洛田二十日(らくだはつか)

短編集『ずっと喪』発売中。第2回SS大賞。「書き出し小説大賞」第2回、第3回大賞受賞。

洛田二十日(らくだはつか)

短編集『ずっと喪』発売中。第2回SS大賞。「書き出し小説大賞」第2回、第3回大賞受賞。

記事一覧

痛みも消えるが記憶も消える、よく出来たループじゃないか

手術翌日。痛み止めの影響で朦朧としていた。 点滴、カテーテル、麻酔、体のいたるところを管でつながれたうえ、仰向けのまま姿勢も固定されている。背中が凍土のように固…

手術日、人工股関節になる直前まで食い下がる

担当医師に切り取った骨頭をくれないかと懇願して以来、一ヶ月近く病院に行っていない。出禁ではない。手術日が決まれば、あとはすることがないのだ。 何週間も病院に行か…

先生、切った骨頭くれへんやろか。

手術前の最終診察である。 私は執刀担当医師に次のようなことを話した。 「せんせ、あんな、骨頭あるやろ、俺の骨頭。もう使い物にならへんのやろ。やったら、どうやろか…

パッキャオに股関節を殴ってくれとねだる

手術日程は4月某日。残すところあと一ヶ月の時点(この日記にはタイムラグがあるのです)で、困ったことになった。痛みが引いている。股関節の痛みがないのだ。発症した当…

どうせ手術だし、骨を使い切ろう 

「病院で診断されたときはショックのあまり、気絶しかけたんですが、倒れたときに痛すぎて意識が戻って気絶できなかったんですよ」 まったく慣れてしまうもので、数ヶ月し…

国に骨をおごってもらおう。

名前が呼ばれ、診察室に入る。今日は具体的な手術方法などを決める算段である。若い先生が担当である。俺の大腿骨のMRIを何度も行ったり来たりし、ちょうど良いところで指…

病院の礼拝室で鶴太郎を継ぐ

大学病院で検査が終わり、診察まで時間があるらしく、一回の礼拝室へと向かう。受付で利用申請をしたところ今日は俺以外に利用者はいないらしい。 さも病院に礼拝室がある…

優先席に座りたい陣内智則

いやあ、noteかあ。みんなやってるもんなあ。いっちょ書いたろうかなあ。 「noteをはじめた陣内智則」になってしまったが、これは大腿骨頭壊死症という足の病気を患った人…

この男、見覚えがある。区長だ。

 骨頭壊死という診断がくだってから、最寄りの外科クリニックでは手に負えぬということで、まるで餞別のように松葉杖を貸与してもらい、以降はどこゆくにしても、かつん、…

「私の声が聞こえてますかあ」

 「聞こえてますかあ。私の声が聞こえてますかあ」  お恥ずかしい限りである。心臓の動悸で視界がフジロックくらい揺れる。  確かに診断の衝撃は大きかった。だが今思…

恵俊彰の白髪に、全ての祈りを捧げる

 まだ、私は2023年の年の瀬にいる。  12月のクリスマスシーズン。煌めく日本橋の街並みを避けるように、細道だけを選びながら、指定されたクリニックへ向かう。MRIで精密…

このあたり白くて凹んでるでしょ?

 日課、ランニングである。  酒を辞めて以来、その時間を走ることに費やしてきたのだ。  毎日、川沿いを6㎞、ひた走る。  私がGoogleと関係ないばかりに江戸川区のス…

「このモンブランを骨頭としますね」

 2024年1月4日。  落語会の打ち合わせのため、九段下駅の喫茶店に向かう。  私は松葉杖である。  診断はすでにされていた。「大腿骨頭壊死症」というそうだ。  全文…

「校長の贈る言葉」原案:ハッピーエンドー

 卒業生の皆様、保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。さて本日は天候にも恵まれ、ここ数日間の雨が嘘のように晴れ渡っております。澄み渡った青空はまさに卒業…

「コンドルは飛んでいく」原案:めがねざる

 最終面接はあっけなく終わり、他の就活生らとともに部屋を出る。もし受かれば就活とかいう阿呆らしい椅子取りゲームも終了であるが、果たして。  エントランスを出た…

「馬というか、俺」原案:吉祥寺の「いせや」で一杯

 確かに俺はそういうタイプである。  野球を見れば「俺が打った方がマシ」  居酒屋で何か食えば「俺が作った方が旨い」  漫才を見れば「俺が出た方が面白い」云々。 …

痛みも消えるが記憶も消える、よく出来たループじゃないか

手術翌日。痛み止めの影響で朦朧としていた。 点滴、カテーテル、麻酔、体のいたるところを管でつながれたうえ、仰向けのまま姿勢も固定されている。背中が凍土のように固まっていた。 両方の手にはNintendo Switchのジョイコンのようなものをそれぞれ握らされている。おそらくどちらか片方が、ナースコールのスイッチなのだろう。 そんなの見ればわかるではないかと思われるかもしれないが、身体が動かず、上体を起こして手元を見ることもできない。 したがってどちらかを押して、その結

