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「資格試験なんてAIに解かせればいい」


はじめに

これ、以前から思っていたことなんですが、昨日、GenerativeAI Testを受けて、今後の資格試験のあり方について考えてみたいと改めて思ったため、書いてみます。

なお、GenerativeAI Testは一切のカンニングをせずに受験したことを念の為に明言しておきます。

↓GenerativeAI Testについてはこちらの記事をご覧ください。

また、資格試験を重視している方々を敵に回したいわけではないので、もう1点補足をしておくと、私は資格取得を通じて成長し、資格によって飯を食っているような人間です。

そういう立場から、資格(試験)の意義と、生成AIとの共生を考えてみたいと思います。

論点の整理

思考整理の補助線として、いくつかの考えられる意見をまとめてみます。

  1. 生成AIが発展すれば、資格試験を通じて人間の能力を測定する意味はない

  2. 生成AIが発展しても、資格試験を通じて人間の能力を測定する意味はある

  3. 生成AIの発展を通じて、「生成AIを活用した」人間の能力を測定する必要性が生じる

こんなところでしょうか。個人的には3でポジションを取りたいと思いますが、まずは順番に中身を書いていきます。

「資格試験は不要」

まずは、生成AIが発展すれば、生成AIを使って資格試験をクリアできるようになるので、資格試験そのものが不要もしくは意味をなさなくなる、という案を考えてみます。

これは大学や高校などですでに問題になっている話で、レポート・宿題の答えをChatGPTに聞いて提出してしまうということが既に起こっています。
私も学生だったら、絶対にやったと思います笑

これの重要なことは、「人間が自分の頭で考えずに、生成AIの出力を鵜呑みにしてしまう」だと思っていて、結果として「人間が自分の頭で考えられなくなる」みたいな問題が指摘されていると認識しています。

ただ、これって「自分の頭で考える」ことが必要なら、そのためのトレーニングを別途したら良いんじゃないでしょうか。それをレポート作成とか、宿題に求めるから論点がずれるような気がします。

純粋に、「何らかの知識を示す」、「特定の問題の回答を示す」だけなら、ネットで検索したり、生成AIで生成したりしても目的は果たせていますよね。
そういう意味では、やはり「答えがないもの」に対してどのように「答えを作るか」を問うていくのが重要であると感じます。
むしろそのような問い以外は、クイズや趣味のレベルに落ちていくんじゃないかとも思います…。

「資格試験は必要」

続いて、人間の能力を測定する必要は依然としてある、という案です。

今のところ世の中の大多数がこの思想に基づいていると思われます。生成AIに関わらず、「カンニング」というものが許されることはありません。

各種の資格試験はCBTが増えてきましたが、自宅PCで受験できるものは少なく、ほとんどがテストセンター方式だと思います。
ものによっては、計算問題があるのに電卓使用不可のテストもあります。

あと、話はちょっとズレますが、中小企業診断士の二次試験とか、IPAの高度情報処理技術者試験とか、「この時代に紙と鉛筆で長文を書かせる」試験の多いこと。。。

このあたりは、極力、「受験者本来の力」を測ろうとする意志(もしくはリスクを言い訳に現状維持を好む意志)を強く感じます。

※ちなみに司法試験は2026年からPC受験が可能になるようです。アメリカでは結構前から普通みたいですが。

こういう「受験者本来の力」を重視するのは、咄嗟の判断力とか、何らかの理由で電子機器が使えないときでも、問題に対応できるようにすることが目的だと思っています。

まあ確かに、経営コンサルティングをしている中で、クライアントの質問に毎回「ちょっとChatGPTに聞いてみますんで…」と待たせているようなコンサルタントがいたら頼りなさすぎますし。

あと咄嗟の判断力という意味では、運転免許のような運動能力を測る試験は尚更、人間の力が重要ですよね。
仕事の会話で特定の専門用語を理解できないことと、道路標識の意味を勘違いすることとでは、インパクトは全然違いそうです
(もちろん各種インフラ、人命に関わる職業では、前者も重要と思います)。

ただ、自動車であれば自動運転の技術が向上してきていますし、いつまでも素の人間の能力だけを問うていては、時代錯誤になっていく気はします。

「生成AIの活用能力を測るべき」

そこで思うのが、生成AI(に限定せず通信技術全般)を活用した状態での能力を測る資格試験が増えたら良いんじゃないかということです。

答えがあるものは調べたらいいですし、実際の仕事では使えるものは何でも使って成果を出すことが求められています。
それなのに資格試験だけ、変に「能力の解放」を限定するので「実務に使えない」みたいな意見が出てくるんじゃないかという気がします。

もちろん、しばらくの間は運転免許のような運動能力を測る試験や、インフラや人命に関わるような技術は「限定的な」条件下での試験の重要性が高いとは思います。

ただ、それ以外の、特に大体のホワイトカラーワークは、「生成AIを使っていることが前提」の能力を問うていっても良いんじゃないかと思うんですよね。

当然、ハルシネーションの問題は残りますが、それをカバーするのは使用者の責任ですから。その点も問えるとベストなんだと思います。
恐らく、選択肢とか、知識穴埋めのような問題は一切無くて、基本的には答えのないテーマに対して、自分(with 生成AI)で答えを導き出していくような試験が良いんじゃないでしょうか。

IPAで考えると、ITパスポートや基本情報技術者はもちろん、応用情報技術者あたりも怪しくなってきますね。高度情報技術者の記述・論述あたりの難易度の試験は生き残る気がします。

ただ、そうすると「資格試験=難易度が高い」ものしか残らない、ディストピアになるかもしれません笑

AIしか対応できない廃墟…

「生成AIなし部門」

一方で、実務能力を問わず、人間本来の能力を純粋に追い求める部門はあって良いと思っています。
非常に失礼な例ですが、単純に速さを競うだけなら、車や自動車の方が速いにも関わらず、陸上選手がいるように。

知識の暗記量を競ったり、フラッシュ暗算のような処理能力を競ったり、という分野はいつまでも残ると思います。
私も一時期、タイピングを極めようと頑張っていた時期があるので、否定はしないというか、むしろ共感しかありません。

ちなみに以下の書籍で堀江さんが「『人間界最強』を目指せばいい」とおっしゃっていて、なるほどなと思いました。

やはり、生成AIに対抗するのではなく、基本路線は「どう共存するか」を追求し、同時に「どう楽しむか」に取り組むのが良いのではないかと思います。

まとめ

少なくとも知識系の試験については、CBTの増加、自宅受験の増加につれ、段階的に「もう生成AI使用を制限するのは無理だよね」という風潮が高まっていくのではないかと思っています。

その中で、むしろ「生成AIを使ってどれくらいの成果を出せるか」に挑戦していけるようになると、資格試験の分野も盛り上がっていくのではないでしょうか。

そのためにはまだまだ技術側の進歩も必要ですが、GPT4oの登場で、人間のパートナーとしてのAI像がより固まってきた印象です。

しばらくは従来の資格を取りつつ、試験時間以外はたっぷりと生成AIを使って、新しい成果創出・自己研鑽のあり方を引き続き考えていきたいと思います。

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