「働く」ことができなくなって感じたこと
「このままだと危険な状態です。明日から仕事は休んで自宅で安静にしてください。でないと入院になりますよ」
とある日の妊婦検診で突如言い渡された言葉だった。不調の自覚は全くなく、毎日仕事に行き、研修に参加し、休日も友人と出掛けたりと妊娠前と同じような生活をしていた。それが原因なのかはわからないが、とにかく急に仕事に行くことができなくなり、半ば他人事のように職場へ連絡をし、上司や同僚の配慮もあり長期でお休みをいただくことになった。当初は一週間、長くても一ヶ月以内には復帰できるだろうと楽観的に考えていたが、経過は横ばいでおそらく出産まで軽快することはないことを告げられている。
今現在で2ヶ月弱の休職となっているが、こんなにも長く仕事から離れるということは初めての経験だった。一度転職をしているが、その時も前日まで前職場で働き、終わらない引き継ぎに泣きそうになりながら残業して、翌日から頭が切り替わらないまま新しい仕事にワクワクして向かっていったのを覚えている。私にとって、社会人になって15年、仕事がある生活が当たり前だった。今の仕事は対人援助職で、色々あるがやりがいを感じられるもので、これからの予定や産休に入るまでにやっておきたいこともたくさんあった。また人員体制が十分なわけでもなく、自分が急にいなくなることで残る人たちにかなりの負担がかかることは明らかだった。何で自分がそんなことにという不満と、職場や関わっていた人たちへの申し訳なさでいっぱいだった。
そんな気持ちを抱えながらも、安静生活に入ったわけだが、自宅でも基本食事とトイレ以外は寝たきり生活のため、とにかく時間だけはあるのだが、どうしても気分が沈み元気が出ず、慣れるまでは薬の副作用もありつらかった。せっかくだからこの期間にできることを、と思い読書や映画、ドラマを観たりするのだが、心は晴れない。どこか社会から置いてけぼりになって一人きりになっている感覚で、仕事は気にせず自分の体のことだけを考えてくださいという言葉をかけられても、素直に受け取れない自分がいた。
でも予想外の生活のなかで、新たな気付きもあった。自分にとって、働くことや、周りのたくさんの人たちとの関わりが、こんなにも元気でいられることにつながっていたんだということ。また仕事ではどこか自分がやらなくてはと気負っているところがあったが、自分がいなくても大丈夫、職場の仲間を信頼して任せることの大事さ。やりたいことや夢希望をもちながらも、困難な状況にあい苦しんだことのある人の経験をほんの少しでも実感をもって想像すること。
いままで「普通」に感じられていたことが、とても幸せで、自分にとって意味のあることだったことがわかった。それが得られたのだから、今の時間も悪くはない、せっかくだからとことんのんびりしてやろうと少し前向きに過ごせるようになっている今日この頃である。
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