手術日、人工股関節になる直前まで食い下がる

担当医師に切り取った骨頭をくれないかと懇願して以来、一ヶ月近く病院に行っていない。出禁ではない。手術日が決まれば、あとはすることがないのだ。 何週間も病院に行かないと、難病手術なんて嘘なんじゃないのか。など、おさるのジョージくらいうかうかしてしまう。うかうかしていれば、前日にはしっかり連絡があり、入院である。ジョージは逃げきれなかった。 担当医師の先生は右足と左足、両方の外科手術を同時に行うという。 右は壊死しているし、終わっているので、やむなく人工股関節。左は壊死してい

先生、切った骨頭くれへんやろか。

手術前の最終診察である。 私は執刀担当医師に次のようなことを話した。 「せんせ、あんな、骨頭あるやろ、俺の骨頭。もう使い物にならへんのやろ。やったら、どうやろか、俺に切り取った骨頭、くれへんやろか。いやちゃうねん、何もけったいなことに使おう思てんのとちゃうよ、いうとくけど。みくびられたら困るわ。そうやなくて、まずな、骨頭をな、こうラスカルみたく肩に乗せてな、思い出の場所めぐって、お礼を言いたいねん。お前がいなかったらこの段差もあの段差も越えられなかった、お前がいなかったら、

パッキャオに股関節を殴ってくれとねだる

手術日程は4月某日。残すところあと一ヶ月の時点(この日記にはタイムラグがあるのです)で、困ったことになった。痛みが引いている。股関節の痛みがないのだ。発症した当時はそれはもう少し動くだけで天罰のような痛みがあったというのに、いざ「骨頭を使い切ろう」なんて悪しき心持ちで足を動かし始めれば、どうにも痛くない。神がうっかりミスって「赦し」てしまったのであろうか。 したがって杖をつきながらではあるが、運動不足解消のためのウォーキングも日増しに速くなる。犬、老人、子連れ、やる気のない

どうせ手術だし、骨を使い切ろう 

「病院で診断されたときはショックのあまり、気絶しかけたんですが、倒れたときに痛すぎて意識が戻って気絶できなかったんですよ」 まったく慣れてしまうもので、数ヶ月しないうちに難病診断もポケットジョークとなり、周囲の会話の潤滑油として使用している。そんなにウケをちょうだいしてはいない。そっちの方が重要である。 さて「実は片方でなく両方とも壊死していた」という難病トリックが前回の診察で明かされ、右は人工股関節手術、左は再生医療の治験、これを同時に行うことが決まった。少なくとも今、

国に骨をおごってもらおう。

名前が呼ばれ、診察室に入る。今日は具体的な手術方法などを決める算段である。若い先生が担当である。俺の大腿骨のMRIを何度も行ったり来たりし、ちょうど良いところで指をさす。 「MRIを見たらですね、痛みが出てない左の大腿骨の骨頭、見えますかね。こっちも、壊死してしまってるんですね」 「……」 「壊死と痛みにはタイムラグがあるので、分かりにくいんですよね。それでですね、こっからはご相談なのですが、うちの病院で治験をやっていまして。骨頭壊死の、まさにこのケースに適用される手術が

病院の礼拝室で鶴太郎を継ぐ

大学病院で検査が終わり、診察まで時間があるらしく、一回の礼拝室へと向かう。受付で利用申請をしたところ今日は俺以外に利用者はいないらしい。 さも病院に礼拝室があるのは当然とばかりに書いていたが、なんなのかは知らない。ただ横開きのドアに「礼拝室」とだけ書いてある。 空港などでムスリム用のスペースがあることは知っているがこの礼拝室は説明を読む限り礼拝に限らず静かな環境での精神活動をしたいなら「どなたでもご利用いただけます」だそうだ。 ランニングで精神の均衡を保ってきたが、それ

優先席に座りたい陣内智則

いやあ、noteかあ。みんなやってるもんなあ。いっちょ書いたろうかなあ。 「noteをはじめた陣内智則」になってしまったが、これは大腿骨頭壊死症という足の病気を患った人間の日記である。 骨頭が壊死したところで、金を稼がねばならない。せっせと大手町の長い長い乗り換えをこなす日々である。 電車の中。以前であれば、杖をついている人間が近くにいながら、それに気づかずに優先座席に座っている者を見つけるたび「けしからんですな」と隣の人に話しかけていたが、今、自分が杖をつくようになっ

