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夜のドライブ

最近、仕事終わりに1日頑張った自分へのご褒美としてドライブに行く。
けれど行き先は事前に決めない。
その時見たい景色や、走ってみたい道が思い付いたらそこに行く。
でも、大体見たい景色は見れないし、走りたいと思う想像の道はそこにはない。そんな時でも僕はドライブに行く。

ある時、東京タワーが見たくなって走りに行った。
東京タワーをまじまじと見たのは初めてだったかもしれない。
60年以上前から東京の街並みに立ち続ける橙色の人工物は、僕のような素人には考えもつかない複雑な構造をしているし、何よりあの鉄骨の継ぎ目にに規則正しく並ぶリベットは官能的ですらある。
テレビの電波を関東中に届ける役割を担い、名所として多くの人を受け入れているこの塔は、その立ち姿に威厳すら感じる。
けれど、どこか人間臭さというかその塔に関わる人々から渡された温かみをゆっくりとけれど確実に見ているものに届けてくれるような気もしたのだ。
東京の名所であり、そしてシンボルである東京タワーを満喫できた僕はゆっくりと元来た道を帰ってゆく。


小雨の降る中林道を上がり、車で行ける終点を探しに行ったこともあった。
登山口ともなっている大きな公園を尻目に人気のない裏道を上がる。
生い茂る杉の森をかき分けていく道は少し荒れ、車や人が入ってないことを物語っている。
しかし、人間以外の生き物の痕跡はそこかしこにあった。
車のエンジン音をかき消さんとする虫の音色。
ヘッドライトに照らされる鹿のフン。
車の存在に気がつき森の奥へ逃げる小動物たちや、警戒する鹿の鳴き声。
その山に生きる生き物の息吹を感じながら街灯もない真っ暗な林道をゆっくりと登っていく。
山から流れてきた小石がジャリジャリと、落ちている小枝がパキパキと。
タイヤが何かを踏むごとに奏でられる音に耳を傾けながら進んでいく。
道の横から生い茂ってくる下草たちをかけ分けた先に、その場所には似つかわない鉄の塊が突然現れたのだ。
無機質に終点を告げるゲート。
人一人分のゲートの隙間とその先に続く登山道。
ここが今日の終着点だった。
車のエンジンを止めて外に出てみる。
生い茂る杉の森に囲まれて景色を見ることは叶わなかったが、頭の上に広がる星空は、街の中の数倍の情報量を僕に届けてくれた。
ポッカリと空いた空間はまるで井戸の中から外を眺めているような感覚を与えてくれる。
井の中の蛙は大きな世界を知ることはないが、星空の美しさは知っていたのだろうなと、僕はそう思うのだ。


目的地が決まらないドライブは、車内がライブハウスと化す。
お気に入りのプレイリストを流しながら、単独ライブin My Carを開催するのだ。
歌いたい歌を好きなだけ歌いながら車を流していく。
窓の外に流れていく街灯や信号、車のライトがミラーボールのように煌めき、車内スタジオはヒートアップしていく。
最高潮に高まった車内にはもう誰も止める人はいない、僕は車のエンジン音にも勝る声量で歌を歌い続ける。
終盤に差しかかる幕間の時間、コンビニのコーヒーで喉を潤し、後半戦へ。
幕引きまでの時間を喉の調子と相談し、この先の経路を割り出していく。
カラオケドライブも終盤戦、自宅に近づくと明かりは少なくなり閉幕の雰囲気を醸し出してくる。
今日1日の自分の思いをのせた静かなバラードを歌いきり、駐車場に車が収まると閉幕となるのだ。

仕事終わりのドライブは自分の時間だ。
夜は自由の時間だ。
自由を感じるために僕は車を走らせるのだ。



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