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蛆虫の歌 2

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 今日はなんだかいつもより体が軽い。いや、むしろ世の中の人々はこのくらいの重力の中に生きているのかもしれない、やっとみんなと同じ感覚を味わえているのだろうかと思うと、自分がまるで社会に人間として受け入れられたみたいで悪くはない気分だ。早朝四時半に眠って、午前十一時起床。ここ最近は過眠と不眠を繰り返していて、まともな睡眠時間で起きるのは本当に久しぶりな気がする。今までは、沢山寝たいときに寝ればいいし、寝たくなければ寝なきゃいいなんて思っていたが、少しくらいは生活リズムというものに気を遣おうなどと少しばかり思わないでもない。人として正しい長さと量の睡眠と食事をこなすことの大切さを、大学を退学してから理解することになるなんて皮肉なものだ。このことをもう一~二年早く気づいていれば、僕ももう少しまともな大人になれていられたのだろうか、いやそんなこともないか。世の中そんな簡単ではない。
 うつ病は大学二年生の冬に発症し、今でも寛解したと医師からの通告は受けていない。当時までの僕は、活力に溢れた年齢相応の若者であった。片道二時間の通学時間にも耐え、勉学も趣味の音楽活動もバイトもそれこそ寝る間を惜しんで全力で取り組んでいた。このことは単なる自負ではなく、周囲の友人や親なんかも褒めてくれていた。昔からあまり要領はよくはなかったが、若かったこともあり、何事にも全力で取り組む僕を悪く言う人はいなかった。現在、過去の自分を振り返って思い返してみても、二年前までの自分は本当によくやっていたと思う。毎日二~三時間ほどしか睡眠時間が取れず、大学の授業にもあまりついていけず無断欠席してしまうこともあった。それでも当時の僕は何事にも100%の努力をしたと今でも胸を張って言える。
 しかし、そんな生活に体が耐えられるはずがなかった。その日は一限から授業があった日であった気がする。一限から授業がある日は毎朝五時半起床で、バイトがある日はその日の午前3時まで夜勤がある。夜勤が終わってすぐに眠りにつき、五時半に起きて朝支度をして学校に向かう。そのはずであったが、五時半に目は覚めたものの、起き上がることが出来ない。一瞬、金縛りにも思えるほど体が動かなかった。そのことに少し混乱したのち、この体に起こっている異常は外部的な力ではなく、脳からの「動け」という指示を体が一切聞いていないことであったと理解した。全く以て体の自由は効かない。当時このことが何よりも怖かったのを今でも思い出せる。三十分ほど経ってようやっと体を起こすことが出来たものの、いまだかつて味わったことのない倦怠感に体を支配されていた。起きるまでにかなり時間がかかってしまったから今日は二限から出席しようと考えたが、その準備をするために部屋から出ようとしても襖を開けることが出来ない。これはなんだ、手が震えて止まらない。冬の寒さから来る震えとは正反対の悪寒を伴う手の震えが襖を揺らしている。これが僕の人生の中で最も地獄であった一週間の始まりを告げる報せであった。
こうして、僕は他人の意思とは関係なく六畳ほどの和室である自室に軟禁されることとなった。もうこうなってしまっては、僕に出来ることは何もない。せいぜいしばらく学校を休むと親や友人に連絡することぐらいしかすることもなかったし、出来ることもそれぐらいことだった。それ以外にはベッドで仰向けになってひたすら天井を見上げることしか出来なかった。冬の午前六時半、日差しはまだ部屋に十分には届かない。部屋の電気をつけようとリモコンを探したが、無情にもリモコンは手の届く範囲外にあった。まだ薄暗い六畳ほどの自室がなんだか普段よりも広く感じる。部屋の片隅にあるベッドからこんなにも部屋を見渡したことは何気に初めてだったかもしれない。部屋の四隅を見渡して、また天井を見る。天井からは孤独と虚無感がそのまま迫ってくる。このまま天井が落ちてきてきっと僕は色々なものに押しつぶされてしまう。天井が迫ってくるのに、僕は天井に吸い込まれていく。自分の体の中を流れる血に乗って、心臓に孤独と恐怖と虚無感で出来た気味の悪いドロドロとした得体のしれないものが流れ込んでくる。そして、胸の奥に流れ込んできたそれらの負の感情が心臓が鼓動を上げる度に、手の先や足の先、脳天まで循環してきて体を支配してくる。顔にそれらが流れ込んでくる度に、それらは涙となって頬を伝って流れた。流れ始めた途端、涙も声も何もかもが決壊したダムのごとく溢れた。何もかもがもう手遅れだった。部屋を包む孤独が僕の体を通して涙と嗚咽となる。その涙と嗚咽はまた虚無感となって六畳間に還る。まるでネガティヴが支配した地球だった。膨らんだ虚無感や得体のしれない恐怖は、やがて「死の恐怖」という具体的かつもっとも恐ろしいものへと変貌を遂げた。この感情が僕の体を支配しないように、壁に何度も頭を打ち付けた。誰もいない部屋に姿形の分からない何かが存在する。その何かから逃げるように、隠れるようにして机の下という心の防空壕に逃げ込んだ。
 気が付いた時にはもう部屋に光は差し込んでいなかった。どうやらおかしくなったまま、気絶するように眠ってしまっていたらしい。あんなに体から何もかも溢れ出して涸れ果てたはずだったのに、目尻がまだ濡れている。この部屋は僕の体から干上がった絶望という水分で満たされているのに、この僕からまだ絞り上げる気でいるらしい。
とても苦しい悪夢であった。瞼を開けば全てが終わるだなんて、意地汚い悪夢がしてくれるはずがない。あまりにもリアルな悪夢というのは、もしかしたら、どこかの平行世界で起こりえた「夢を見た人にとっての最悪な結末」の一つであるのかもしれない。昔、橋の上から真っ逆さまに転落する夢を見たことがあるが、きっとあれは何かが違っていた世界線の僕であって、その結末のたった一パターンに過ぎないのだろう。
この頬を伝う涙の諸悪の根源は、「結果が出なければ無価値」という世界の夢であった。実際、僕が生きる世界では「結果が全て」だとは言いつつも、良い結果が出ずとも誰かしらが「実らなかった努力」を拾ってくれる世界だ。その親切が、うだつの上がらない僕なんかを23年間も生かしてくれているのだろうと思うと、この世界もまだまだ捨てたものではない。