この男、見覚えがある。区長だ。

 骨頭壊死という診断がくだってから、最寄りの外科クリニックでは手に負えぬということで、まるで餞別のように松葉杖を貸与してもらい、以降はどこゆくにしても、かつん、かつんと、灯台守がカンテラ片手に響かせがちな音を町中にさせながら、歩き続ければ、だんだんとふてくされてくる。  健康のためにランニングを日課とし、何やら役所に提出した書類に不備が見つかれば進んで電話して訂正に向かい、スピッツの草野正宗のラジオ番組を毎週聴き、要る要らないに関わらず夕飯時になると、やたらと水菜を刻み出す

「私の声が聞こえてますかあ」

 「聞こえてますかあ。私の声が聞こえてますかあ」  お恥ずかしい限りである。心臓の動悸で視界がフジロックくらい揺れる。  確かに診断の衝撃は大きかった。だが今思えな前フリが利きすぎていたのだ。  「聞こえていたら手を上げてくださいね。大丈夫ですかあ」  実のところ前日、すがれるものにすがるべく私は職場へ向かう道を大きく遠回りして赤坂見附のとある有名なお稲荷さんに、千円札を奉じていた。「ああ、どうか、どうか、迷える私に、健やかなる日々を恵んでください」と祈念してきたわけで

恵俊彰の白髪に、全ての祈りを捧げる

 まだ、私は2023年の年の瀬にいる。  12月のクリスマスシーズン。煌めく日本橋の街並みを避けるように、細道だけを選びながら、指定されたクリニックへ向かう。MRIで精密検査をするためである。それでも松葉杖が、イルミネーションを反射して鈍く光る。 「特発性大腿骨頭壊死症」  この、ホラーマンの戒名のような病気の疑いがまだ晴れていないのだ。  厄介なことにこの病気は「指定難病」である。原因が不明で、治療法が確立していない病気ということだ。  罹患率は五万人に一人、など言わ

このあたり白くて凹んでるでしょ?

 日課、ランニングである。  酒を辞めて以来、その時間を走ることに費やしてきたのだ。  毎日、川沿いを6㎞、ひた走る。  私がGoogleと関係ないばかりに江戸川区のストリートビューに貢献できていないことが悔やまれる。それくらい走ってきた。区議会がうっかり「あんだけ走ってんなら、いっちょ免税してやるか」となってもおかしくない。それくらい、走ってきた。「ドラクエウォーク」の勇者は、私が知らないうちに聞いたことない呪文を覚え、勝手に魔物を砕いている。とにかく私に何か自負があると

「このモンブランを骨頭としますね」

 2024年1月4日。  落語会の打ち合わせのため、九段下駅の喫茶店に向かう。  私は松葉杖である。  診断はすでにされていた。「大腿骨頭壊死症」というそうだ。  全文字恐ろしい。闇落ちした漢字ばかりである。  「そもそも骨頭とは」と立川かしめ氏が当然の質問をする。確かに音だけでは耳慣れぬが「足骨の、プラモデルみたいな部分です」といえばおおよその理解を得られた。  「その骨頭がどうなる病気なのか?」と別の先輩作家が訊く。  言い淀む。まだ診断がおりて数日しか経っておらず、

「校長の贈る言葉」原案:ハッピーエンドー

 卒業生の皆様、保護者の皆様、本日は誠におめでとうございます。さて本日は天候にも恵まれ、ここ数日間の雨が嘘のように晴れ渡っております。澄み渡った青空はまさに卒業生の皆様の前途を祝福しているようです。また桜のつぼみもほころびはじめ、もう数日もしないうちに、校庭の桜も満開になることでしょう。  さて、えー、天気予報によれば、今日は午後からもすっきりと晴れわたるわけであり、それすなわち、卒業生の皆様の、前途を祝すことになる、といったことは今しがた述べた次第です。    ここで、

「コンドルは飛んでいく」原案:めがねざる

 最終面接はあっけなく終わり、他の就活生らとともに部屋を出る。もし受かれば就活とかいう阿呆らしい椅子取りゲームも終了であるが、果たして。  エントランスを出たところに、何ともみすぼらしい格好の老人がいた。我々に気づくと立ち上がり、肩の上のラジカセのスイッチを入れる。大音量で、サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」が流れる。道ゆく人が眉をひそめるのも御構い無しに、老人は揚々と、リズムに乗って歩き出す。それに連れられるように、俺の足も動く。だって、だって、どう考え

「馬というか、俺」原案:吉祥寺の「いせや」で一杯

 確かに俺はそういうタイプである。  野球を見れば「俺が打った方がマシ」  居酒屋で何か食えば「俺が作った方が旨い」  漫才を見れば「俺が出た方が面白い」云々。  何かと「俺がした方が」云々と人様にケチをつけてきた人生であった。そのバチが当たったらしい。やはり神は残酷だ。何もこのタイミングじゃなくて良いじゃないか。  「一斉にスタート……っと、何かトラブルでしょうか」  さっきまで客席で「クリエイティ部号」の単勝馬券握りしめていたのに、なぜか今、俺の方がゲートの中