魏志倭人伝から邪馬台国を読み解く その4 女王国の国々
邪馬台国の後に書かれている倭国連合の国々について考察します。
□名前だけが書かれている倭国の国々
女王がいる邪馬台国より北には、次のような国名があると記載されています。国への行き方や距離や詳細は省略し、国名だけが並んでいる形です。
□蘇の付く国々
魏志倭人伝の倭国、卑弥呼の女王国の中には、對(対)蘇国、蘇奴国、華奴蘇奴国と、蘇の字が付く国が3つある。
後の『隋書』では、「倭国には、阿蘇山という火山があり噴火する」旨が記載されている。日本では、昔から大きな山や川などの周りにその名前がつく地名となっているケースは多々あり、これらの三カ国は阿蘇山の周辺国の可能性がかなり高いと思う。実際には山々の近くではなくとも、阿蘇山の山々が見える位置がある場所や、あるいは、阿蘇山にゆかりのあった人々が暮らす国などの可能性もあると思う。
というのも、正しいのかどうかは分からないが、阿蘇山の阿は、例えば、阿兄、阿父、阿母のような意味での尊敬の意図を含んだ接頭語の意味合いか、あるいは阿吽(あうん)の呼吸のような梵語の第一字母音の意味合いでの付与された接頭語であり、本来は、蘇山だったのではと思うからである。その蘇(ソ)の方の漢字が使われている所に、阿蘇山か比較的近くにあったのではというリアリティーを感じる。
中国側の正史の倭国に関する記述では、倭国に阿蘇山だけしか登場していないのも、実は重要な情報だと思っている。なぜならば、例えば、富士山、琵琶湖、宍道湖、淡路島、桜島、瀬戸内海が出てこないなど、日本の特徴的な山々等の地形が出て来ていないのは、そこはまだ『魏志倭人伝』に書かれている倭国に入っていなかったからではないかと思うからである。
※『隋書倭国伝』での阿蘇山に関する記載は、以下となります。ご参照ください。
□奴の付く国々
実は『魏志倭人伝』に出てくる倭国の約30ヵ国の中には、奴の字の付く国が非常に多い。
もしかすると、この中には奴国の分国や周辺国、あるいは属国など、関連性のある国々が存在していた可能性があるかもしれない。もちろん、国名の呼び名の音がたまたま同じだけで無関係の可能性もある。この場合、「な」とは、九州地方の古い言葉で、土地、大地を表すという説もあるようだ。もう1つ、邪馬台国と争っていた狗奴国にも奴の字が入っている。このため、狗奴国は元は奴国から分離した人達の国と考える説もある。その可能性もあり得ると思う。
実は、後の時代の『旧唐書』の倭人条(旧唐書には倭と日本が別々に並記されていて、もう1つの日本条には、日本は倭の別種と記述されている)には、「倭は、いにしえの倭の奴国なり」という記載がある。次の『新唐書』には、「日本は、いにしえの倭の奴なり」という記載がある。中国の正史では、日本国、倭国は昔の奴国がルーツだと記録されている。これは、1つ前の時代の『後漢書』に、「建武中元二年(57年、弥生時代の中期)に、倭の奴国の使者が朝貢した」事が書かれていて、一番古くから認識されている国だからと思う。あるいは、最終的には、邪馬台国が狗奴国との戦いで負けてや両国が疲弊してしまい、その際に、力を蓄えた奴国(及び奴国に従う連合国)が全ての国々を従えて女王国を統一した可能性も十分あると思う。
もう1つは、奴国や邪馬台国、いわゆる女王国が広い範囲で合体して邪馬台国が制圧して、後の大宰府にも繋がるような九州北部地域に巨大な筑紫国を形成したからかもと思う。
※『旧唐書』については、謎の古墳時代を読み解くの旧唐書にある倭国 前編 倭国最後の遣唐使および、それ以降をご参照ください。
□邪馬国という国も存在
参考までに書くと、女王国の中には、邪馬台国の台がついていないだけの国も出てくる。国の場所が近くて元の地名が同じだったのか、兄弟国のような関係性があるのか、あるいはたまたまで、全く無関係なのかは、残された情報がなく、いまとなって謎のままである。
一番シンプルに音から考えると、もし邪馬がヤマと発音するのであれば、それはそのまま単純に山の事ではと思っている。だとすれば、山国(つまりは、邪馬国)や、山一国(つまりは、邪馬壱国)、山ニ国や、山台国(つまりは、邪馬台国)、山上国や山下国など、山のつく国々が沢山あっても不思議はない。
もし、古代中国の漢の時代の発音で、「台(や壱)」の読み方の発音が分かり、古代の倭国の言葉で、その音の言葉の意味が分かれば、邪馬台国と邪馬国の違いが何かが分かるかもしれない(例えば、山の麓の国と、山の国の違いのようなイメージ)。いずれにせよ、おそらくは、名前からも近くにある国同士なんだろうと思う。
⬛次回は、邪馬壱国と邪馬台国論争について
最後までお読み頂きありがとうございました😊
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