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いつまでも心に残っている先生

今日は16年ぶりの小学校の同窓会。

小学校5年生と6年生の二年間。担任を持ってくれた先生が来年定年退職するとのことで集まりました。

もう60歳だというのに、先生はいつまでも変わっていなくて、あの頃のまま。

ピーターパンみたいにいつまでも純粋な先生です。

遊んでばかりいたクラス

小学校5・6年の時の思い出は、勉強していたことよりも、みんなで楽しく遊んだ記憶しかありません。

雪が積もった日には「えぇ!先生プリント作ったのに〜!」と言いながら、授業をやめて、みんなで雪合戦したり、夏には本気の水のかけ合いっこ。

毎月のようにクラスのみんなで本気のお店屋さんごっこ!(フライドポテトあげたり、フランクフルト焼いて、チケット作ってと…)

私たちがこれしたい!と言ったら「えぇ〜!」と言いながら、いつでも要望に応えてくれました。

隣のクラスの先生からは「3組騒がしい!!」とよく先生が怒られていたのも、懐かしい思い出。

ほんとに仲間と楽しく過ごした思い出ばかりです。

今の学校は遊ぶ時間がない

「あの頃は楽しかったなぁ」と先生は言います。

変わったのは、土曜日も学校が休みになった頃から。

授業のカリキュラムが詰め込まれ、今は授業をこなすのに精一杯!

こうやってクラスで遊ぶ時間がない。

ましてや、小学校で英語やプログラミングが必須科目になってきて、さらに学校の授業はしんどくなってくる。そして、先生も時間に追われていると…

その話を聞いて、なんだかなぁ…

型にはまったカリキュラムよりも、こうやって仲間とワイワイする時間を子どもの頃にたくさん経験してほしいと思うのはわたしだけ??

授業をやめて雪合戦なんてしてるのがバレたら、今では親が怒ってくる。

どんどん学校教育に自由度がなくなって、型にはめられた授業ばかりが子どもにとって果たして良いのだろうか??

そう思えてくるのです。

毎日子どもたちに「おたより通信」を作ってくれた

そして、先生との思い出はもう一つ。

毎日、子どもたちに向けて「おたより通信」を書いてくれた。

私たちが書いた日記でよかったものをみんなに紹介するために、全て手書きで書き写して、プリントしてくれた。

「あの時、コピーして貼り付けたらよかったのにって思ってた」

とある子が言った。

そのことに対して、先生はこう言った。

「こうやって書き写すことで、さらにその子の書いた言葉の意味を理解することができて、楽しかったんや」

と…

泣けてくる。

また、この通信の意味は、一人ひとりの良さをみんなに知ってもらいたいという思いでやってきたとのこと。

先生との交換日記だけだと、2人だけのやりとりで終わってしまう。

「そんなのもったいない」って教えてくれた人がいたんだって。

みんなで共有することに意味があった。

小学校の頃は、そんな先生の思いは知らずに、毎日渡される「通信」を楽しみにしてた。そして、親もそれを見るのを楽しみにしていた。

そして、今思うのは、このクラスがこれだけ仲が良かったのは、この「通信」があったからだと思う。

クラスにはいろんな子がいた。

でも、いじめたり悪口言ったりする子が一人もいなかったのは、先生のこの「通信」があったから。

「通信」でいろんな子の日記を読むことで、この子はこんなことが好きなんだ。こんなことを考えているんだ。と知ることができた。

人には悪いところもあれば、良いところもある。ことを知ることができた。

だから、このクラスは仲が良かったんだと思う。

先生は「このクラスはほんといい子たちばかりで、先生は幸せ者だった」と言うけれど、そんなクラスにしてくれたのは先生だと思う。

気負わず、楽しく

この「通信」は、私たちのクラスを受け持つ前にも書いていたけど、その頃は、肩に力が入っていて、毎日「書かないと!」と思いながら書いていたから、書くのに2時間とかかかっていたんだって。

ちょうど30代半ばに差しかかって、肩の力が抜けてきた頃に、このクラスを持って「書かないと!」て思うことはなく「毎日書くのが楽しくて仕方なかったから、大変と思ったことがなかった。」と…

「書かないと!」って思っていたときは、あれだけ時間がかかって書いたのに、全然子どもたちには伝わらなくて、良いものが書けなかった。

それが、肩の力が抜けて、なんとなーく書くようになったら、楽しくて仕方がなくなって、気づいたら、クラス全員の共通の楽しみになった!

それすごくよくわかるなぁと納得してしまった!

私も、ブログを書かないと!って思って書いているときは、全然良いものが書けないのに、ちょこちょこって書いた記事にコメントをもらえたりする。

頑張ることに意味はなく、自分が楽しいと思うことを続ける。

ただ、それだけなのかもしれないな。

楽しんで続けた「通信」は、私たちが卒業した後も、また違うクラスで続けられ、先生はこの「通信」があるから、子どもたちは大丈夫!という安心感があったそう。親とのつながりもでき、紙切れ一枚で親と子どもと繋がれる。

なんだか、素敵だなぁと思った。

「通信」これがあったから教師を続けれこられたと。

こうやって、この先生がいたおかげで今の私がいる。

そう思える先生に出会えた私は幸せもの。

これから、子育てで悩むこともたくさんあると思うけど、この先生の子どもたちの思いを思いだすと、なんだか頑張れそう。そう思える1日でした。

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