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愛なのか力なのか

 人は、愛を選ぶのか力を選ぶのか。

 仲間との間に問題が生じたとき、力で解決しようとするのか、それとも相手の存在を認め、慈しみを持って解決しようとするのか・・・。

 チンパンジーとボノボ。人類とDNAが99%同じで、手話などで人間と会話ができることでも知られている。姿がとても似ているにもかかわらず、社会性においては対照的だ。チンパンジーは父系制の力社会。時には殺し合いや共食いなども勃発する。それに対して、ボノボは母系制で、きわめて平和主義。相手とのトラブルを避け、性別に係わらず相手に親和的であることを性行為で表現するという。

 研究者たちによると、ボノボの高いコミケーション能力は他の霊長類とはかけ離れているという。チンパンジーと比べても、授乳期間が長い、二足歩行をする時間が多い、ストレスに弱い、など人間と近い特徴がたくさん見られるという。人のジェスチャーや表情、声色で言葉を理解する動物はたくさんいる。顔を見ずに音声だけで人の言葉を理解することができるのは、ボノボだけだという。人とボノボは本当に近いのだろうか。人はボノボのように本来、平和主義なのだろうか。

 人はいったいどこから来たのだろう。平和を好み、戦いを好み、弱者をかばい、強者になりたがる。競争の好きな安全第一主義者でもある。
 人類は、もともと母系制であったのではないかと言われている。今でも、アフリカやインドネシア、中国の一部の地域では母系制が残っているところもあるが、現在は圧倒的に父系制社会が多い。争いの少なかった狩猟採集社会においては母系制が続き、農耕文明の発達とともに奪い合いや争いが増え、次第に父系制が世界中に広がっていったのではないかと言われている。
 人の凶暴性と穏やかさのバランスの違いは、遺伝的なものや可変的なホルモンの作用なども大きい。男性ホルモンの働きに、相手を力で抑えつけたいという欲求があるのも確かだろう。女性ホルモンの働きには、子育てのために平和な社会を求める作用があるのかもしれない。

 現代社会は徐々に肉体の強さが不要な生活様式に変化してきていて、今まで続いてきた父系制の必要性がなくなって来た。今、再び時代が母系制へ、あるいはどちらともいえない両性の社会へと動き始めているのかもしれない。
 私は、家族や仲間を殺されたくない。悲惨な拷問やレイプを見たくないし、したくない。一刻も早く奪い合いや殺し合いの人類史が終息し、全人類が穏やかに食べ物も分け合って過ごせる日が来たらと願っている。そのためには、特定の国の人々だけが享受している資源の消費や無駄をすべてなくさなければいけない。愛を選ぶなら、人は恵まれた頭脳を精一杯使い、人類史を昇華して、森の中で暮らすボノボの姿を目指すことだ。人類の究極の幸せは、ボノボがすでに示してくれている。