あの夢は残酷そのものであった。「結果が出なければ無価値の世界」というのは、言い換えるなら「人から親切心や優しさという感情を全て奪い取った世界」に等しいのだと思う。「有能しかいない世界」とも言い換えれば、まるでディストピアそのものであるが、その陰には、「無能を排他した」ことも同時に存在しうるのだ。
 周囲の人々の優しさに体を預けてもたれかかって、情けない限りであった。自分の中で、出来る限りのことをやってきたつもりであったが、自分一人では結局何も出来ていない、何もなせていないことを突き付けられたようで、何もかもに絶望した。今になってみれば「夢の中の話」と解釈できるほどには楽観視出来るようになったが、当時は現実も夢も区別がつかなくなり、自分自身も周囲の人々も、世の中の何もかもを世界が終わってしまうかというほど悲観視していた。
一週間程した頃だろうか。鉛が垂れ下がったかにも思えた体を這いずり起して、心療内科へと向かった。ネットで、近所で予約の必要のない病院を探したが、徒歩圏内で行ける距離には無く、電車で十分ほどかかる心療内科へ向かうことにした。
十二月の寒空の下、一週間ぶりに外出することとなったわけだが、家から一歩外に出るのがあんなに怖く感じたのは生まれて始めただった。外に出なければならないストレスで、動悸が止まらなくなり、手が震えた。寒さのせいであると信じたかったが、生憎の晴れ模様で凍えるほどの寒さではなかった。この日は雲一つない快晴で、こんな精神状態でなければなんて気分がいい日であったであろうか。そんな日の昼下がりの、電車にあまり人がいない時間を狙って病院に行くことにしたのだが、電車内でも震えが止まることはなかった。同じ車両内に少なくとも四、五人は乗っていたであろうが、あの時の僕は、人を殺しただとか、そんな危ない雰囲気を孕んだ危ない男に見えたであろう。
 何もかもが怖くて、溢れ出しそうになる涙を堪えて、病院にたどり着いたわけだが、問診や検査の結果、ほどなくしてうつ病であると宣告された。厳密に言えば、うつ病と適応障害の中間のような症状であると担当医師は言っていた。その後、処方される薬についての説明を受けた後に、会計を済ませ処方箋と領収書を受け取って病院から出た。この瞬間何故だか、少し安堵の入り混じったため息が出た。「自分はうつ病である」という現実は、情けなく辛いものであったが、また、これからの生活において言い訳に出来る材料ともなった。今になってみればなんとも情けない自己解釈であるが、この先あらゆることが手につかなくなる僕にとっての免罪符ともなった。その後、家に帰って一人でご飯を食べた。一週間ぶりに味のする食事に涙が溢れてしまった。
今の空と病院に初めて向かった日の空は似ている。若干季節は違えど、気持ちのいい快晴であったことは寸分違わない。けど、今日はなんだかいつもよりタバコが美味い。いや、気のせいだろう        とりあえず、今日どうすべきかを考えていた。折角昼前に起きることが出来たし、何より今日はバイトもない。「早起きは三文の徳」とはよく言うが、ならばこの早起きして得られた三文分何かに使わなければ勿体ない。ああ、太陽が眩しい。あれだけ毛嫌いしていた太陽も、こんな雲一つない快晴であれば嫌でも気は晴れる。部屋の窓から差し込む光だけでは勿体ない。抑うつ状態をこのまま続けるのも御免だ。日中から外に出て、買い物でもして美味しいものでも食べに行こう。今日はそうすると決めたのだ。何はともかくシャワーを浴びて着替えることにした。
約二年近くうつ病と適応障害の中間のような症状と戦ってきているが、その間のメンタルや体調なんかを考えると、今日は随分調子が良い。いや、それどころかこの二年間で一番のコンディションの良さではなかろうか。久しぶりに洗面台に写った自分の顔をまじまじと覗き込んでみる。よく見ればそんなに不細工ではないではないか。確かに、精神病のせいで若干頬は痩せこけ頬骨が浮き出ていて、目の下にはこれからも残るであろうクマが表れてはいるが、目、鼻、口は大きすぎず小さすぎない。顔全体をキャンパスだとしたら、それぞれのパーツの位置も均整がとれており、地味な印象は抱かせないであろう顔立ちをしているのではなかろうか。目にはしばらく影を潜めていた光が見え、力強くはなくとも生気を感じさせる熱を帯びている。とは言っても、僕はその日のコンディションが顔に顕著に表れるタイプのため、明日にはきっとまた死んだ魚の目のような、光を失った目をしているであろう。
これから始まる一日にこんなにも希望を抱きながら39℃のシャワーを浴びるのは一体いつ以来だろう。寝て起きたらシャワーを浴びるところから始まる生活を10年近くは続けているが、ここ最近は、ほぼ毎日この時間が憂鬱であった。頭、顔、体、そして最後に歯を磨くルーティーンもしばらく変わっていない。普段ならこの身を清める作業が終わりに差し掛かるほどに、その日始まる何の変哲もない底辺の一日を憂い始めるところだが、何がそうさせるのか、最高の一日になることに、期待に胸を膨らませている自分がいる。本当にポジティヴな人間は毎日こんなにも前向きに気分を昂らせているのかと思うと、少し自分が惨めに思えてくるが、今日は、いや、今日だけは、今日に限っては他人と比べるのはやめにしよう。いつもそうだった。一体いつ他人が僕に嫌味を言ったんだ?一体いつ他人に嫌なことをされた?存在しない架空の完璧な人物を勝手にひたすら妬んでいるだけじゃないか。
 兎にも角にも、くだらないことばかり気にするのは今日だけはやめにしよう。何か見えないものを僻んだり、何か見えないものに後ろめたさを感じたりするのは今日は無しだ。外へでも出かけて、何か美味しいものでも食べたり、服でも買いに行ってしまおうか。はたまた、たまには飲みに行こうか。今日予定が空いている友人はいないだろうか。たまにはここ最近遊んでなかった人でも誘おうかと上機嫌で浮かれていた僕は、SNSでは連絡をよく取っていたものの、最近めっきり遊ぶこともなくなった幼馴染の夕夏にたまには遊びの誘いでも入れてみることにした。

