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【エッセイ】黄身が好き


                                                                                            
              今秦  楽子



まだ雨が続く長崎にわたしは降り立った。
かつて乗ってきた特急かもめは弓なりの浜に
沿って情緒とともに過ごせたのだけれど、
今や無味な西九州新幹線に成り代わって
しまった。

七月中ば。まだ梅雨は明けていない。

引越しには3つの段ボールを新居に
送りつけた。
うち一箱は先日、出版した書籍なのだけれど。
2つの段ボールに夢をつめて、
大阪の残された家財すべて業者に引き取って
もらった。いわゆる断捨離という行為をして。

執着をとるためにモノを捨てるのかも
しれないけれど、わたしの場合、
この引越しを見越してモノを持たないという
発想で最小の暮らしをしてきた。
そして引き続き長崎でもその生活を続けよう
かと思う。

この引越し。思い立ったのは3週前。

彼と八郎川を眺めていて決断した。
この人に寄り添いたい、いつまでも。
それをするのに条件も何も関係ない、
早く一緒にないたい。
と慌てたのを覚えている。


彼は生きてきた。
ズタズタ、ボロボロになるまで、生きてきた。
そんなでもわたしにはいつも
優しく接してくれる。
その彼が人生大一番の勝負をしたいと言った。

「文章だけで暮らして行く」

難しそうで難解な彼の挑戦に、
わたしも前のめりで参加を表明した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

彼とは2年前に出会った。
イマドキのS N Sを介して。
故に大阪と長崎の遠距離恋愛をすることに
なる。今の遠距離恋愛なんて、
お互いがマメだったら近距離より近いかも
しれない。というほど彼とは毎日通話した。

好きな本、好きな映画、好きなお笑い。
たまに仕事のこと。
当時はテレワークで仕事していた彼は自由に
時間を操っていた。

容姿も可愛らしくて、言うことも頼もしい。
そんな彼にのめり込んだわたし。
何よりも彼の文才に一番惚れ込んだ。

「文章は笑い。笑いは正義」

彼はとても優しい紳士で。
言葉で誰かを傷つけることを毛嫌う。
言葉や文章は人を助けるために使うのだと
言った。
そして暴力で解決できないことも解決できる
手段なのだと。

出会った頃のわたしは、
そんな彼とは真反対の乱暴者だった。
言葉を大切にしなくて、
自分を大切にしなくて。

彼と付き合うにつれ、
小説を書いてみるというチャレンジをする流れ
になった。
思うことがあったのもあり、
わたしは自分の話を書き出した。

こう書けばいい、ああ書けばいいなんて
助言は全くなく、
とにかく書き続けることだよと諭された。

定期的に彼の家に行くとき
それらを印刷し製本テープで閉じて
読んでもらっていた。

プリンターから出力されるコーピー用紙は
まさに文字の洪水の束でわたしはそれに
溺れていた。

彼に認めてもらうため文章を書く、
そんなスタンスだった。

まだ文章は正義だとも気づく事もなく。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

彼は一人暮らしが長い。
だからよくコンビニを利用していたのだ
けれど。
個別で売っているゆでたまごを食したことが
なかったらしい。

前回、長崎でホテルを連泊した時のこと。
外食やコンビニ食のやや偏った食生活に、
わたしは買い物カゴにそのゆでたまごを
放り込んだ。
それは優秀で、酒のアテにもなるし、
朝食のお供にもなるタンパク源。

「なにこれ、んんまー」

ゆでたまごの存在を初めて知った彼は、
塩加減と黄身の柔らかさを、
たいそう気に入った。
わたしもコンビニの苦心の作、
茹での絶妙な加減で仕上げられた
美しい黄身がめちゃくちゃ大好きだ。
とにかくキミが好きなのだ。

ひとつひとつ彼は絶賛した。
卵の殻を割るところから、剥きやすく
ある程度、卵の白身が露出した段ですぐに口に
放り込める。
塩を振りかける動作がいらないし、
余った塩の所在をあたふた探す必要もない。
そして塩加減が絶妙であること。

そしてわたしと同じくキミが好きだと
言い放った彼に
わたしの黄身はズキュンとなった。

簡単に作れそうで、黄身の硬さや、
殻の剥きやすさ、塩問題。
なかなか繊細で簡単とまでは言いにくい
ゆでたまご料理だけれど、
一緒に住うようになったので、
おいしいトロトロのキミを目指して彼に
ご馳走しよう。

