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蛆虫の歌 1

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 この街はまるでジオラマだ。昔、父親と作ったこの世のどこでもない山木に囲まれた小里のジオラマを思い出した。二年ほどかけて130cm×60cmほどにしかならなかったがとても精巧に良く作られていたため、どこかの駅に展示されたらしいが、一体あのジオラマは今一体どこに行ってしまったのだろうか。もう十二、三年程も前になるのか。きっとあの小里は山に囲まれているから、実際に存在する場所なら冬の寒さは凍てつくほどに寒いだろうな。なんで昔作ったジオラマのことなんて思いだしたんだっけ。ああ、今僕は素面ではなかったのだった。一応僕は現実にはいるらしい。空はあまりにも遠いはずなのに、手を伸ばせば以外と近くにありそうなこと。左手に見える役所が何故だか不自然な程に人工的に見えて、あまりにグロテスクで思わず吐き出しそうになった。それでも、この公園に流れてくる風が僕に落ち着けと言ってくるように思えて気が楽になった。
「おい!おーい!」
実は聞こえないふりをしていた声を聞く気になった。隣で康太郎が僕のことをずっと呼びかけていたのは知っている。ただ、振り向くのも億劫になっていただけだった。
「完全にトリップしてたわ。これどこから引いてきたんだよ。」
「ヤバいでしょそれ、ここ最近で一番いいヤツなんじゃないかな。」
最早、会話を成立させることすら面倒くさい。なんなら、会話なんて破綻させればさせるほど面白い。それほどに僕らは適当でよかった。
「いや、セックスしてえな。」
何故文頭に「いや」が入ったのかはよく分からなかった。康太郎の喋り方は素面でもおかしい。だが、その意見には全身全霊を以って同意したい。
 この街で生まれ育って幾度となくつまらない経験をしたものだ。高校では一人にならないために友達を作って、卒業したら疎遠になる。そして大学に入学したかと思えば、また同じことを繰り返したのち、皆就活を始める。僕はその時点で、周りについていけなくなった。僕の力不足の面は否めないが、心からの軽蔑を持って大学を去った。その中でも、康太郎は数少ない大学時代に出来た親友であった。彼も僕と同じ大学に在籍しながら、そんな同世代に対する不平不満や対抗心を持っていた。彼とは軽音楽サークルで知り合った。僕は今でもあまり覚えていないが、康太郎と初めてまともに喋ったときにどうやら僕は康太郎に恥ずかしくなるほど酷いことを言ったらしい。
 当時、僕は所謂尖った人間であった。大学入学したての時なんかは、酒を片手にワーキャーしている人たちを心底ダサいと思っていたし、心底侮蔑していた。康太郎は大学時代2番目に出来た友達であったが、サークルで出会った最初の友達、すなわち一番目の友達以外信用していなかった。こいつしか話やウマの合う奴なんていないと思っていたからだ。今ではその考え自体痛すぎて鳥肌が立ってしまうが、まだ僕と康太郎が友達とはとても呼べる間はなかった頃
「佑介来てない?」と僕が康太郎に尋ねたところ、佑介は今日は授業がなかったらしく、大学に来ていない日だったらしい。それが分かった途端
「うわー、じゃあ俺今日友達一人もねえじゃん。」と口走ってしまったらしく、当時僕のことをすでに友達だと思っていた康太郎は内心あり得ないほどに傷ついたらしい。今でもその話を康太郎はよく掘り返すのだが、余程根に持っているらしく、その話を聞く度に僕も、近づくものを全て傷つける精神テロリストだなと自分自身に突っ込んでいる。
 その後、佑介は大学2年生になったころに大学を中退した。あのままの僕であったら、そのまま友達を失っていたであろう。そう考えると、康太郎がいてくれたことは心の底からありがたいことだと思うし、実際彼のお陰で友達も増えた。彼はあまり友達はいらないと言っていたが、なんだかんだ社交的で人付き合いは上手かった。そんな彼のお陰で、友達付き合いにおいて鎖国同然であった僕の交友関係も華やかになった。
 しかし、今になってみればそうして築き上げた交友関係も限りなく狭まったなと感じる。