 「今日暇?」
現在昼の十二時三十六分、割と常に連絡を取っていた夕夏に送る3日ぶりのLINEだった。すると、すぐに既読がついた。
「なんかあった?」
「いや、今日暇なんだけどたまにはどっか行きたいな~って思って!」
珍しく上機嫌なのが、その文章を送った瞬間に自分でも分かった。普段、素っ気ない返事しかしないせいで夕夏も不自然に思ったのか、10分後に返信が帰ってきた。
「ちょっと仕事の用事入っちゃてるから、夜の6時以降からなら空いてる!」
「おけ!職場どこだっけ?」
「吉祥寺だよ!今日休み?」
「そー!じゃあ下北とかどう?」
「いいよ!」
「じゃあそれで!また仕事上がったら連絡して!」
「了解!」
こうしてトントン拍子に本日の予定が組まれた。しかし、時刻はそろそろ午後一時。まだ夕夏と決めた予定の時刻の6時までには時間があった。あとはもう着替えさえすれば外に出る準備は出来ている。とりあえず、近所のラーメン屋にでも行って昼食を取ることにした。
 そうして着替えて外に出た。普段あまりにも日中に外に出ることが無いからか、いつも見ている地元の景色さえ新鮮に見える。というより、目に見えるものも見えないものも、何もかもがいつもと違う感覚だった。外が明るい心の持ちようも変わってくるのか。ビルやマンションの窓ガラスに反射する陽の光が眩しくも美しい。いい日になるであろう1日に期待を膨らませ、浮かれながら最寄りの駅の少し先のある横浜家系ラーメン屋に辿り着いた。食券を購入して店員に渡す。
「いらっしゃいませ!お好みは?」
「硬め濃いめ、あとライスもお願いします」
この店でラーメンを頼むときのお好みは、高校生の頃初めて来た時から変わっていない。そう言って着席し、待っているとものの数分で着丼した。普段慣れ親しんだこの味も、いつもより良く感じられる。一時、鬱の症状が酷くなった時には無味乾燥として感じられたこの濃い味も、今では心の奥まで染み入ってくるようだ。
 気分よく腹を満たし、家について真っ先にタバコを吸う。食事後の喫煙タイムは何気ないように見えて、とてつもなく幸福度が高い。何なら、タバコを「美味しく」吸うために喫煙者はタバコを吸うといっても過言ではない。
 こうして、腹も満たされ時刻は午後一時半を回った。後の楽しみまで「お預け」を
食らっているのかと思うと、もどかしいような愛おしいような不思議な感覚になる。家から下北沢までかかる時間は調べたところによると大体四十分分前後といったところだろうか。五時過ぎに出ればいいとして、僕一人の猶予時間は残り三時間。早めに一人、下北沢を散策でもしようかとも思ったが、折角そこで時間をともにしてくれる人がいるのに抜け駆けしてしまうのはなんだか勿体ない気もする。

