自分の成果はどこにいくのか。
こんにちは、yuyuです。
ついこの間、通勤中にラジオを聴いていたら社会人における「成果」について話題が出ていました。
最近、自分の中で「成果」という言葉が出てくる場面はほとんどなく、とても新鮮な感じがしまして。
サラリーマンだったころは、自分の成果はもちろん他人の成果にも固執していたことを思いだします。
なんせ当時の職種は営業マン。
数字がそのまま成果として反映されてしまう上に他人と自分の成果を何かと比較されてしまうという残酷な世界でしたので、常に頭の中は成果を上げることでいっぱいでした。成果上げないと詰められますし。笑
ところが今はあまり自分の成果というものを気にもしなくなりました。
なんせ自分の成果は今や従業員の働き如何にかかっているから。(そういう意味では自分のマネジメント能力が成果に直結しているので、本来気にするべきものではあると思いますが…)
ぼくが動いて自ら成果を取りにいくというよりは会社全体の成果=ぼくの成果みたいなところがあるんです。
こう見ると一見偉そうに見えるかもしれませんが、結局資本主義の神髄がここに詰めっていると僕は思います。
サラリーマン時代はどんな頑張って、血のにじむ思いとかイヤな思いしながら成果を出しても会社がそれを回収してその中からみんなに分配していくので、それが全て自分のリターンとして全てが戻ってくるわけありません。
一方事業主になった今では会社の成果として利益がでれば極端な話すべて総取りできてしまう。従業員へのお給料は人件費として支払っているわけですから、会社で残った利益はもはや事業主であるぼくの思うがままってわけです。(まあ、実際は会社の経営維持のためにほとんど消えてなくなりますけど。笑)
この仕組みが本当に資本主義そのもので。
働いても働いても給料が上がらない人間がいる一方で、働かせれば働かせるほどに給料が上がる人間がいる。
働かせる方は当然得するようにできていますが、働く側は得をするどころか損をする可能性すらある。
そういう仕組みを知らずに会社員を続けているのであれば絶対に自分の在り方を見つめなおすべきです。
自分の「成果」が会社や上司、つまりは他人に搾取されている事をよしとして働いているのかどうかまずはよく考えてみること。
もしかしたら、働く事の意味が自分の中で変わるかもしれませんよ。
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