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落語ラン vol.21 「井戸の茶碗ラン」

「井戸の茶碗」は、登場人物が皆清廉潔白で、清々しい噺。何年か前の東京かわら版の巻頭エッセー「落語と私」でジェーン・スーさんが清正公の辺りを歩いて井戸の茶碗を思い出したというようなエッセイを書かれておられました。三木助師匠の持ちネタでもあり、一度は清兵衛さんの歩いたルートをなぞってみたいと思っていたところでした。

あらすじ

【麻布茗荷谷】に住む屑屋の清兵衛さん。清廉潔白な人柄であだ名が「正直清兵衛」。今日も【清正公(せいしょうこう)】脇の裏長屋で、身なりは粗末ながら器量の良い娘に呼び止められる。父親の浪人千代田卜斎は屑とともに古い仏像を二百文で買って欲しいと依頼する。普段、屑しか扱わない清兵衛さんは固辞するも、儲けは半々という約束でこれを引き取る。【白金の細川屋敷】のお窓下を通ると、声が掛かり、細川家の若侍高木作左衛門が300文で買ってくれる。高木は早速煤けた仏像をぬるま湯で洗っていると、中から50両の小判が出てくる。「腹籠り」と思っていた仏像には、50両が隠されていたのだ。高木は、何とか清兵衛を探し出し、卜斎にこれを返却しようとするが、ト斎もあの仏像は売ったものだと決して受け取らない。清兵衛の家主が間に入り、卜斎と作左衛門に20両ずつ、清兵衛に10両で一旦カタが付く。ところが、卜斎がお礼として送った使い古しの煤けた茶碗が「井戸の茶碗」という無二の名器であることが判明する…。

ランニングコース

麻布谷町→三の橋→清正公→白金の細川屋敷(→目黒)

麻布谷町

最初に井戸の茶碗を聞いて違和感を感じたのが「麻布茗荷谷ってどこ?」ということでした。で、調べたら「麻布谷町」のことですね。これだったら、分かります。今の「谷町ジャンクション」の辺りでしょう。はじめは今井谷村と呼んでいて、代官支配地から町奉行支配地に変わったようです。で、落語ランをやっていると、区によって昔の旧町名や旧跡に対する解説の丁寧さが全く違いますね。残念ながら港区は千代田区や文京区、新宿区よりは表示が少ないです。旧麻布の町名には面白いものもあるのですが、町を歩いていてもなかなか表示がありません。旧谷町は、箪笥町と隣接していたこともあり、古い町内の案内板には「谷箪町」などという表記がありました。恐らく合同町内会として運営していたのでしょう。周りをキョロキョロすると「久國神社」という割と古い神社がありましたので、ここをスタート地点としました。周辺には、アメリカ大使館の宿舎があり、東側から「ペリー」「ハリス」「グルー」という名称がふられています。ここから桜田通に抜けて白金方面を目指していきます。それにしても、谷町にあるのに「アークヒルズ」というのは何なんでしょうね…。

001)久國神社

002)久國神社

004)谷箪町会

画像4

008)谷町ジャンクション

谷町ジャンクション

009)グルータワー

グルータワー

010)溜池

家光公も泳いだというため池経由で清正公へ

清正公

「清正公」は白金一丁目の開けたところにあり、今も信号表記は「清正公」です。加藤清正公が朝鮮出兵の際に連れ帰った日延によって開かれた最正山覚林寺が正式名称です。山門の柱に「開運守護清正公太神儀御鎮座」とあるように、加藤清正公の御位牌や像が祀られています。千代田卜斎は、昼間は近所の子ども相手に素読の指南、夜は売卜で爪に火を点すような生計を立てていますが、これを清兵衛さんは「昼は瘡毒、夜は梅毒」で苦しんでいると聞き間違えてしまいます…(三木助バージョンにはありません)。

012)清正公前

014)覚林寺

015)覚林寺

016)覚林寺

017)覚林寺説明

白金の細川屋敷

覚林寺から桜田通りを渡って延びる坂を天神坂と言い、その突き当りを左に曲がると「二本榎通り」と呼びます。ここから伊皿子までは旧東海道であって、恐らく清兵衛さんもこの通りをメインストリートとしていたことでしょう。古地図を見ると、さすがに細川様のお屋敷は巨大です。まず、今の都営高輪アパート内に大石良雄(内蔵助)他16名の自刃の碑と終焉の地があります。また、ここから少し歩くと旧高松宮様の御所があり、今はご承知の通り仙洞仮御所として上皇陛下・上皇后陛下がお住まいです。そこから暫く走ると高輪区民センターの手前に「旧細川邸のシイ」が聳えています。高松中も含めた広大な敷地一帯が全て細川屋敷だった訳ですから、清兵衛さんは一体どこで作左衛門に呼び止められたんですかねぇ…。

白金マップ

出典:古地図 with MapFan

018)天神坂

019)古寿老稲荷神社

022)大石良雄等自刃の場所

023)大石良雄外十六人忠烈の跡

024)名前

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026)森の様子

027)仙洞仮御所

仙洞坂仮御所

028)旧町名

029)細川シイ

030)細川シイ

031)細川シイ

余談1

そもそも「井戸の茶碗」とは、何なのでしょうか?「茶道具辞典」によれば、以下の記述があります。

井戸茶碗(いどちゃわん)は李朝の時代に製作された高麗茶碗の1つと言われています。当時、日本の茶人に大変好まれた茶碗であり、「一井戸 二楽 三唐津」と言われた程の名器です。井戸茶碗の名称の由来は諸説あり定かではありませんが、有名な話として井戸茶碗を見込みから覗き込んだ時に井戸のように深くみえることから井戸茶碗と名付けたのだとか。井戸茶碗の魅力はなんといっても寂びた風景でありましょう。美術館が所蔵する名碗の数々を見ると、いかに長い歴史を経て今ここに現存していることをしみじみと実感出来るはず。実物をじかにみると、轆轤を使いながらも完璧な形状を保たず、偶然に出来たゆがみや割れ等が自然体で現れていることに感動するはずです。

出典:茶道具辞典(井戸茶碗の項)

そして、恐らくこの噺で出てくる井戸の茶碗は、以下の細川の井戸の茶碗で間違いないでしょうね。千代田ト斎は浪人の身とは言え、素晴らしい器を家に持っていたのです。

余談2

細川屋敷周辺をウロウロした後に、八芳園を抜けて目黒へ向かいました。八芳園脇には「桑原坂(くわばらざか)」があるのですが、残念ながら「その期限について、特別の説は残っていない」そうです。

036)桑原坂

032)立行寺

033)立行寺

マップ

https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.667507981071566,139.73832072681188,16/aid=2da10c/

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