なぜなら彼には良質なタンパク質が必要
だから。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

彼にはわたしの知らない過去を知っている
愛犬がいる。
ポメラニアンを少し大きくした友は、
実は、世を忍ぶ仮の姿でずーっと彼を
支えてきたのかもしれない。

そんな友は今日で11歳の誕生日を迎える。
いい時も悪い時も知った親友は、
今日もわたしにおやつをねだってくる。

めでたい誕生日であるけれど、彼にとって、
友の寿命が1年減った日でもあるので
何かと涙を流している。
お別れすることを考えたくないという彼。
わたしも同じ思い。
そしてワンコだけでなく
彼に対しても密かに同じ気持ちでいる。

わたしが八郎川で一緒に暮らすことを決断した
のには訳があった。

彼と再会を果たした時にオヤ? と思うことが
あって。
彼とは3ヶ月に一度ほどのペースに会いに
行っていたのだけれど、
久しぶりに会う彼と目があってハッとした。
恋の予感のような素敵な話をしたいのだけれど
少し違っていて。

彼の両眼が黄味がかっていた。
今まで生きてきて
ズタズタ、ボロボロになってきた彼自身は
精神面だけではなく内臓も壊していた。
内臓から来るS O Sが両目のキミだった。
もちろん両眼のキミもわたしは好きだ。

わたしはこれからも彼を、
彼の黄身を愛していくだろう。
なぜならそれは彼が戦ってきた証だからだ。
そして彼の戦い抜いた証、
人への優しさ、思いやり、愛情を受け取って
いこうと思う。

彼が愛犬の寿命を数えながら切なさにいるの
ならば、
わたしは彼の寿命が1日でも長く、
1日でも幸せに輝けるようにと、
友の誕生の日に祈ろう。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

昨日、強く長く降った雨のせいで、
八郎川は濁った水の水位を上げていた。
彼もわたしも大好きなこの川は日毎、時間ごと
に違う顔を見せる。

河口に海が開けるこの地域特有なのかも
しれないけれど、
潮位の影響を受け干潟になったり
満ち満ちとしてみたり、
違った様子をうかがわせる。

彼との生活は不思議なリズムで営まれる。
わたしが起きていたら彼が眠っていて、
わたしが眠りに着いたら彼は活動をはじめる。

完全昼型V S完全夜型の共同生活。

とにかく今は、
書くことに集中する期間なんだと
わたしはこうして長崎の空を仰いで
言葉を探している。

わたしも彼もお酒が好きで、
一緒に食事をする時間は大切にしている。

「うまい!」

この声が揃ったら、大成功。
食も酒も大いに進んで幸せな時間になる。

両目が黄味なのに飲酒して、飲酒させて。
と罪悪感に陥らない事もないのだけれど、
彼の話をしっかり聞いてわたしは納得した。
キミな眼も飲酒する彼もまるめて彼だし、
そこも大好きだから。
1日も長く1日でも幸せに輝ける祈りを
したはずだけれど。

矛盾だけれどそうでない。
彼が彼らしく最後まで輝くためには、
意志を尊重してそれに伴走すること。
わたしは笑顔の八郎川で決意したんだから。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

彼は料理を作るのが好きだ。
けれど野菜を刻むのが不得意で、
もっぱらわたしが包丁を手にしている。
彼は味付けが得意で絶妙な味変を行う。

肉じゃがや、トマト煮なんかは最終的には
カレーに行き着く。
それが、彼の味付けのセオリーで。
料理の楽しみをシェアできる事が
わたしの幸せの一つでもある。

話は変わって、ここにきて、
彼のお夜食の存在を知った。

夜中の集中した時間にうどんやら蕎麦やら、
カップラーメンなんかで空腹を満たしている
みたいだ。

彼の疾患の場合、
食べることが体力をかなり消耗してしまう
らしい。だから分割して少量を複数回
食べるのが好ましい。
彼を見ていると食後の休養も治療の一環で
食後は横になっているのも理にかなっているの
かもしれない。

「この昆布、めちゃくちゃうまい」

大阪から持ってきた「神宗」 の昆布の佃煮は
彼をときめかせた。
知る人は知っている、
大阪おもたせ上位の塩昆布。
昆布の肉厚に山椒の実がピリッとアクセントを
与え、次々と白ごはんを栗皮色に染めてゆく。
シンプルにご飯に乗せて食べるだけで幸せな
逸品。