現在、そこそこの頻度で会うことがあるのも康太郎と佑介くらいになってしまった。昔では考えられなかったことだが、今になってそんなかかわりがなかった奴にさえ会いたいなと感じるようになった。つくづく人間というのは我儘である。何も持ってなかった頃は、そのことについて何も知らないがために拒絶したがるが、ついそのことについて知ってしまうと、離れた途端そのことについて寂しく思うのだ。いや、他の人は対してそんなこと思っちゃいないのか。そもそも自分が普遍的であると思うことなんて烏滸がましいよな。いや、もはやそんなことはどうでもいい。とりあえずしばらく会ってない過去の友人に会いたい。
「サークルのやつら今何してんだろうな。」
不意に心の中で思っていたことが口から溢れて出てきてしまった。
「そういえば柳瀬結婚したらしいよ。大学卒業してすぐに、ずっと付き合ってた萌香先輩と。」
「マジ!?いや結婚するだろうとは思ってたけどいくら何でも早くね?」
所謂、「寝耳に水」というやつだった。僕としては、誰々はどこの会社に就職したとかどこの部署に配属になったとか、そういった他愛もない返事が返ってくると思っていた。
 その後、柳瀬について話されたが、結婚するタイミングが早かったのも奥さんが子どもを妊娠したからであった。いわゆるデキ婚というやつらしい。柳瀬は地元の地方銀行に就職し、そもそも1年前から彼女と同棲していたことから流れでそうなったらしい。本人たちも、いくら何でもタイミングが早かったのでは?と思わなかったこともなかったらしいが、二人ともそのような決断に至ったようだ。
 思わずバッドに入りそうになった。かつて大学のサークルで同じ釜の飯を食らったともいうべき存在が、もうすでに結婚してるだなんて。今、僕は一体何をしているのだろうか。方や銀行に就職し、新婚生活を送っている同級生。方や実家暮らしでフリーター、最悪なことに今は大麻を吸っている。同じ大学に在籍し、同じサークルにも在籍していたのにこの差は一体何なんだ。一体何が柳瀬を正しい道へと導き、何が僕を外道へと導いたのか。
色々と気に食わないことだらけで最近気が狂いそうになっていた。なんで大麻がダメで酒やタバコは法律で罰せられないのか。なんで人種や性別によって差別をするほど世界は他人に対して興味が湧くのか。なんで僕はあまりにモテないのか。なんでこの世界で僕の叔父は自殺をしなければならなかったのか。ネグレクトとは何なのか。解決しようがなかったり、解決したってどうにもならない無数の疑問が、僕の頭の中に浮かんでは消えを繰り返している。きっと将来の安泰が約束されている奴なんかには全くもって縁のない話なんだろう。今ではそれすら憎い。他人の幸せな話を聞く度に、心底自分がみみっちい人間だと自虐してならない。そして、そこから抜け出そうとする努力さえしない自分が憎くもあり、心のどこかで安堵している自分がいるのも情けなかった。そんな矢先、康太郎が僕に問いかけた。
「お前彼女いい加減作んないの?」
みんなが話題がなくなると僕に投げかける問いかけは決まってこのような話題であった。
「いや、欲しくない訳ではないけどね、今は別にいらないんだよな。その時ではないというか。」
「お前の『その時』は一体いつ来るんだよ。」
毎回、同じやり取りをしてぐうの音も出なくなる自分が情けない。僕は別に敬虔なプロテスタントでなければ、周りから呆れられるような女たらしでもない。かといって性経験が無いわけでもない。そのような貞操観念もどっちつかずといった具合で生きてきてしまった所為で、周りと異性の交友関係の話になった時についていけなくてずっともどかしい思いを思春期から抱えて生きてきてしまった。セックスはしたことがあるのに、まともに恋愛はしたことがない。まるで自分が男としてはまともではないみたいでずっと周りから疎外感を感じて人生二十三年目を迎えてしまっている。かといって、女性のことを心の底から好きになるなんてことも今まで一回も感じたことがなかった。「友達に彼女がいることが羨ましいから、自分も彼女が欲しい」という女性に対して一ミリのリスペクトもない思考回路にしか、僕の中の脳内に電流が走ることはなかった。こうして話の詰将棋に僕は毎回負けてしまう。
