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三十年前の回顧。

小学生か中学生ぶりに短めにヘッドの周りを切ってもらったサキゾー。中年的澱みがスプラッシュした感があった。襟足ギザギザに、は、先に言うことを学び、スタンプカードにメモを施された。昼前後より、十五時過ぎが狙い目の空き具合と悟る。故郷の雨は長引いて、予定を半日遅らせ、あす帰京とする。それにしてもこちらは、物価が都内より百円から二百円は安い。商品ルートも違うせいか、珍しいものが多かった。三十四年続いたスーパーのファイナルをみてきたが、そこにはかなりの感慨があった。二十年前の写真風景は僅少、現状との面影と重なり、そこまでの感慨はなかったが、三十年前となるともはや、現状との重なりが薄れ、逆に感慨は倍増していた。それはサキゾーの中学生時代の頃だった。一九八九年と一九九八年の写真の違い。前者にはもう、弄って書き換えることができないくらいの、記憶的な遠さを感じ。後者にはまだどうにかなる感を覚える。前者はもう、手の届かないところにある記憶であり、後者はまだ、改竄可能な領域にある記憶。それについて語りあえる仲がもうほとんど存在しないものとまだまだ、存在するもの。そんな違いだった。それからすれば、十年前はまだ、記憶の近所かなという錯覚。基準が三十年単位と軸移動すれば、十年もそれほど、昔ではなくなるのかという。それは錯覚ではあるのだけれど。十年の時の流れは相当なのだから。そこから考えるに、街単位で考えれば、二十年でそこまで変わらないが、三十年ともなると、モデルチェンジの時期になるのかなと締めくくる。

感慨の締め切りを学び、三十年後も古びない文体を、という新たなモデルチェンジに移行しはじめるサキゾーであった。今のところそれに耐えうるのは、角田光代、ただ一人であった。サキゾーの中では。

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