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人を損なうかもしれない職業

高校生のころ、第一志望は医学部だった。

現役合格にはとても成績が足りなくて、親との葛藤もあって、生命科学×家から出られる大学、というこじつけのような選択肢に逃げるようにして進学した。それがずっとずっと心残りで、第二志望の、妥協の人生を生きている感がすっきりとなくなることはなかった。

就職も妥協の産物だった。
こんなことを言っては関係者の方々に申し訳ないほど、世間的には「良い」職場だったのだけれど、存分に生きていない感は、私自身の心身を苛み続けていた。

30年、ぶつぶつうつうつと勤め続け、50代になった頃には、このままでは60代になって年金をもらえるはずのときになっても、生きていないか、心身の壊れた状態になっているな、と諦めがつくほど、心身腐れたダメダメな勤め人になっていた。

そんなこんなで(端折ると)、恵まれた職場を選択定年制で辞めて、鍼灸マッサージ師という療術業に転じることにした。不安定な、ガテン系の、でも心身に直に触れる仕事。

と、長くなったけれど、この仕事は迷いの日々だ。

あるとき、迷い過ぎて、友人の勧めてくれた占い師さんを訪れた。

この際、と、ほんとうは医師になりたかった、なれなくてずっと心残りだった、と告げてみた。

すると、
「なれなくもなかったけれど、なっていたら、あなた、30代で死んでいた。期待に応えようとし過ぎて。30代で死ぬなんてあんまりでしょう」と。

半分くらい腑に落ちて、半分くらいは私を納得させるためにそう言ってくれたのかなとも思っていた。

昨日、残りの半分が腑に落ちた。

医師は人の命を救う職業のようでもあるけれど、こういう視点からすると、人の命を損なう、人を殺すかもしれない職業でもある。

今の鍼灸マッサージ師として施術をしているのでさえも、私が触れたことでかえって増悪させてしまってはいないか、間違った見立てで施術してしまっていないか、もっと知識や技術が高い人のところに行けたら遠回りしないで済んだのではないか…と自分の至らなさに落ち着かないときが続く。あるところで境界線をひいて、できることをするしか、と思いなしているけれども。

これが、医師として臨床に出ていたなら、5年、10年とするうちに、私のせいで患者さんが亡くなった、悪化した、という思いを少なからず積んでいただろう。そんな負荷に私自身が耐えられず、自分の生命を削っていただろうな。

医師の働き方もいろいろで、他の道もあったかもしれないけれど、10代、20代の私の(今よりも)ひ弱なメンタルでは、早晩、折れてしまっていただろう。

今さらの、残りの人生。
30代で死んでしまわず、生き長らえさせてもらっている人生。
施術者も少し、呪われた職業、かもしれない。
自分を損なってまでなんて思い上がりは気づくたびに手放して、それでも、できることをするしかない。それだけは、やめない限り、やり続けるだろう。

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