自分らしさの檻
あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしている
知らぬ間に築いていた
自分らしさの檻の中で
もがいているなら
僕だってそうなんだ
とMr.Childrenの『名もなき詩』で歌われている。
自分らしさとは何か。そのように何が本当の自分らしさなのかと悩む人は少ないだろう。
そしてまた、自分らしさの檻の中で葛藤しもがくこととなる。
友達からこんなことを言われたことがないだろうか。
「なんか今日の〇〇ちゃん、〇〇ちゃんらしくないね。」
「この洋服〇〇ちゃんらしくて似合うと思う!」
私らしさって?
何がいったい本当の私なの?
このように悩むこと。むしろ自然と言えるだろう。
では、自分について考えてみてほしい。
自分らしさとは何だろうか。
簡単な問いのようでとても難しい問いだろう。
結論から言うと、自分のことは自分ではわからない。
俺の考えでは、これに尽きる。
自分を理解しようと、自分とは何かを考える→自分とは何かを考えている自分とは何か→以後無限ループに陥り。結局、自分らしさの檻に閉じこもって生きることとなる。
考えたところで自分のことなどわからないのだ。
これに尽きる。
つまり、あなた以外の他者も、自分についてはわからないということだ。
ただ、自分の輪郭を捉えることはできる。
少し考えてみてほしい。
お母さんは自分だろうか、犬は、リンゴは?
無論自分ではない。
そう、人は自分は自分であることを認識でき、自分以外は自分でないと認識できる。
ゲスの極み乙女の言葉を借りるとしたら、私以外私じゃないの。ということとなる。
つまり、くどいようだがアナタはアナタでしかなく、私は私である。
これ以外何者でもない。
つまり自分らしさに悩むことがそもそもお門違いとも言える。
一旦整理すると、自分は自分でしかないのだ。
ただ、このままだと自分らしさの檻の中で生きていかなきゃいけないということになる。
他者から見た、私という名の檻が本当の私を縛る。
では、どうしたらこの悩みから解放されるのか。
ただ、このまま話しを続けても随分哲学チックな内容になってしまいそうなので、少し毛色を変えよう。
なので、今から自分らしさの檻から出る方法を教えようと思う。
答えは簡単だが、実践するのは少し難しくてちょっぴり勇気がいる。
でも大丈夫。君ならできる。
怖くなったらいつでも相談してくれて構わないよ。
それじゃあ種明かしするね。
この檻を抜ける手品の種は、檻を自分に吸収すること。
もう少し噛み砕いて説明すると、他者から作られた自分らしさの檻を、自分と認めること。
その檻はいい意味でも、悪い意味でも他者から見た自分。
だからその檻ごと自分のものにしてしまうんだ。
さっきアナタはアナタ以外の何者でもない話しをしたね。だから、自分らしさというのはそもそも他者から見た自分であると言えるんじゃないかな?
他者が見たアナタが、自分らしさ。
そして自分らしさの檻の正体。
良くも悪くも、アナタの行動や言動の結果が「自分らしさ」を生んでいるんだ。
だから実は「自分らしさ」はもちろん、自分という正体不明の輪郭を捉える方法はソコにあったんだよ!
もしもいま君が「自分らしさ」という檻に苦しめられているなら、少し怖くて難しいかもしれないけど、それが自分だって認めてあげてほしい。
今の自分が嫌なら、行動や言動を変えるしかない。
自分を認めるのは少し難しい。特に自分の嫌いな所を認めるのはね。
でも、それをしなかった人は一生「自分らしさの檻」に閉じ込められることになるんだ。
だから、いまこそ勇気を出して。
安心して、キミはキミだから。
俺は最近思うんだ。
人生ってのは、何かになるよりも、自分を認めていくことの方がよっぽど大事なんだろうなって。
自分のこと知らないんだから、恋も人間関係も上手くいくわけないんだ。
だから、自分の輪郭を捉えて、一度飲み込んでみてほしい。
今日も俺の人生に、アナタの人生に幸ありますように。
Kota Noguchi
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