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落語ラン vol.36 「悋気の火の玉ラン」

早朝、NHKの落語番組を見ていたら古今亭菊之丞師匠が「悋気の火の玉」をお演りになっていたので、早速ランしてみました。普段も走っている界隈ですが、あるテーマを持って走ると見えてくる景色も少し変わってきますね。

あらすじ

【花川戸】の鼻緒問屋、橘屋の主人は根が堅く遊びの経験がなかったが、ある寄合の後無理やり【吉原】に連れていかれる。楽しみを覚えてしまった橘屋だが、そこは商人。何とかお金が掛からない方法をと考え、【根岸】の里に妾宅を構えることに。最初は本宅に20日、妾宅に10日の塩梅だったが、本妻の嫉妬もあり、いつの間にかその割合が逆転してしまう。本妻の悋気の炎は燃え盛り、あの女のせいだと五寸釘で藁人形を杉の木に打ち付ける。それを聞いた根岸のお妾さんもならばこちらは六寸釘でと応戦。ならばこちらはと藁人形合戦も際限がない。「人を呪わば穴二つ」の例え通り、ある日お妾さんが急死、ほどなくしてご本妻も同じ日に亡くなってしまう。原因の旦那もさすがに落ち込み、葬儀を二つ出す羽目に。初七日もすんだ頃、吉原田んぼの【大音寺】前で二つの火の玉がぶつかり合うという騒動が起きる。この一件を聞いた橘屋の旦那、住職を伴い大音寺に向かうが…。

ランニングコース

根岸→吉原田んぼの大音寺→吉原→花川戸

根岸

根岸の里は、落語にも結構出てきます(例えば茶の湯など)。多くは、ご隠居さんや商家の旦那が趣味の家や妾宅を構える地域という印象です。「ねぎし三平堂」があることでも有名ですが、正岡子規が臥せていた「子規庵」もひっそりと存在します。カリエスで早逝した正岡子規はこの地で俳句を創り続けた訳ですが、現在の子規庵は戦災で焼失後復元されたものです。「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」で知られるように、今も糸瓜が育てられているようです。

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大音寺

大音寺の山号は正覚山。新吉原の遊女の投込寺の一つだったようで、この辺りは今でこそ国際通りに面して賑やかですが、昔はいわゆる吉原田んぼで寂しいところだったはずです。また、樋口一葉の「たけくらべ」に出てくる藤本真如の竜華寺はこの大音寺がモデルと言われています。

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大音寺。門は閉じていて中には入れないようです。

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大音寺向かいの鷲神社

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一葉記念館前の公園にある碑

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一葉記念館

吉原

この日は鷲神社から大門、見返り柳へ。

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花川戸

花川戸は、浅草の駅から待乳山聖天の方に向かう途中にありますが、今も履物問屋さんが多いです。もともと私は川に近い地域であるため、歴史的な経緯から皮革を扱う業者が転じて靴を売り始めたのかな?と思っていました。が、経緯は全く違っていて、花川戸の北側の猿若町にいわゆる猿若三座(中村座、市村座、森田座)が栄えたため、役者や芝居関係者向けの鼻緒職人が多かったことが由来のようです。また、鼻緒に使う麻紐が栃木から船で運ばれ花川戸で荷下ろしされていたことも大きいようです。花川戸と言えば「花川戸助六」と「幡随院長兵衛」ですが、いわゆる侠客の彼らを抱えるだけの度量がある地域だったということでしょう。

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履物の街花川戸


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