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落語ラン vol.11 「蔵前駕籠ラン」

蔵前というと、私のような地方出身者にとっては「蔵前国技館」ですね…。1985年に両国国技館がオープンしましたので、1984年が最終年です。今回、調べてみたら蔵前最後の優勝力士は秋場所での多賀竜(平幕優勝)。そして、新日本プロレスでは1984年IWGP蔵前決戦で、猪木VSハルクホーガン戦に長州力が乱入(長州が乱入し、猪木とハルクホーガンにリキラリアットを見舞って帰った)し、再延長戦の末猪木が優勝という壮大な「事件」が起きています。
今回は、蔵前国技館とはまるで関係がありません…。

あらすじ

時は幕末。暮れ六つを過ぎると、【蔵前】通りに追いはぎで出るという。「我々は由緒あって、徳川方の浪人である。軍用金にいささか事欠いておる。」と有り金残らず奪われるというのだ。駕籠屋も怖くて暮れ六つ以降は営業自粛。そこへ、こういう時こそモテたい男が「女郎買いの決死隊」として一計を案じて駕籠で向かうが…。

ランニングコース

蔵前→吉原

蔵前

蔵前というのは、幕府の御米蔵があった訳で、隅田川沿いをランニングしている時にも当時の絵図などが貼ってあります。大川に櫛の歯のように桟橋が出ていて、そこに全国から船で米を運んで来ていた訳ですね。今から考えてもかなり壮大な事をやっていた訳です。そもそもの名前は「御蔵前」であって、今の「蔵前」を使うようになったのは昭和9年からと記述があり、意外な感じがしました。ちょうど旧蔵前国技館跡地(今は下水ポンプ場)の向かいに「首尾の松」があります。説明の看板を見ると、その名称については色々な説があるようですが、猪牙船で吉原に向かった客が帰りの船中で松を眺めながら首尾を語ったという説がしっくり来る気がしますね。今の蔵前は「東京のブルックリン」と呼ばれるほど、おしゃれなショップやカフェが増えて来ましたが、私としてはもう少し蔵前の歴史も知りたいところです。

0)浅草御蔵跡

1)蔵前蔵見取図

2)蔵前

3)首尾の松説明

4)首尾の松

吉原

吉原ネタもあまり無くなったので、山谷堀ソバの今戸神社、吉原近辺の吉原弁財天の写真を載せておきます。今戸神社は、最近何かのテレビででもとりあげられたのでしょうか?若い女の子がたくさんいました。

5)吉原弁財天?

6)吉原弁財天

7)今戸神社鳥居

8)今戸神社全体像

9)今戸焼発祥の地

10)今戸神社由来

マップ

https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.701271986480265,139.79274274775116,16/aid=aa10c3/


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