彼は人に何か作ってあげる事が愛情だと
言った。それを受ける事ばかりでなく、
自発的に創作する事が彼の満足感を満たす事
でもあるという。

食後、彼が眠っているあいだ、
わたしは彼にならって、愛情
「昆布おにぎり」をギュッギュと握る。

眠るわたしの横で彼がそれを頬張りながら
愛情を感じてくれたなら。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

先日、彼から一眼レフをもらった。
それを持って、このまちをブラブラするのが
最近のわたしの楽しみだ。
まだ、カメラのことがよくわかっていないので
オート機能に頼っているけれど。

何気ない道路、信号、ガソリンスタンド。
それもこの町を背景にすると、絵になる。
街路樹だって立派な背景で趣がある。

ファインダーをのぞくと、
緑緑しい山が迫って見えるのだけれど、
まだわたしの力ではその壮大さを
描くことはできない。

ふと。この景色。
わたしはいつまで見られるのだろうか。
わたしの人生、残り数十年、
ここに居続けるのだろうか。

不思議な問いを自分に投げかけながら
ファインダーを覗く。
ここを終のすみかにするのなら、
こうしてこの町を切り取る事も必要もない。

だけど、彼と過ごした町の風景だから。

昨日、お昼寝をする彼が臍を出して無邪気に
寝入っていた。
そのお腹はカエルのお腹のようで、
正直ショックだった。
少しずつ少しずつ病は彼を冒していくのだと
気づかされた。

それを見たからなのか。

彼との時間を大事にしたい。
だから彼との思い出をこうして綴っているの
かもしれない。

今日は彼の黄身をまとった背中を拭いてあげた。
やっぱりキミが好き。そう呟きながら、
幾度も幾度も背中を摩った。

彼の気持ちいいという言葉に
愛情を感じながら。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

楽子ちゃんと最期すごせたから幸せだったよ。

こんな言葉が聞かれることを、
わたしのゴール設定にしようと思った。

明らかになっていく新しい症状に
焦りはじめたわたしは、
今朝、彼にもう気持ちが破綻してきて辛いと
思いをぶつけてしまった。

彼も彼の病気も
何も悪いことをしていないのに。

「嫌悪感を持った」

何もかも理解していると思い込んでいた彼は
わたしに憎悪の気持ちを持ったらしい。
そうしてこうも続けた。
一番そう思っているのは患者の俺だから。と。

受けとめるのに時間を要したけれど、
彼の言葉は重かった。
自分の行く末も怖いし、
見守ってくれるパートナーをそれで苦しめる事
も辛いだろう。
閉塞感を持っているのはわたしではなかった。

彼の最後の仕事として、
物書きとして輝ける事をサポートする。
わたしもそれに華を添えられるよう、
こうして何かしら物を書く事に真摯に
取り組む。

それに尽きる。

わたしは彼の夢に賭けた。
彼の夢がわたしの夢でもあるし、
もしもわたしの個の夢が叶った時、
彼は喜んでくれるだろうと思っている。

焦り癖のあるわたしは
先先を見通してしまう癖がある。
それは夢を狭める見通しだ。
けれど彼とわたしの夢は無限にある。

いつか冒頭の言葉を、もらえることを信じて。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇

今日の長崎は好天に恵まれぐんぐん気温を
あげた。たまにはと彼が買い物に手をあげた
けれど、熱気と直射日光にやられたらしい。

崩れるようにソファーにへたり込んだ彼。

「もうダメだーー」

とエアコンの温度を十何度に下げて、
しばらく動けないでいた。

昨日、
八郎川のせせらぎを眺めながら彼のことを
考えていた。そこで思ったことは、
「彼がどうなのか」より
「わたしはどうしたいのか」と言う事。

以前、文章の話になった時、
余命と寿命の違いは? と面白い話になった。
今、彼が書いている文章にそれをテーマにした
ものがあるらしくて少し話し込んだ。

もしも、余命というのがあったとして、
全うすることに心血注ぐのが美徳だと、
わたしは思い込んでいた。

目の前の八郎川のせせらぎは淀むことなく
行く場所に川の流れはあって。
何か気づかされる感覚に陥った。

川の流れと同じように、
寿命という区切りがあり、その先に出立という
続きがあるのだよ、
そんな言葉をもらった気がした。

この体験でわたしはぐんと気持ちが
楽になった。
彼に対しても焦りを持つことはなく。

今日も体力が消耗されても彼がしたい行動に、
心から許可ができた。
長崎は今日も晴れ、
わたしの心も晴れ渡っている。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

