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正論か世論か?

何かのきっかけで田中正造の逸話が小学校の教科書に載ってたなと思いだした。ネットで調べてみたら、僕の世代だと6年生の国語の教科書に載っていたらしい。

田中正造は明治時代の栃木県出身の政治家で衆議院議員まで務めた人である。地元の足尾銅山から出る排水によってもたらされる公害とそれに苦しむ農民を目の当たりにして、問題解決を目指して様々な活動をしてきた人で、その象徴的な事件が明治天皇に直訴状を手渡して事態を知ってもらおうと、天皇陛下の行列に向かって単身飛び出し書状を渡そうとした事件である。当然警護に取り押さえられ、結果彼の嘆願は取り上げられなかった。結末は覚えてなかったのだが、調べると「気がふれた老人の奇行」として「沙汰無し」との処分になったそうである。

足尾銅山の公害問題を解決しようとした田中の行動は、どの角度から見ても正論であり、尊敬を受けるべき勇気のある行動である。うっすらと記憶にあるのは、「正義を見つめて勇気ある行動がとれる大人になりましょう」みたいな教訓を教わった、もしくは子供としてそう受け取った話だった気がする。しかしいい歳のおじさんになってみると、「あんまり正義面下げて堅苦しい事言ってると変なしっぺ返しくらうよ」「長い物には巻かれていた方がいいよ」「偉そうな事言ってるけど、どんだけ聖人なんだよ」といったような斜に構えた意見の方が世の中には圧倒的で、あまり声高に主義主張を発するのは憚られる世の中である。(匿名のネット上では別だけど)。どうせ俺が発言したって世の中変わるもんじゃない、世の中偉くて権力のある「お上」が握っててそれ以外の人にはどうしようもないなど達観なのか諦観なのかよくわからない割り切りをして日々生きている人が圧倒的である。すなわち「正論」は忌嫌われるものであり、正論より世論の方がよっぽど大事なのである。。。

とは思っていても、そうであってはならないとみんなどこかで思っていると思う。

さて当時小学生に田中の逸話を通して、どんな教育を「大人」はしていたのか?たまたまネットに教育指導手引きがあったので見てみると、「田中は直訴をするべきだったか?しないべきだったか?」というディスカッションをしろとあった。要するに田中が「直訴をしない」というチョイスもあったのだと教育はうたっているのであった。「いい大人が直訴なんかしてんなよ」「お前も家族とかいるんだろ」「そもそも鬱陶しいんだよ」という意見があっても当然と思っていたらしい。。。最終的に小学校6年生に「君たちはどう生きるか?」と問うていたかは現場の先生によるのだろうが、文部省はその当時どう考えていたんだろう???ちょうど学生運動も収まった頃だったから、「もう面倒な自己主張激しい国民はうんざりだから、おとなしく言うこと聞いてくれる大人を作ろうよ」と思っていたのかもしれない。

その結果が今の日本なのかしらん?