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蛆虫の歌 7

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数年ぶりの自慰行為から一週間が経過しようとしていた。今月二回目となった通院も以後良好であると認められ、当初予定していた通り一ヶ月間の通院で寛解とすることが出来るだろうと小俣先生は少し微笑んで話してくれた。あの程度で死ぬことはなかったとは言えあの行為は自殺未遂であることに変わりはなかったが、それから一ヶ月ほどの検診で虚勢ではなく真としてここまで前を向くことが出来ているのは中々例を見ないほどだとも言ってくれて、尚更心にゆとりを持つことが出来た。
その時は自分を死に追いやるであろう絶望も過去になってしまえば無いのと同じだ。きっとこれからはそのことを覚えておけば、今後の人生も上手くやっていけるだろうという先生のアドバイスは僕に活気に溢れた若さの精神を思い出させてくれた。
思春期が若くして死んだのが甦ったのか、はたまた遅咲きで開花したのかは定かではないが、体に活気が戻ってくるのと同時に人並みの性欲を手にすることとなった訳だが、これがまた僕に人間らしい健康と厄介をもたらすことにもなった。どうやら性処理というのは健康に直結するようで、自慰行為が身体に漲るような活力を与えた一方で、好みの女をふとしたところで見かけるとどこか悶々とした気持ちを抱くようにもなってしまった。世の中の男性は皆この様な感情を常に抱えて生活しているのかと思うと大変だなと思う反面、やはり人間の性欲というのはどこか受け入れ難くグロテスクを帯びていることを再実感させてくれる。
人間の三大欲求として睡眠欲、食欲とともに数えられるこの欲求だが、僕にはやはりそれらと同列として性欲を数えることは難しかった。食と睡眠は適切に取らなければ間違いなく死に繋がるが、性に関しては個人差がありすぎる。文字通り猿の様にセックスをしなければ生きていけないような人間もいれば、僕の様に一時期全く性欲自体がなくなってしまわれたかの様に思える人間も存在する。今でこそ人間の中央値ほどの性欲は取り戻すことが出来たであろうが、僕は性処理をせずとも死ぬことはなかった。もしかしたら、もう生物学上人間として僕は死んでいるのかもしれないという説も否定は出来ないが。
何はともあれ、人並みの性欲を手にしてしまったことにより人肌の温もりを脳が欲しがっている。自分でも実感があまり湧かないが、これは孤独に苛まれてしまった時に依存出来る相手を無自覚に欲しているのと冬の寒さが人と人の肌が触れ合うことの素晴らしさを僕に伝えたがっているのだろう。
兎にも角にも僕の中にある濃度の高い孤独を中和してくれる女が欲しい。この際恋愛なんて二の次でもいいから僕の薄汚れた性欲を満たしてくる、いわば都合のいい女はいないだろうか。孤独と虚無感を少しでも楽にしてくれる良薬のような女を僕は欲した。
以前、全く性欲とはかけ離れた生活をしている時期に康太郎から出会い系アプリを使うことを薦められ使ってみた過去があったものの、どうやら世の中の出会い系アプリを使っている女は僕にあまり興味が無い様で、全くと言っていいほど話が合わず結局誰とも会うこともなくそのアプリをアンインストールしたということがあった。そのためそのような類のものが若干トラウマとなっている節があり、女に飢えている今それらに再挑戦してみようかと画策してみたものの、再度インストールしたものの脳内がアレルギー反応にも似た拒絶を起こしてしまい、その試みは僅か一分ほどにして儚く散ることとなった。
どうやら、僕はすでに知人の関係である人間とでなければ、そういった関係を持つこと躊躇う性格らしい。この性格もまた厄介な一面を持っており、一度体の関係を持ってしまうと二度と元の関係には戻れないというリスクもある。本来、全く接点のなかった人間を自ら能動的に探し求め、いつ関係が切れてもいいような相手を選ぶことが好ましいのだろうが、そもそも六畳間の自室の孤独と戦っているような出不精の人間が能動的にそのような人間を探す行為を出来るはずもなかった。