夏到来、といった今日の空は、澄み渡る水色の
空にコポコポと入道雲が浮かんでいる。

カメラを手にその空の一部を切り取ってみた。

「見上げるという構図は、幼い頃世界を見た
記憶を想起させる。
だからノスタルジックな画になるんだよ」

今日は一緒に買い物に出たので、
彼のカメラ講座を少し受けた。
こんな何となく何にもない日常にわたしは
ときめきを感じていて。

わたしたちの頭上に広がった青空のブルー。
彼がこよなく愛する色、青。

誰かから、
青は優しき愛の色だと聞いたことがある。
稼動を始めたわたしたちの社名にもBlueの
文字が入っている。

文章をはじめたい人や、
文章を発表できないでいる人たちに
何か手伝えたら、と彼が立ち上げた。

もちろん、彼とわたしも執筆をしながらに
なるのだけれど。
あくまでも教えるなんておこがましくて、
一緒に文章を綴っていこうと考えている
らしい。

そんなスタンスにわたしは彼の優しさや、
愛を感じている。

彼から教わった、文章術。
言葉を大切に扱うこと、それができれば自分
をも大切にできるのではないかと思っている。

言葉を探して、言葉を見つける。

簡単なようで難しいけれど、
ひとつひとつ紡いで文章にして。

母が子を育てるように、
丁寧に言葉が綴られていくから、
わたしは前よりも優しくなったのだと思う。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

昨夜は、
夜空にかかる雲がなく満天の星が瞬いていた。
夜中に買い物に出るという彼について行った。
そっと手を伸ばす彼、
わたしたちは手を繋いで目的地まで歩いた。

初めて手を繋いだ日。
彼はゲームと称して手を伸ばした。
温かみのある手で握ったら握り返してくれて、
まだ何も始まっていないふたりの「何か」 
始まりを予感させる歩道での出来事だった。

「いい年のおじさんとおばさんが手を繋いだら
恥ずかしい」

と、次第に手を繋ぐことを拒否したりして
先に先にズンズン歩いていく事もあったりした
のだけれど。
ここにきてわたしと手を繋ぐ際には、
「安全装置」 
のような位置づけに変わってきたようだ。

交通量の多い道路の横断だったり、
夜道の暗すぎる狭い歩道だったり、
エントランスまでの階段だったり。
何かと危険と隣り合わせの場面で、
よくふたり手を繋いでいる。

彼はわたしがみてもだんだんと筋力が
低下して、
こう言った場面で瞬発的に危険を回避すること
が難しくなってきている。
痩せも進んでいるみたいだ。

けれどわたしは、今でも手を繋ぐと、
ときめきを感じている。
あの日握ると握り返してくれていた彼の手は、
今は、つまずきそうなシーンなんかで
強く握ってくれる。

彼の気持ちが手を通って伝わるのも、
わたしには信頼の証に思えて愛おしい。

だから満天の星のように、わたしはこれからも
彼の歩む道を照らし導こうと思う。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

昨日、あざやかな茜色が空を染めた。
時間ごとに変わる景色を彼と眺めた。
条件が揃うと出会えるこの景色。
わたしたちはこれから幾度となく見て行く
だろう。

彼と文章の話をしていて、
「言霊(ことだま)」の話になった時のこと。

言葉には宿っていると信じられていた
不思議な力があるらしい。
口にした言葉通りの結果をもたらす事があると
いうのが、いわゆる言霊と言われる話で。
彼はそれを信じているらしい。

一度、
彼をモデルにした小説を描いたことがある。
話の流れ上、彼のモデルが早く亡くなって
しまう物語を描いてしまった。

その時は言霊のことも気にしなかったし、
登場人物たちにも乱暴だった。
それに対して、彼から厳しく言葉の使い方を
指摘されたことを覚えている。

「おれを、ころすな……」

なんて笑いながら言っていたけれど、
言霊を信じる彼にとってどんな
心持ちだったろうかと、今思うと残酷だった。
わたしは何も心遣いのできる人ではなかった。

「黄身が好き」 を書くにあたって、
悲観する未来を描くより、明るい今日のこと、
彼とのキラキラした思い出。
そんなことを綴っていきたいと思いはじめた。

言霊の力を信じて、
いつまでも未来あるふたりの時間があることを
残したい。
今日ある事が奇跡なのだから。

茜色の夕景が
光り輝く満天の星空に変わるように、
未来は輝いている。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