そして、毎回話を逸らす。
「もう一本巻かね?」
康太郎はいいねと言って、僕らは公園を去ることにした。立ち上がって夜空を眺めてはみたものの、星々は無数にある人工太陽のような街灯に隠されてしまっている。このコンクリートジャングルから見ることの出来る星は二等星以上の巨大で眩い光を放つものだけだ。かつて父親と共に作り上げたジオラマの小さな里からならば、いくつ星を数えることができたのだろうか。いや、きっとそんなロマンなんか僕が持ち合わせるだけ無駄だ。ただ真面目に真っ当にいられればそれでいい。いや、それすらも僕にとっては無縁か。ならばすぐに今すぐこんな犯罪行為をやめるべきだ。

 僕は、昨日康太郎と遊んで話していたことや思っていたことなどを思い返した。心地のいい、刺激的なトリップに身を委ねながら感じていたあまりに根暗な自分の本性と、何故か素面になった今、真正面に向き合おうとしていた。今まで、自分の中で何か革命を起こさなければならないとは常に自分の中にあった懸念材料ではあった。いつまでも浅く狭くな人付き合いも。彼女ができたことはないくせに、貞操観念はがばがばで中途半端な女性関係も。違法薬物に対して一ミリも危機感を持っていないことも。就職なんかしようとも思わないことも。何もかもが自己嫌悪に繋がってしまって、「塵も積もれば山となる」とはよく言ったものだが、それらのあまりに小さくしょうもないような自己嫌悪たちが、大量に僕の肩に積もってしまって身動きが取れない。僕は神を信じてはいないが、仮にこの世の全てを知り尽くした存在がいるのであれば、今すぐにでもこの肩に積もった小さな悩みの塊の全てを吹き飛ばしてほしい。何ならこの「吹き飛ばしてほしい」という醜い他力本願ですら僕に少しずつのしかかってくる。きっと、世の中をそれなりに上手く生きていける人や、所謂世渡り上手な人たちは、これらの悩みがあれば一つずつ冷静に片付けていけるのだろう。いや優秀な人たちならば、わざわざそんな悩みを貯めることもあるまい。それこそ服についたカスを手で払うがごとく、気にも留めないのだろう。喧嘩は同じレベルのやつらでしかしないらしいが、塵やカスと真正面から喧嘩しようとしている僕はそれらと同価値ということになる。実際その通りで、自分自身に対して返す言葉がなかった。ああ神様。富も名誉もください、そして力もください。けど、翼も欲しいです。きっと、僕みたいなうだつの上がらない人間を生産しないために義務教育は存在しているのだろうな。何も持っていないけど欲望には忠実でがめつい。いっそ僕にもっと救いがなければ、何もかもに諦めがついたかもしれない。
 ならば、あの時自殺してしまった叔父は、人生の全てに諦めがついたのだろうか。人それぞれに死生観があることくらい僕にだって分かる。長生きが美徳だと思う人も、光陰矢の如く短命に生きるのが美徳の人も少ない人間関係の中でこれまで見てきた。僕はどちらかと言われれば後者の意見側に属するが、光陰矢の如くというには僕の人生に速さは無い。後者の意見側に属するなんてかっこつけてはいるが、本当はただ人生を太く短く燃やし尽くして、惜しまれつつも儚く派手に散っていくことに憧れを抱いているだけである。27クラブと呼ばれる二十七歳で散っていったロックスターを心底羨ましいと思う。若くはあったが、華々しく散っていくその姿は美しさすら覚える。故にカリスマと呼ばれたのだろう。
僕の叔父は確か三十二歳か三十三歳で死んでしまった。その当時、僕はまだ小学校三、四年生であったはずだ。あまり沢山の交流があった訳ではなかったが、会った時にはとてもよくしてくれていたことは今でも覚えている。小学校の頃は野球をやっていた僕に「キャッチボールしよう!」とたまに公園に連れて行ってくれた。こんな優しい叔父であったが、家族の皆からは持病のアルコール依存症を理由に疎まれていた。それ以外にもギャンブル中毒やそれに伴う借金で母方の家系からはかなり嫌われていた。実際、当時小学生であまり深く理解できていない僕の目にもとてもだらしがない人間に見えたし、実際そうであったと今になっても思う。