見出し画像

⚫️作家津原泰水のこと


「津原くん亡くなってたよ」と妻から新刊らしき本の写真とともにメールが来た。

2022年に病死したらしい。
ぼくより10歳も若い。

*

津原は一時期、僕の事務所に居候していたことがある。
もう40年も前のことだ。
今は物置になっている狭いスペースが当時まだきれいでそこを寝場所にしていた。
たぶんそのとき彼は住むところに困っていた。
こちらも若くていい加減だから、じゃあ、スペースあるからしばらく住む? とか、ことを決めてしまっただろう。

最初、ライターとしてアシスタントにしたんだったかなんだったか。
僕は黒川紀章の単行本を作っていて、膨大な量のテープ起こしがあった気がする。

しかし、それが終わると僕もアシスタントに次々仕事をふるほど稼ぎがない。

それで講談社のX文庫にいる知り合いに作家として売り込んだ。
物は試しに一冊書かせると、評判が悪くない。
大ヒットというほどではないが、継続的に書かせてもらえるようになった。

僕は住まわせるのと、営業、相談、アドバイスなどで小説の売り上げの3割くらいもらうような話をしていたと思う。
ところが、小説を読んで「もう少しこういうほうがいいんじゃない」と感想をいっても、彼は受け付けない。
「僕は小説のクライマックスで盛り上がるとか、そういうの嫌いなんです」

少女小説という嗜好的に消費される商品を書きつつ、そういう大衆的でないことを言うから、びっくりしてそれ以来、何も言わないことにした。
小説も読む必要がなくなった。

講談社の編集者が商品として読んでOKを出し、受け取るものだから、商売としてはうまくいっている。
僕がどうこういう必要もない。

「盛り上がるのが嫌い」というあれはなんだったんだろう。
音楽でいうとPOPが嫌いというようなこと?
(彼はR.E.Mとか、エルビス・コステロとか、グリーン・デイとかが好きだった)
あれからたくさんの小説を書いたようだけど(僕は読んでいない)、ずっと盛り上がらないスタイルなのだろうか。

読んでいなくても独自の癖の強い小説のテイスト感が伝わってくるから、癖が強いままに進化したのかと思う。

X文庫を数冊出したあたりで、金が溜まって彼は自分でアパートを借りて、僕のところは引き払った。

津原とは打ち解けた関係ではなかった。
津原のほうに固い殻のようなものがあって、距離感はほとんど近づかなかった。

そんな感じだったので、僕はアドバイスも何もなしでパーセンテージを受けとるのイヤになってしまった。
それで僕のほうから関係を解消すると宣言した。
彼はひどく傷ついた様子を見せた。

それは僕には意外だった。
精神的に頼られているような気は全然していなかった。
住むところも独立して、印税の3割を払わなくてよくなればせいせいするだろう、くらいに思っていた。

たしかに講談社に彼を売り込んだのは僕だし、しばらく住まわせた。
もう一つ秘密を明かすと、クーンツの『ベストセラー小説の書き方』という本を与えた。
これは彼の何かにヒットしたようで、座右の書のように読んでいた。
いわば津原の種本と言っていい。
(アマゾンでまだ売っていた。最初に知るべき基本的なことが上手に書いてある。これを読んだからといって津原のようには書けない)

しかし、どれも過去のことだ。
彼が住居を持った以上、僕に助けられることは何もない。
僕としては印税の上前をはねるような関係はどうせ長く続かないだろうと踏んだのだ。

何もせずにニコニコして分け前を受け取るほうが正解だったのかもしれない。
正当な報酬とも言えた。
だけどなんかイヤだったんだ。僕の若さとバカさだ。
当時の僕にそういう度量はなかった。

僕は津原が作家になるための、いわば「触媒」として働いたわけだけど、別れ方がそんな具合だったので、むしろ嫌われていても不思議はない。
僕は編集者やライターとして一度も成功したことがない。
それが軌道に乗って儲かる状態になった頃には、倦きてしまう。

物事は維持管理するより立ち上げるほうが面白い。
いつも僕の興味は新しいものに移っていったし、在り方は触媒的だった。

津原はその後、広島に帰ったのかな。亡くなるまで一切やりとりはない。

*
……と思っていたが、その話をしているとき、妻が不思議なことを言い出した。

「一度、津原くんのお父さんから送られてきたって日本酒持って帰ってきたじゃない」

そんなことあったかな。
まったく記憶がない。
しかし、絶対ないとも言えない感じがする。
そんなこともあったような……・
妻の妄想にしてはあまりに具体的だ。

「あれは津原くんが亡くなったときだったのかな?」

2年前だったら覚えているような気がする。妻も時期までは覚えていない。
何のメッセージもついていなかったのだろう。
何か書いてあればさすがに覚えていると思う。

津原との交流は、およそ、40年前のことだ。
それ以来、何十年も僕の住所をキープしていて、何かの拍子にお父さんに渡したのだろうか?
別れ方は気まずかったけれど、少しは恩義を感じていたのか?

今となっては何の手がかりもない。
ただの思い込みかもしれない。

若いときの津原は、いつも唇を固く閉じてちょっと不満そうに尖らせていた印象がある。
早熟で生意気で容易に人を内側に入れないような堅い芯があった。

亡くなってから写真を見ると、ずいぶん柔らかい表情のものがある。
作家としていろいろ経験を積んで円熟したのだろう。

あの世で会ったら昔話をして笑って酒を酌み交わすような関係になれるだろうか?

冥福を祈ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?