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頼むから帰ってきて日記⑧(終わり)

「今、日本で最も“腱”が伸ばされているのはここではないだろうか」

実家に戻っている妻にラインをする。
葛西臨海公園で1300人の参加者と一緒に腱という腱を伸ばしていた。
既読はつかないまま、受付の時間となった。

10kmのマラソン大会に出場するのだ。

①午前中に起床。ベッドを折りたたみその写真をラインで送る。

②毎日、雨であろうとなんであろうとランニングをする。

③酒をやめる。

改めて「これができたら妻帰宅!チャレンジ」の項目を確認してみる。

②は一切、監査が入らない努力目標であったが、気づけば月合計300km以上走っていた。これはどれくらい凄いことなのか。調べてみると江戸時代の飛脚は3日間で500km走りきったそうだ。

調べなきゃ良かった。全くすごくなかった。
とにかく、遵守していることを証明するに越したことはない。試しに「ドラクエウォーク」の勇者の成長ぶりをスクショして送ってみようか。

いやどんなに勇者がベギラマを覚えたとて、「とて」の領域を出ることなく、ますます既読がつかなくなるだろう。

ということで、「葛西臨海公園ナイトマラソン10kmの部」に参加することにしたのだ。「あなたは10kmを○分かけてかけて走りました」という証明書がもらえるらしい。これでちゃんとタイムが出れば普段から走っていることに多少は信憑性がでるだろう。本当はPDFファイルで直接、妻のアドレスに送りたいところだが、これはもう妻の実家に持っていく他ない。

ナイトマラソンだけあって集合時間は17時過ぎ。

臨海公園は間も無く、日が暮れようとしていた。東京湾から反射した橙光が、なだらかな傾斜面で伸ばされていく、股関節や腱を優しく照らす。

それを俺はじっと見ている。ランニングウェアとくれば万国旗より鮮やかで、筋肉の流れにフィットするよう仕立てられたものが主流みたいである。

どうにも細やかなところまで記憶している。

本来、お金がかからないからという理由でランニングを選んだというのに、わざわざ大会エントリー費を払ってまで、走ろうとしているのだ。

いつのまにか、「元を取ろう」と不埒な考えに支配されている。

果たしてマラソン大会でどうやって元を取ればいいのか。

中学時代、部活の帰りに行った焼肉食べ放題を思い出す。

元を取ろうと躍起になって注文し、挙句、食べきれず豚トロやらカルビやらを分担でポケットに入れていた。あれから15年が経過した。ポケットが海馬に変わっただけで、持ち帰れるだけ記憶を持ち帰ろうとしているに過ぎない。

本部テントに人だかりが見えた。

紙コップに入った無料の水と「スポドリ」と略された飲料が並ぶ。

当然、「スポドリ」を選ぶ。紙コップは薬品の匂いが強く、驚くほど薄かった。

折りたたみ式の長机の上、無造作に大量のバナナチップスが山盛りになっていた。皆、ぽりぽりとかじり、「スポドリ」で流し込み、多少噎せながら、スタートラインに並んでいく。

やっぱり海馬でなく、今回もポケットに頼ろうか。

いや家で待つ亀のために大量にバナナチップスを持ち帰ったとて、「とて」だ。

陽も沈み、アナウンスとともに、1300人がぞろ走り出す。

一人での参加者は思いの外、少なかった。会社の同僚や学校の友人らの集まりが多いらしく、ゆっくり話しながら走る。しばらくは「いやはやどうも」と手刀しながら走らざるを得ない。「帰りスーパー銭湯よります?」「近くありますか?」「湯処葛西、結構でかいですよ」「いやはやどうも」「いいですね」「いやはやどうも」「直通バスここから出てれば…」「いやはやどうも」

手刀を保ったまま、いやはや、いやはや、風を切っていく。

スポーツが違う。手刀ランだ。

なぜお金を払って俺は丁寧に人混みをかき分けているのだ。

当然、疲れるのも早い。「いやはや」の分だけ、酸素消費量が多い。

やがて、生まれて初めての給水ポイントが見えてくる。

これはタイミングが難しい。

皆、慣れているのか颯爽と並んでいる紙コップを受け取っていく。

並んでるのはスタート前に口にした「スポドリ」であろう。

俺は相変わらず手刀だ。どうする。逆にこのまま行けばスッと取れるのではないだろうか。給水ポイントまであと3m、2m、1m…手刀は紙コップをなぎ倒す。そうだった。とんでもなく薄く柔かいのだった。

幸い俺のようなうつけ者のためにもう一箇所、すぐ先にポイントが設けられていた。どうにか掴む。やった。口元へ持っていく。呼吸のタイミングを間違える。噎せる。いやはや、どうも、難しいですね。

1時間ほど経過した。

こんなにも息を切らしたのはやはり中学以来である。

間も無くゴール地点であるが、どうにも海馬がここにきて妙な働きをする。

勝手にアーカイブから「同じくらい息を切らしたとき」の映像を検索して目の前に上映してきやがる。視界と重なる。あの日、豚トロをタイトなジーンズにねじ込んだ先輩らが並走する。あれ、BoAもいたのだっけか。

血中の酸素が欠乏すれば思考も乱れていく。

そこに加え、先の給水ポイントにおける失敗のせいで脱水も重なる。

海馬が今度は「水が足りなかった映像」を検索しだす。

ふと奥さんが去った家の映像が目の前に現れる。

いつの記憶だ。すると俺が現れる。台所でキャベツを刻み出す。

俺がいる、ということは俺の記憶ではない。

誰の記憶だ。妙に目線が低い。そうか、これは、亀の記憶だ。

そうだ「水が足りない」のは亀だ。そういえば、水を替え忘れている。

早く帰って、水を替えねば。

ゴールする。水を飲む。息を整える。

「亀の記憶が入り込むわけがない」ことにようやく気づく。

本部テントに向かうと、記録用紙をもらえた。

そういえば、これが目的だった。

見てみると、20代の部で下から数えた方が早い成績だった。

現役の運動部に所属している大学生も含まれているとはいえ、途中、勝手に中学生に戻っていたので意外であった。この成績ではとてもじゃないが「毎日ランニングをする」ことを守っていたと思ってもらえないだろう。記録用紙を携え、妻のいる実家へ迎えに行こうかと虫の良い考えを巡らせていたが、この調子じゃまだ当分かかりそうだ。

「これができたら妻帰宅!チャレンジ」はまだ始まったばかりなのだ。
バナナチップスを一応、ポケットに突っ込み帰路に就いた。

さて、ドアを開けると妻が帰ってきていた。さすがは日記である。

“まだ始まったばかりなのだ”と5行前に書いたところで、現実さんの意に介すところではない。無論、こちらとしては非常に嬉しい限りである。

ただ、何事も大団円とはいかないようだ。
このnoteを始めるきっかけとなった新たな担当さんが版元から離れてしまう連絡が来たのもまた同じタイミングである。

いやはや、どうも、まずは水を替えようか。いや、替えたとて。

(2019年10月)


いつもいつも本当にありがとうございます。