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落語ラン vol.25 「芝浜ラン」

「芝浜」は三遊亭圓朝作の三題噺で、もともとはそんなに長いものではなく、軽い噺だったようです。それを三代目桂三木助がディテールの描写や立体的な構成によってしっかりとした人情噺に高めたと言われています。
それだけに、こんなにも主人公や、途中の情景描写、とりわけおかみさんの描き方が演者によって異なる噺も珍しいのではないでしょうか?(詳細は、「噺は生きている(広瀬和生)」に詳しいです)
当代の三木助師匠の芝浜も、11月末から先日までに計3回聞く機会がありましたが、お祖父様の三代目バージョンを踏襲しつつも、どれも微妙に構成が違いました。その意味では、芸事で「守破離」などと言いますが、守→破の過程に入りつつあるんだな、と思いました。
いずれにしても、色々あった2020年の走り納めとして、大晦日の芝浜ランでありました。

あらすじ

裏長屋(【新網町】と想定)に住む棒手振りの魚屋の勝五郎(魚勝)は、腕は良いのだが酒好きがタマにキズ。今日も女房に起こされ、しぶしぶ小魚を扱う【芝浜】の魚河岸に仕入れに出掛ける。ところが、魚河岸がまだやっていない。【切通し】の鐘の鳴るのを聞いて、「かかぁのやつ、一つ時刻(とき)を間違えやがった…。」、仕方なく浜で夜が明ける時の空の移ろいを見ながら待っていると、波の動きに漂う皮の財布を見つける。手繰り寄せると、ずっしりと重く、中には銭ではなく金が一杯入っている。一目散に長屋に戻る魚勝。女房と数えると四十二両ある。安心した魚勝は、酒を飲んで寝てしまう…。再び起こされた魚勝。女房に起こされ、魚河岸に行くよう促される。昨日の金があるじゃないかと反論すると、女房はエラい剣幕でそれは夢だと言う。さすがの魚勝もすっかり反省、改心し元の魚屋商売に戻る。もともと腕は良いので、信用も戻り、それとともにお得意様もどんどん増えていった。何年もしないうちに棒手振りを脱し、表通りに店を構えるほどになった年の大晦日、女房が見てもらいたいものと聞いてもらいたい話があると言い出した…。

ランニングコース

芝新網町→芝浜→切通し(約2キロ)

芝新網町

落語では魚屋の勝さんの住んでいるところに言及はありません。ただ、住んでいた地域は恐らく芝新網町辺りでしょうね。落語ランvol.6でも指摘したように、芝新網町は増上寺や東京大神宮界隈の様々な階層の住民が流入して来て、江戸時代から一気にスラム化が進んだようです。恐らく魚勝さんはここの長屋で暮らしていたことでしょう。ちなみに、寄席でも楽しめる「かっぽれ踊り」を定着させた願人坊主の豊年斎梅坊主もこの辺りに住んでいたようです。

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芝浜

落語では、マクラで「芝にも魚河岸がありまして、主に小魚を扱いました。」と紹介することが多いようです。例えば、芝で獲れる小さいエビだから芝エビですね。現在の芝四丁目15番の鉄道線路際に「港区立本芝公園」がありまして、そこの説明によれば、この辺は「雑魚場」と呼ばれていたようですね(JRのガードには「雑魚橋架道橋」との記述あり。)。近接の「御穂鹿嶋神社」には船着き場のようなものも見られます。なお「芝濱囃子の碑」が神社内に建てられていますが、揮毫は『笑点』の題字でも知られる橘右近さんですね。この公園そのものは、昔三菱自工のビル(建て替え中)の裏手にありますが、そもそも三菱自工のビルは勝海舟と西郷隆盛の「江戸城無血開城」会談の場所でもあります(少し前まで記念碑があったのですが、ビル建て替え工事のため、どこかに保管されているようです。)。

この付近は、芝の中でも、古川河口の三角州に、 江戸時代よりも昔から開けたところで本来の芝という意味で、本芝と呼ばれた。
 公園の位置は、東海道(現在の第一京浜国道)のうらあたりの海に面した砂浜で、江戸時代には、魚が水揚げされたので雑魚場(ざこば)と呼ばれた。
 明治5年に開通した鉄道は、軍部の意向で海上の堤防を走ったが、雑魚場はガード下から東京湾に通じていた。最後まで残っていた江戸時代の海岸線であったが、芝浦が明治の末から次第に埋め立てられ、漁業も行われなくなって海水が滞留したので、昭和43年に埋め立てて、本芝公園として開園した。 (出所)本芝公園掲示板より

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切通し

当代の三木助師匠も、朝の時刻を知らせる鐘を最初は「増上寺の鐘」でやっていましたが、どうも増上寺は当時は時の鐘を打っていなかったようでして、最近は「切通しの鐘」で演じられています。では「切通しの鐘」はどこにあるのか?愛宕二丁目に「青松寺」があり、そこに「鐘撞堂」があるのですが、それとは別に切通の鐘があったようです。モノの本では芝の正則学園の辺りにあったようなのですが、今回のランでは痕跡は発見出来ませんでしたので、もう少しリサーチしてみたいと思います。

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余談

神田神保町の餃子が美味しい「三幸園」の横に「魚熊」という魚バーみたいなのがあります。いつもここを通るたびに「恐らくここのオヤジは落語ファンで、志ん朝ファンだな。」とニヤニヤしてしまいます(志ん生・志ん朝バージョンは魚勝ではなく、魚熊)。

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マップ

https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.65406201794025,139.75654901920188,16/aid=4b0511/

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