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たまーに哲学 🙆‍♀️ 秩序と混沌はボケとツッコミである。


子どもの頃、宇宙のあらゆる物質・情報・事象をコンピューターに取り込むことができたら、世界は完全に予測できると考えていた。

家族に話すとそれに反対された。
人間の自由意志という観点からであったと思う。

今になると、宇宙の秩序の中にもさまざまな不確定要素が含まれていると思う。
量子力学の話など聞くと、デタラメな世界が秩序の中に含まれていると思う。
あるいはデタラメな世界の中に秩序があるのか。

世界を予測しようというプロセスそのものが、現実に干渉するということも起きるだろう。
精密な予測に近づくと、そこに無限のフィードバックが起きてハウリングするだろう。

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近頃ネットでお笑いをよく見る。
ボケとツッコミという概念について最近やっとわかってきた。
ボケは無秩序である。
ツッコミはそこに秩序を回復する働きである。

ボケがどこまでも続けば狂気の世界に突入する。
秩序のサイドに揺り戻すことで観客はようやく安心して笑うことができる。

ボケの一種の浮遊感から、ツッコミによって日常の基準を取り戻す。
不安と安心の往復運動がある。
このエネルギーのブレによって笑いという現象が起きる。

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およそ創造的な現象は、秩序と混沌の往復運動である。

インドでは、創造神の裏面は破壊神であるという。

人の筋肉には必ず拮抗する筋肉がついている。
両方あって活動できる。

息だって吸うだけで吐かなければ死んでしまう。

行ったり来たりするエネルギーに生命や創造がある。

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近頃の日本は、秩序のサイドが強すぎる。

めんどくさいので短絡的にいうと、秩序は意味を求め、意味は権力につながり、権力は中央集権を目指す。

自民党議員が裏金を作るのも、維新がカジノのために万博やるのも、小池百合子がプロジェクションマッピングやるのも、秩序のサイドである。

一言でいうと利権構造である。
利権構造は構造であるからして、たいへん秩序だっているのである。
土建屋や広告代理店が儲かると、それは秩序立てて、政治家に還流されるのである。

まったく強固で簡単にはゆるがない構造がある。
それを無秩序と見ると完全に世の中を見誤る。

ここには往復運動がない。
何のユーモアもない。
この構造はただ強化されていくだけである。
選挙民まで一体化して機械的な拡大再生産が続いている。

人は息を吐かないで吸い続けると、やがてぶっ倒れるだろう。
国家の場合、秩序の支配が強力になりすぎるとき、戦争という形態で無秩序を取り戻さなければならない。
それがバランスである。

この話は丸一冊の本を書いてもわからない人にはわかるまい。

だからまた短絡的に結論めいたことにする。

我々の人生には秩序と同量の混沌が必要だ。
創造的でない社会はやがて暴力と戦争に向かう。

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