このストレスに対してどう対処したらいいのか、僕はこのストレスとも言える性欲を解消するたに、過去を遡って解決策となる糸口を探し求めた。こうなった時に僕が頼る術と言ったら康太郎か佑介との会話の中で、女性関係に関する話題を話している時くらいであろう。現在、康太郎にも佑介にも彼女となる存在がいることがなによりもの救いであり、彼らが現在交際している女性とどの様に出会ったかという話の中にしか解決策が無いようにも思われた。僕はあまりそういった話題に興味が無かったため、二人の会話をただ傍観していただけの時が多かったが僕は必死になって、康太郎と佑介がお互いの彼女との馴れ初めについて話し合っている記憶を脳の片隅から手荒く荒らすように引っ張り出した。すると、学生時代に康太郎が失恋した時に、女性との出会いについて佑介に相談しているシーンを記憶の底の方からサルベージすることが出来た。
「なあ、佑介は今の彼女とどうやって出会ったんだ?なんだか出会い方そのものから間違ってたきがしてさ~…。」
「俺はどうやって繋がったかまでは忘れちゃったけど、インスタグラムでいつの間にか繋がってた人となんか仲良くなって~っていう流れだったかな。」
「え、どうやって繋がったのよ。そこが大事じゃん?」
「え~。確か『誰だこのかわいいオンナは!』ってなって俺がフォローしたらフォローが返ってきたみたいな感じだった気もするけど…。だから言ったじゃんあんまり覚えてないって。」
「そっからの流れってどんなだった?」
「いやだからあんまり覚えてないって。」
「覚えてるところでいいから教えてよ〜。」
と康太郎が言った後、佑介は考えているのか言葉を濁そうとしているのか、少し考えるポーズを取って
「確か俺が飲んだかブリってたかは忘れたけど、それで終電逃して家に帰れなくなって。それでインスタグラムで誰か助けてくれる人がいないか探してたら今の彼女が『地元来なよ!』って言ってくれて。それで家に行って話してセックスして、そのまま付き合ったって感じだった気がする。」
「なんだよ、割とちゃんと覚えてるじゃん。ってか付き合うまでの流れ早すぎん?どっちも凄いなその話。」
「え、別に普通じゃない?」
「いや、最初普通デートとかするでしょ。飲みに行くとかどっか遊びに行くとかさ。しかも初対面でしょ?初対面の相手といきなりセックスしないって。」
「いや、俺もなんでセックスしたかは覚えてないんだよな〜。というかセックスしてた痕跡があったからセックスしてたこと認識しただけで。それで俺だってヤるだけっていうのは嫌だったから、じゃあ付き合おうかってなっただけだよ。よく覚えとらんけど。」
「いや覚えてるやん。」

 やはり彼らには感謝しかない。人生において経験不足である僕に知恵となる擬似体験をしばしば与えてくれる彼らの存在は、やはり僕にとって欠かせない存在である。孤独が酸素なら、彼らは僕を構成するタンパク質のような物なのかもしれない。彼らとの記憶はいつも僕にインスピレーションを与え、僕がどうしようか悩んでいる時にいつも解決策をどこかに置いておいてくれる。
 この記憶から、自分もインスタグラムを使って女性関係を作ることにした。幸い、高校時代まだ何も気に病んでいなかった時期に、友人とは言えずとも知人と言えるような人間と相互フォローの状態を作ることは出来ていた。それは知人は多くとも友人はかなり少ないという僕の対人関係の拙さを表していたが、この際知人が多い方が都合が良いように思えた。
 しかし、どう言って誘おうか。性欲丸出しで片端から声をかけたい衝動に駆られるほどにはいるが、それが成功と言える形を生み出すとは考え難い。佑介の状況と器用さが羨ましい。確かに「終電を逃す」という如何ともし難い状況にいたら、誰かしら助け舟を出してくれるであろうことは容易く予想が出来る。
 ならば、自分が「如何ともし難い」状況を作り上げればいいのではなかろうか。咄嗟の閃きが僕の頭に浮かんだ時には、もう既に行動に移すに至っていた。すぐさま知人の関係である女性のみが閲覧できるように設定をし、「ここ最近悩んでいることがあるから相談に乗ってくれないか」という趣旨のアンケートを取ることにした。浅ましく汚い思いつきではあるが、それでも少なからずいる知人女性の誰かが反応さえしてくれたら僕のこの作戦は成功に至る。
