宮部みゆき『ペテロの葬列』 読書所感
こんにちは、保険の仕事をしつつ、お金の教育を普及させたい らくいこです!
知人に薦められて読み始めた宮部みゆきさん。
前回は《火車》という本の読書感想的なお話をさせていただきました。今回は、《ペテロの葬列》についてです。
※一部ネタバレも含まれます
《ペテロの葬列》 著:宮部みゆき
このペテロの葬列は、杉村三郎という男性が主人公で、彼が登場するシリーズものです。このシリーズの3部作目がこのペテロの葬列です。
~あらすじ~
概要としては、杉村三郎さんは、大企業の会長さんの娘さんの旦那、つまり婿に入っている、マスオさん状態ですね。
そのコネでその大企業の一員になっているというような微妙な立ち位置の方です。
その彼がある用事でバスに乗ったときに、その中に一緒に乗っていた老人が、バスジャックを行う。
その目的は何なのかというと、悪人である3人を探してほしいと。
別に身代金を要求するわけでもなく、そのある3人を探してほしいということを目的にバスジャックをしたっていうことだったんですね。
で、そこから話は進み、そのバスジャック事件は解決するんですけども、その後、バスジャックされていたときに人質になっていた乗客たちに小包が届く。それは、この事件が終わったときには、慰謝料としてこの人質となった人たちにお金を送るっていうことをその老人が言っていたお金。
突如として舞い込んできた大金にそれぞれが動揺していた。その慰謝料を受け取るか受け取らないか、どう使うか使わないかっていうところで、その人質たちがそれぞれ連絡を取り合い、そもそもこのお金は何なのかっていうところを調べる。
その調べ始める中で、老人とあるマルチ商法がらみの事件が関連していることが発覚。その事件を調べていくうちに、老人や探して欲しいといった3人の謎が解き明かされていく…。
大金が舞い込んできた人の心の動き、職場や家庭内の人間関係、それぞれの正義や感情が入り乱れて、自分だったらどうするだろうと考えさせられる小説でした。
宮部みゆきさんの本は、まだ火車とこのペテロの葬列だけしか読んだことがないですが、いつもこのラストの数ページにめちゃくちゃ大どんでん返しというか、今までのページは何だったのっていうぐらいの衝撃がいつも隠されてる気がします。
「ペテロの否認」
このタイトル、ペテロの葬列っていうタイトルがついてるんですけど、このペテロというのはイエスキリストの使徒、弟子ですね。
このペテロが、イエスキリストをすごく慕って信仰していて、自分はどういうことがあっても裏切らないとか、そういう信仰を誓っていたんですけども、実際にキリストが捕まりそうになった時に、キリストがペテロのそういうところを見抜いてですね、こんな予言をしたらしいです。
「今日、鶏が鳴くまでに、あなたは3度私を知らないと言います」
そのうちに、このイエスが捕まってしまう時が来るんですけど、その捕まってしまった時に、このペテロも一緒にいたらしいんですね。
ただその捕まる様子を見ていて、自分は一緒にいた人ではないという風に嘘をついて、その捕まえた人たちと一緒にいた、捕まえた人たちの輪の中に入っていったそうなんですね。
キリストだけが捕らえられて、その捕まえた人たちが庭で火をくべていた時に、温まっていた時に、その中にいたある女の人に、あなたもイエスと一緒にいませんでした?