今日も日差しが強く、屋外では数分歩くので
さえ、はばかられる陽気だった。
彼は親戚の家へ出かけて行った。

久しぶりのひとりの時間をすごす。

今まで失ってきたものの事を思い出した。
10年前に離婚した元夫。
そして一昨年手放した愛娘のこと。

彼らを愛していた。深く、誠実に。
その愛ゆえに干渉が過ぎた事が離別の
原因だった。
干渉というよりもわたし自身を押し殺して彼ら
に愛を注いでいたという方が正しいだろう。

それが正義だと思い込んで。
誰にとっての正義なのか、今やわからない。

わたしは人の評価を気にする気質だったから
そんな正義を世の中に振りかざしていたの
だろうか。

全て剥がされ裸になってしまった
わたし自身は、
嘆くことしかできなかったけれど。
嘆いて嘆いて手に入れたものが「書くこと」 
だった。

わたしらしく生きるために、
書く事が今のわたしの正義であり
わたし自身なのだ。

彼のいない夜長にとりとめもなく歩んできた道
を辿ると、もうわかったよね、過干渉は
もういいんだよ。と聞こえた気がする。
あるがままを受け止めて、抗う事なく
流れ行く。

好きな時に好きな文章を描いて、
文章から学びを得て、成長していこう。

わたしらしい時間がこの長崎から始まる。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

今日は八郎川を撮りに買い物の足を伸ばした。
木陰にいると、暑さをしのげるほどに、
蒸し蒸しとしていなかった。
川の流れは緩やかで、優しそうに見えた。

川に問いかける、優しさとは。

水面が答えてくれるように一つの答えが
思い浮かんだ。

「優しさとは強さ」

芯がなければ、優柔不断などっちつかずの
優しさになってしまう。
それは優しさをかける相手にも有益には
ならない。そんな答えにありついた。

下手な優しさをかけてもわがままに育つだけ、
かと言って放り出すのも愛とは違う。

優しさをかける事はもしかすると難しい事
なのかもしれない。

「楽子ちゃんは優しいから」

友達から言われるたび有頂天になっていた。
よく考えると芯のある優しさだったのかは
わからない。

まず、自分に優しくあるか、問うてみる。

わたしはそれができなかった。
自分を犠牲にして優しくする、
本末転倒だった。

自分をも優しさで包んであげる事が
できたなら、
相手へまっすぐな愛を持って、
芯のある優しさを渡す事ができるのでは
ないか。

自分を自由に解放して、強さと優しさで、
帰ってくる彼を待とうと思う。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

週末、受診し経過観察の結果を持ち帰ってきた
彼は清々しくみえた。

客観的にみてもこの2週間で、生き生きと
暮らしている。
相変わらず黄身をまとっているのだけれど。

最近は食欲が湧いてきたことや、
まとまった睡眠リズムになりつつある。
少しずつ日常生活が変わってきたからか、
彼は元気だ。

前回のテーマ、言霊の続きだけれど、
わたしは彼と「生きるため」 に長崎に
やってきたのだと、意識を変えた。
そして彼の調子もすこぶるいい。

「意識すること」 はとても大事なことだと
思う。
わたしたちには健康な無限の未来が
まずあること。
その未来にわたしや彼の筆力の無限性も
秘めているのだと意識する。

時折、マイナスな思考、言動になって
しまうこともある。
けれど、彼がそれを是正してくれ、
ハッと気づかされる。

そんな日々を過ごしていると、
気づかない中で、
わたしは気持ちのいいコトバに囲まれ暮らして
いる。

「黄身が好き」 の最初の頃と、
気持ちがだいぶ変わってきたように思う。

わたしは彼を看病するために来たんじゃない。
共に暮らしてゆくため、
お互い切磋琢磨し刺激し合って文章の道を
歩んでゆくために、やって来た。

意識してきて、
元気になりつつある黄身の明日を願って。
そしてわたし自身の明日を
意識できるようになったことに感謝して。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