 一日を無駄にしたくないという強い意志もあるため、何をするか考え抜いた挙句、昔からやっていた作曲をすることにした。ここ最近メンタルの問題もあって、なかなか思うようにやりたいことも出来ていなかった。高校生の頃にバンド活動をしていたが、入試などもあってその当時組んでいたバンドは解散となっていた。大学に入学してからは、一人で曲を作ることをしていたものの、やりたい音楽の方向性が合わないなどの理由で、一緒にバンド活動を出来る人が揃いきらなかった。
当時、康太郎と「Oasisみたいなバンドをやりたいな」という話はしていたのを思い出した。僕らはChampagne Supernovaのような曲に憧れた。ドラッグに溺れて、オアシスのサウンドと何を言っているかわからない歌詞は、僕らの心を掴んで離さなかった。リアムとノエルは実の兄弟だが、あの二人だからこそ成しえた曲の数々やレガシーに憧れた。
あんな曲を作ることに憧れた。あんなバンドをやることに憧れた。そのことを思い返すうち、大学一年生時にずっと康太郎の家にたむろしていた時のことも思い出していた。大学の近くに彼は下宿していたが、そこは僕の地元とはまるで正反対の閑散とした田舎町だった。空に手書きでひかれた直線のような送電塔の電線、時に雲を突き抜け空と交わる山々、六等星の微かな眩さを邪魔しないほどにしか存在しない街灯とコンビニ、きっと僕らの目線に存在する星は群れからはぐれた蛍であった。きっと空から眺めたら、昔親父と作ったジオラマの街に大学と学生街を捻じ込んだら、僕らが散々はしゃいで吐瀉物を残していったあの町になるに違いない。
今すぐにでも康太郎に会って、僕の血が湧きたつほどの初期衝動を伝えたかったのだが、彼が大学卒業後就職した先は土日が出社日であったため、すぐに連絡はつかないだろうと判断して、一人でとりあえず作曲作業に取り掛かることにした。
夕夏と会う残り三時間では、僕の才能では曲を形にすることは叶わないだろう。僕の血管を迸るほどの熱量が走っているのに、頭の中ではグラミー賞を始めとしたあらゆる賞を総なめにする準備は出来ているのに、自分に才能と知識が足らない事がこれほどにもどかしいと感じたことがあっただろうか。しかし、そこで立ち止まることで抑えきれる情動でもなかった僕は、急いで机の中から白紙のコピー用紙とペンを取り出し歌詞を書き殴った。もはや英語であるか日本語であるかなどは頭によぎる暇さえなかった。

「僕ら描いた夢の続きの話
 冷めない熱が血脈を通って
 僕に話したことを覚えているかい
 あの日々が今僕を捕らえて離さなくて

 一等星が照らしだす真夜中
 六等星を手さぐりに探した
 僕らそれを忘れてないはずだ
 バドワイザーで乾杯しようか

 言わなくても分かるを超えて
  僕ら心を通して
 吐いて吸って僕ら目覚めて夢のまた先へ
 迸る情動に任せて手を伸ばして

 ウイスキーが胸を焼くみたいに
 揺れる熱が込み上げるからさ
 吐き出してしまいたいんだ
 喜劇も悲劇も過去も未来も
 何もかもを!」

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