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落語ラン vol.10 「五貫裁きラン」

「五貫裁き」は、私の好きな神田の町を取り巻く噺で、良く聞いています。ただ、今回は五貫裁きランと言いつつ、距離的にはとても短いです。散歩コース。ただ、大岡裁きで有名な南町奉行所との距離感覚や位置関係を知るには良いコースではないでしょうか?

あらすじ

【神田三河町】の八公。人生を立て直すため八百屋を開こうと一念発起。家主太郎兵衛のアドバイスもあり、今でいうところのクラウドファンディング、奉加帳を持って町内から出資を募りに出かけたのだが、すぐに血だらけで帰って来た。聞くと、最初に【神田鍛冶町】の質屋「徳力屋」に行ったところ、番頭が3文、主人の徳力屋万衛門に至っては1文しか付けない。怒った八公が文句を言うと、万衛門からキセルでこっぴどくぶたれたという。家主は理不尽さに怒り、願書をしたためて【南町奉行所】の大岡様に訴え出たが、判決は意外なものだった…。

ランニングコース

神田三河町→神田鍛冶町→南町奉行所

神田三河町

岡本綺堂の「半七捕物帖」の岡っ引き半七親分が住んでいたのが神田三河町です。落語の世界でも三河町の住人?は多く、「大工調べ」の与太郎さんや大家さん、「火事息子」の大店(伊勢屋)、「唐茄子屋政談」の伯父さん、などがそうでしょうか。神田三河町は、今の内神田一丁目と美土代町界隈と思われます。家康公の入城に際して同年(1590年)に三河国出身者に与えられた町なので、三河町と名付けられたそうで、調べてみたら昭和十年(1935年)までは町名として残っていたようですね(町名が残っていないのは残念な限りですが…。)。三河町のランドマークって、どこなんでしょうね?ここでは、以前少し有名になったお店の写真を挙げておきます。

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神田鍛冶町

お隣の紺屋町や竪大工町と違って、神田鍛冶町はあまり落語に出てくる場面がありません。ただ、この噺に出てくる「徳力屋」は現存します。落語では、かなりケチんぼの質屋として描かれていますが、本業は貴金属や希少金属の商いで、例えば競馬の天皇賞の盾なども造っていた時期があるようです。夜神田を徘徊していると、夜空に青白く「徳力」の文字が輝いているのですが、本社を訪れると実に立派なビルでまだまだ健在です。

2)徳力屋看板

3)徳力ビル入り口

4)徳力ビル

南町奉行所

南町奉行所は、今の有楽町駅の辺りにありました。有楽町駅前の日本で一番売上が高い吉野家の前、ITOCIA前の広場にひっそりと碑が経っていますが、地下に入っても少し解説文があります。ちなみに、北町奉行所は東京駅八重洲口の大丸の1階の辺りに碑がありますね。南町奉行所は、大岡越前守で有名ですが、奉行所そのものも設計したそうです(お奉行様は、江戸城と奉行所の行き来と各種事務処理、決裁で超多忙だったようですので、いかに大岡越前守の処理能力が高かったかということですね。)。
北町奉行所と南町奉行所の管轄は月番制で、たまたま八公たちが訴え出た月は南町奉行所の管轄だったということでしょうか…。

5)南町奉行所跡

6)有楽町駅地下

マップ

https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.69039795517841,139.76661266753328,16/aid=aae0aa/

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