 人間というのは中々自分が思った様には自分を成長させられない生物である。どれだけ人間として成長して自分の理性が発達しようとも、うちなる野生にも似た本能が「人間である前に生物である」とでも言わんばかりに、自分の奥底に眠る欲求の数々が理性に反発しようとする。ここ最近目覚ましい回復を遂げ、昔よりも人間として生きる能力が上がったと自分でも確信を持つことが出来るが、それと同時に厄介な性欲という欲求までも起こしてしまったようだ。
 最後の対人での性経験は十八歳の時であった。当時、どの様に出会ったかも、どの様にしてその様な関係になったかも覚えてはいないが、自分より四歳年上の女を抱いたのが最後となっていた。いや、抱いたというより抱かれたという方が近かったかもしれない。セックスについて右も左も分からない僕に「性の快感」というのを教えてくれたが、記憶のどこを探してもどのようにしてその人と出会ったのか思い出せずにいる。

 記憶の奥底を探っている最中にケータイが一件の通知を受け取った。ケータイを手に取ってロックを解除しようとすると、画面にはインスタグラムからの通知を二件ほど表示していた。ロックを解除してインスタグラムを開くとそこにはアイリと言う人物がダイレクトメッセージを僕に送っていたことを示していた。
「大丈夫?」「というより私のこと覚えてる?」
と言うメッセージがアイリという女から届いていた。この女は僕が高校一年生で軽音楽部に所属していた時の三年生の先輩で、軽音楽部に入部した時に新入部員である僕を世話してくれていた人物であった。どうやら、その面倒見の良さは今も昔も変わっていないようで数年間細い糸の様にしか繋がっていなかった僕との間柄を伝って僕のことを気にかけてくれているようだ。
「もちろん!覚えてますよ」「元気にしてましたか?」
と当時と変わらない口調で返事を返した。するとすぐに既読がついた。
 久方ぶりに相手を女性として意識して会話すると、やはりどこか緊張を隠さずにはいられなかった。アイリ先輩は面倒見もよかったが、それと同時にルックスも兼ね備えており、「天は二物を与える」というのを体現した様な女性であった。アイリ先輩を見る度に世の中は不平等であることを実感させられるが、こんな素晴らしい女性が幸せにならないのはおかしな話であると言えるほどには誠実さと可愛らしさを兼ね備えた人物であった。
 当たりくじを引いた時の様な胸の高鳴りを抑えることが出来ない。僕は誰か特定の人物を待っていたわけではないが、アイリ先輩は現状の僕が出会うことが出来る最高級の人物であり、そのことに心を躍らせずにはいられなかった。
「アイリ先輩久しぶりに会いたいです!」
と意を決して連絡すると
「可愛い後輩のためだしいいよ!」「雪成くんとなら遊んであげる!」
とすぐに返事が返ってきた。
 これは人生最大のチャンスだ。自殺未遂をしてからというもの、自分自身がどのような人間かを受け入れ周りより低い次元で生活する覚悟が出来ていたが、僕にも世の中の人間と同等のチャンスが回ってきたようだ。
 ダイレクトメッセージである程度やり取りをしていると、どうやらアイリ先輩も職場での人間関係が上手くいっておらず相談がてら遊んでくれる人間を探していたというのだ。あえて、「なぜ僕と遊ぶ気になってくれたんですか。」とは言わなかったが、どうやら高校の時から僕のことを良く思ってくれてはいたようなことを仄めかしていた。
 お互い「相談事がある」として、その内容については会ってから話そうという地点に着地し落ち着くこととなった。今日は木曜日であるが、明後日の土曜日の昼頃からどこかカフェにでも行って落ち着いて話そうと二人で約束することにした。自殺未遂をしてからというもの、お酒はこれ以上飲まない方がいいと僕と小俣先生の間で取り決めており、どこか飲み屋に入って話そうと言われたらなんて断ろうか悩んでいたほどであったため、態々アルコールを摂取しなくてもよいカフェという空間を提示してくれたアイリ先輩の気遣いには感謝しかなかった。というより、これが大人のフォーマルなデートなのだろうと実感した瞬間、自分が「デート」に行くということを頭がやっと認知しその途端胸がまた高鳴った。

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