南方に控えた発達した台風の影響なのか、
雲ひとつない青空が長崎の天頂を覆っている。外は暑く、
溶けてしまいそうな陽気の時間が体力を奪う。
朝夕は比較的涼しいのだけれど。

長崎に来て、考える事があった。

わたしの終の住処はどこになるか。
もう大阪に戻っても、何もない。
覚悟を決めてやって来たのだけど、
腹をくくれたかと言われるとぐらついていた。

今日、アルバイトの面接を受けた。
早速採用の返事をいただいた。
これで、やっとこの土地になじむ、
そんな手応えが今ある。

わたしはこの土地の人間になるべきだと
言われた気がして。

「彼がいるから、わたしはこの土地にいる。
住民票を移したから長崎の人なんだ」

これだけでは弱い気がした。

わたしはわたしのために長崎を選んだし、
この場所をこれからも愛していくのだと思う。
この土地に根差して活動できる機会を与えて
もらえたことに感謝して、
腹をくくろうと思う。

この空、この山、この空気。
すべてが両腕を広げて。すべてが優しい。 

わたしはここにいて良いし、
彼といつまでもここでの暮らしを楽しんで
ゆくはず。

このところ夕景が幻想的な瑠璃色をもたらす。

彼の好きなピンクから藍色にかかる
グラデーションが見事に美しい。
情景を阻む電柱も電線も看板も全て好きな
長崎。
そんな長崎にわたしはいつまでも暮らして
いきたい。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

今日も快晴、空は青い。

大阪では聞かないひぐらしが、朝夕と
鳴いているし、
夕方になればツクツクボウシの声も聞かれる。
セミの鳴く山を背にした事務所での暮らしも
3週間になろうとしている。

長崎の夏は他府県とは意味合いのちがう時間が
ある。8月9日11時02分。
町は祈りにつつまれる。
歩いている人も足を止め、
車を止めて黙祷を捧げる人もいるらしい。

彼が長崎にきて知った光景だった。
それを今日話してもらった。

日本人なら
何が起きた日なのか知っているだろう。
たくさんの犠牲者を悼む日で、
平和を願うことも理解している。

けれど原爆投下の日だったり終戦の日に祈りを
捧げることが当たり前のこととして
行動できているかと言うと、なかなか難しい。

先日、浦上の方へ赴いたこと。
その教会には被曝したマリア様の頭が
そっと安置されていた。
何を言うでもなく、
損傷したお顔には訴えるものが見えた。

浦上地区はそんな町で、憂いをまとっている。
そこへふと立ち寄ってみることが出来て、
今ある平和に感謝できる町が
ここ長崎なんだと思う。

縁あってやって来た町には、
3度目がないように願う時間があって、
わたし自身それを発信する必要があるのか
とも感じた。

健康あっての今日で、
平和のもとに成り立っていることに
感謝をする。

当たり前を生きる事は実は当たり前ではない。
それを気づかせてくれる夏の日が
もうすぐ来る。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇

長崎の空はひらけていて、
その広さはこわいぐらいに青くわたしを包む。
昨日、散歩に出かけた際そんな広い大きな空に
出会った。
大阪にはない景色がここにはある。

そんな長崎にきて「黄身が好き」 を書いて
来た。

当初は彼との時間を記しておきたい、
彼への愛を確かめたい。
そんな動機から書きはじめたのだけれど、
ある日を境に筆の向きが変わった。

「わたしはどうしたいのか、
どう生きていきたいのか」

「彼は彼、わたしではない」

そんな言葉がわたし自身の中から溢れて来た。
大阪で、ムスメと離れて、
わたしは主体を無くした屍のようだった。
ここに来ても同じように主体がムスメから彼に
変わっただけのようで。

ところ変わればわたしも変わるではない
けれど、わたしは錯覚に陥っていた。

彼は、
今日も黄身をまとっているけれど、
しっかり眠り、しっかり食べている。
深夜には文章にも向き合っているらしい。
こんなに彼に変化があるとは思っても
いなかった。

わたしはこの長崎で、
こうして筆をとって書き続けたい。

もちろんいつまでも黄身をまとった彼と
一緒に。

長崎の空はおそろしいくらい広く
わたしたちを包む。
緑緑しい山々は今日もセミの声を響かせて
八郎川へと風を下ろす。
八郎川の流れは海へと流れ着きながら、
かすかに涼しさをもたらしてくれる。

そんな場所でわたしは生きていくから。



                  (了)



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