てました。

辞める時は、コーチは母親にこう言ってくれました。
もし私がやりたいと思っているのであれば続けてあげてほしい、と。

しかし母は考えを変えず

私の4年間の新体操人生が終わりました。

とこんな風に書いていますが今の私が思うことはこうです。

お母さんまじ辞めさせて正解だよサンキュー!!!!(๑>؂•̀๑)テヘペロ

です。指導も実際あまり良くなかったですし、人間関係もイマイチでした
(同級生の子に同じ学校の人は一人で十分だからあんたあっちに行ってと言われる、歳下にやたらとからかわれる、バックがエナメルではなく新体操クラスのバックなだけでやたらとうるさく言われるetc.....)

なのでやめて水泳に変更して正解だったなぁと思います。

習う前までは嫌いでしたが今では大好きです。水泳。

と、文章力があまりない人間がここまで文章を書いたら頭が痛くなってきました。ムリィ…今回はここまでにしたいと思います()

やべぇ2年しか終わってねぇ()
次回は小学5年生から6年生までを書きたいです。

とっても飽き性なので投稿したら褒めてあげてくださいね()

ここまで見てくださりありがとうございました!☺️

あっ!!!!!!

結局リボンは本格的にやらないでおわったんだよくそぅ!!!!!!!!!!!!
やめた次の年にやりやがったんだ!!!!!!!!チキショー!!!!!

#2 に続く…のか??