みたいなことを言われたらしいんですね。
そしたらペテロは、「いや、いません。あの人は知りません。」ということを言ったらしいんです。
その中にいたもう一人の男性に、「いや、あなたも一緒にいたじゃないか。」ということをまた疑われて、また、「あなたの言っていることはよくわからない。」と嘘をついたそうです。
そしてまた最後、「いや、あなたはいたはずだ。あなたはイエスを知っているはずだ。」
と言われた時に、「あの人を知らないと」、ペテロは3度目の嘘をついたそうです。
その際、イエスは嘘をついたペテロを振り返って見ていた。
捕まる前にイエスが予言していた、「あなたは3度私を知らないと言います。」というのが本当になってしまった。その後、ペテロは自分が嘘をついてしまったことにものすごく後悔し、号泣して悔い改めた。
それが「ペテロの否認」という有名な話らしいです。
自分は絶対に裏切らない、誓ったはずなのに、保身のために嘘をついてしまった。イエスにはその心の弱さをも見透かされていた。。。
その場面、心情が1枚の絵のなかに表現されている「ペテロの否認」
この内容を知ってから絵をみると、絵から会話が聴こえてくるような、今にも動き出しそうな絵にも見えてくるのが不思議なものです。
ペテロの葬列のキーワード
このペテロの葬列のキーワードとなるものが、僕の中で思ったものが3つあります。
1つ目がお金。
登場人物の中でも、詐欺に遭って大金をなくしてしまう人、マルチ商法で詐欺行為を行っている人、突如として舞い込んだ大金に心を奪われてしまう人など、お金に囚われて自分自身や人生を見失ってしまう人が多数描かれています。
お金はあくまで道具。その道具をどのように使うか、なんのためにお金を手に入れるか。お金自体には色はないのに、生活がかかっていたり、騙したお金、騙されたお金など、感情が入り込むことによってお金の色が変わる。そんな描写がされていたように感じます。
そして2つ目が正義と悪。
読み進めていくと、正義と悪というのはかなり紙一重だなと思いました。
やっぱり正義というのはそれぞれの、その人自身の正義である。あの人は悪い人だって言われたとしても、その人は自分の正義があってそれを思ってやっているだけで、それが悪いと思ってやっていることじゃないですよね。
自分が正しいと思ってやっていることが正義なので、その正義と正義のぶつかり合いで争い事が起きてしまう。それぞれの正義を持っている状態でその正義を貫き通すのか、またはその正義に自分自身に嘘をついて何とか事を収めるのかという心の動きというのがすごく、この小説の中で感じました。
この正義と悪というのも、さらにお金というものが絡むとかなり曖昧になってきて、自分の正義を守るために悪に手を染めてしまうということもリアルに描かれているんですね。
そして3つ目が、嘘。
嘘を小説に当てはめてみると、この小説には様々な登場人物がいるんですけど、やっぱりそれぞれに嘘をついていたりするんですね。
人を騙すための嘘。
人を守るための嘘。
主人公杉村のような、自分の正直な気持ちに対しての嘘。
老人のように、自分が悪を生んでしまったことに対して、贖罪をするための嘘。。。
一度嘘をついてしまうと、その嘘を隠すために嘘をつき、それは加速度的に大きくなっていく。
小さな嘘も大きな嘘も、積み重ねると吐き出さずにはいられない。嘘をつき続けることは並大抵の人ではできない気がします。
それを強く感じた箇所が、包丁で刺されて死んでしまった高越の内縁の妻が、北見さんの家に訪ねるシーン。
状況的にいけば足立が捕まってしまうことが確実。誰にも言わなければ逃げられることもできそうでしたが、罪の意識に耐えきれず北見さんに連絡をしました。
まとめ
多かれ少なかれ、「嘘をついた」という罪悪感が頭の片隅にあって、それが常に感じる人もいれば、ふとしたときに思い返されてそのたびにモヤモヤしてしまう人もいる。
ただその罪の意識も、常態化してしまうと、罪の意識も薄れ、いつしかそれが自分の正義を守るための盾ともなるかもしれないと思いました。
そして、罪を償う贖罪も、自分の心を軽くしたいだけのエゴなのかもしれませんね。そんなことを考えさせられた小説でした。
この杉村シリーズは、このペテロの葬列の前に、「誰か」「名もなき毒」というものがあるので、シリーズものを初めから見ることでまた違った視点がでてくるかもしれません。
それらも読了した際は、所感を書いてみようと思います😊
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ではまた!
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