アルコール依存症のせいでまともに職に就けるはずもなく、生活保護を受給して、そのお金を日々酒とギャンブルに溶かす日々を送っていた彼はやがて借金苦に陥り、どんどん人の生活からはかけ離れていった。これは大人になってから聞かされた話であるが、そんな負のサイクルに陥っても、どんなに日々が辛くとも、僕と遊んだり話したりする時間だけは、「人生で唯一と言っていいほど何もかもを忘れられる楽しく幸せな時間だ」と叔父は言っていたらしい。ただ、もう依存症と借金苦はその程度の幸せでは治らないほど、叔父は身体的にも精神的にも限界が来ていた。依存症の症状が重くなり、時折幻覚のようなものを見るようになっていた。(今になってみれば、アルコールだけではなく何かほかの違法ドラッグの中毒症状にも苦しめられていたのではないかとも思うが)ある日、借金取りに追われている幻覚を見てしまったらしく、彼の父親(つまり僕の祖父)の店で癇癪をおこしてしまったらしい。その後飛び出すようにして、店を後にしたのち、叔父は自宅の押し入れの中で自殺しているところを彼の父親に発見された。死因はインスリンのオーバードーズであった。
叔父の死後、間もなくして火葬の日となった。その日が僕にとって初めて死人に触れる機会であったが、同時に初めての「今生の別れ」という経験でもあった。それまで近しい人の死を経験したことのなかった僕にとって、葬儀場に行くまであまり叔父が死んだという実感も湧かなければ、「人が死ぬ」ということがどういうことなのか理解も出来ていなかった。だが、実際に棺に入って動かなくなった叔父を見て、自らの胸の内に妙な熱さがあったことは今でも覚えているし、いまだに思い出す。どんな冬の寒さであろうと、触れれば感じる人の熱を感じ取れなかったこと。それと同時に自分が熱を帯びた生きた人間であるということを、冷たくなった叔父の肌から僕の肌を通して感じ取った。叔父と僕の体温の差というものは「生と死」であり、あるかどうかは分からないが「あの世とこの世」であり、「絶望と希望」であった。
何故だろうか。今になって色々思うことが込み上げてくる。きっと僕が今抱えている苦悩なんかとは比べ物にならないほど、重く大きな苦悩と戦っていたんだなと感じとることが出来る。他人から見れば下らないと思うかもしれないし、この叔父を最悪な人間だと思うかもしれない。けど、誰しもが決して僕の叔父のような人間にならなかったなんて言いきることが出来るだろうか。家族であった僕は少なくとも肌から感じとった。僕の叔父は確かに人より色々なことが出来なかった。そして確かに人よりもだらしがなかったことは否定できない事実でもある。しかし、その分人より多くの困難と立ち向かったのもまた事実である。結果的に人生に諦めをつけ自殺をした。「自殺は悪いこと」だと母親は僕が幼かったころから教えてきたが、僕が叔父のような境遇であったならば、間違いなく自らの手で命を絶っていたと思う。上手く生きていく自信は僕には持ち合わせてはいないが、苦悩から逃げるようにして自殺をしてしまうという自信だけはある。なんなら、自殺をしてしまうまでに懸命に戦った叔父を誇りにさえ思う。そのことを思うと、自分のこの「弱さ」がとても愛おしく、とても憎い。
ああ、素面に戻ったらこのザマである。どこにぶち当てる訳でもなく、自分で解決する訳でもない。自分で大きく広げた風呂敷を自分で包むことの出来ないn回目の堂々巡りはこれからの人生の先で一体何回繰り返すことが出来るのだろう。これすらもある種僕にとっての不幸であり、人間としての暇を贅沢に使った幸福である。こんなことを考え続けていたら、本当に僕は可笑しくなってしまう。今なら全裸でこのコンクリートジャングルへと飛び出して、交差点の真ん中で射精をすることだって厭わない。これから一時間もすればきっと夜明けがやってくる。夏のせいなのか、僕の世迷言に付き合っていられるほど夜は気が長くないようだ。僕は夜明けというものが心底嫌いだけど、今度は戦ってみることにしよう。夜明けは誰にでも平等で、僕だけに味方をしないことも、大人になるのなら理解をしなければ。

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