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『それいぬ』の女生徒は、おはぎちゃん。


三島が好きだ。
三島由紀夫である。

彼の思想や価値観はまた別として、彼の文学作品が好きなのだ。

もちろん、思想や価値観が滲み出ているものが文学作品だったりもするのだけど。

気付けば、わたしは内藤新宿のとなりに居を構えている。

それは同時に三島の生誕・終焉の地の界隈にも触れているということで、図らずもそう成り得ている現状に密かに胸が躍るのである。

落語ファンとして。
三島ファンとして。



『美徳のよろめき』

一番好きな三島作品だ。

メロドラマの類にさして興味は無いのだが、この作品は特別に好きだ。



だって、“美徳がよろめいちゃう”んだよ!?

美徳なのに、よろめいちゃうんだよ!?

ウケませんか?←え。


“女性の高潔で秀麗な横顔”

“女性の醜悪で下卑た面影”

を重ねると、、、

あら不思議。

女性主人公が一層に“女性然”として描かれた作品として映えるのだ。


「ああ。なんて美しいんだろう」


中学二年生という多感な年頃に“この手のもの”に不用意に触れてしまうと、その後の人生に良くも悪くも大きな影響を及ぼすのだなと、万年厨二病を拗らせながら思う。←




「好きな作家は誰か?」と訊ねられれば、まごう事なく「三島由紀夫」と答える。

が。

「好きな文学作品は何か?」と問われれば、すかさず「太宰治の『女生徒』」と返す。


『女生徒』

女学生の独白のみで展開される独特な文章である。

主人公は、今までわたしが読んだ古今東西どの作中の女性よりも、“女性らしさ”に富んだ女の子である。

そして、最高に“乙女然”としているのだ。

『あの瑞々しい“乙女の呟きと溜め息”を生み出すことは、おじさんには出来ないはずだ。』

『本当に太宰治という男性がゼロから生み出した作品ならば、彼はなんと天才なのだろう。』

と当時現役女子高生のさや香は思っていた。

自分が女子高生だから尚更わかる。だって、あれは、“乙女のリアル”なのだから。




後から知ったのだが、やはり『女生徒』には元ネタがあったという。

それも、大宰のファンが女子高生時代に書いた日記だとのこと。

「なあんだ。やっぱり」

とがっかりはしたものの、それでも『女生徒』は、透明感に淡い甘い毒を混ぜて伸ばしたような、仄かな耽美さが秀逸な作品なのだ。

今でも時々読み返したくなってページを捲ることがある。

あぁ、コレは男の子には一生響かない内容だよなぁ、と思いながら。



さて、そんな『女生徒』に夢中になっていた10代のさや香は、もう1冊乙女のバイブルを携えていた。

『それいぬ』である。

断りを入れておくが、中原淳一氏の『それいゆ』ではない。

嶽本野ばら氏の『それいぬ』である。

『女生徒』以上に、一層の毒っ気を含んだ“我儘姫”要素を多分に含むなんとも乙女らしいエッセイであった。

当時、カワイイに“毒”を混ぜ合わせたようなものが流行っていた時代でもあった。

今が“ゆめカワイイ”なら、あの頃は“毒カワイイ”の時代であった。




そして、およそ20年のときを経て、忘れかけていたあの頃の興奮を彷彿させる作品との出逢いがあった。


それは・・・『おはぎちゃん』である。


瀧川鯉八氏の創作落語【おはぎちゃん】である。


【おはぎちゃん】を落語演目と称していいのかさえ、もう芸術が爆発し過ぎてわたしにはわからないのだが、こんなにも見事に構築された“笑いを誘う芸術”はなかなか無い。

さらに、主人公の“おはぎちゃん”という少女が、かの文豪作品に登場する女学生のように、乙女らしさ満載で可愛らしいのである。

そして、愛読書は『それいぬ』だと言わんばかりに、女子の素直であざとい腹黒さも絶妙に垣間見せているのだ。

「本当に瀧川鯉八という男性がゼロから生み出した作品ならば、彼はなんと天才なのだろう。」

そう思わずにはいられない、全力で乙女な作品。

世の中の乙女たち、元乙女たち、ハートだけ乙女たちに共感いただけること請け合い。ぜひご堪能いただきい。







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