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家族が実家へ変化する

親と話していて、言葉が伝わらない場面が増えた。

子どもとしてさみしいな、でもこれが自立なのかもとも思う。はたまた、これが社会構造そのものなのかなと思ったりする。



私の親は、私がぶっとんだことをしても基本的に放置してくれる。中学時代に理由もなく2週間くらい不登校した時も、高校時代に学校を休んでまで留学した時も、大学を休学している今も。



「休学しようと思ってる」と伝えた時、
「考えて決めたならいいんじゃない?ただ、目の前のやりたいことだけじゃなくて、女性は出産にリミットがあるし長期的なプランは考えなね」とだけ言われた。私の思考回路をよくわかってる的確なアドバイス。



そのあと、休学してやろうと思っていることを話した。「今仕事でメディアやってて〜」とか、「仕事ではコミュニティの運営が〜」とかそんなことを話した。
そこで、伝わらない言葉がたくさんあることに気づいた。「メディア?」「コミュニティ?」と。また、複数の企業や団体に属してフレックスに働いていることに今ひとつ手触りがなさげだった。



その日あったことをぜんぶ話していた中高時代のようなコミュニケーションは、とてもハイコンテクストで、今はできなくて当然だと思う。オンラインでの活動がイメージしにくいのは、ジェネレーションギャップも影響しているだろう。


ただ1番もやもやするのは、
どんどん自分が社会的に強者になり、親との価値観不一致が生まれていること。


私の親は、幼少期から経済的にも家族構成的にも苦労が多い人だった。大学に行けなかったのがコンプレックスで、今も全然お金ないのに私を無理して大学に入れてくれるような人だ。かなりしんどいダブルワークをしている。介護系や接客業で体力的にしんどい仕事。

一方私は、ぜんぶオンラインでもできて、体力的にも時間的にも楽と言える仕事をしている。

正直最近私が関わるのは所得が高い人が多いと思う。考え方は比較的ダイバーシティ重視な人が多い。


私は、私を囲む人の価値観を当たり前と思って過ごしてきたけれど、それは育った家族とは少し毛色の違った価値観で。


価値観は人それぞれ違っていて、全て同じの人なんていないけれど、近しいと思っていた家族と自分の価値観が離れていくのは、家族が実家へ変化することなのだと思います。

- 追記 -

この記事は、公開するのがなんとなく怖くて、ずっと下書きにしていました。親に対して感じる違和感を表明すると、親を否定することになるんじゃないか、自分が親を見下ろした傲慢な人間になるんじゃないか、と怖かったからです。

でも、2年ぶりに帰省してみて、離れていく価値観は感じつつも、違っていてもたのしく一緒に暮らせるし、別にそれは怖がることじゃないんだなと思えたので公開してみました。

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