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ヌーベルファム/桐島洋子先生


マイナンバーが結婚を無くしていく?

 結婚制度については、為政者が統治に資するために作ったのだろう。

しかし、もうすぐ5割に届こうとする離婚率や非婚の上昇を考えると

結婚制度は無くなってもマイナンバーで、ことは足りる。

 マイナンバーは、警察国家・全体主義への道ではないか?夜まで働くシンママやクラブなどの経営者を虐めなくていいじゃないか?(政治家たちがお世話になっているだけに)あとは通名を守りたい在日の方々の生活、これらによってなかなか進まない。確かにシンママや通名で生活している方々には、何かのソフトランディングが必要かも知れない。

シングルママ123万人。

    シングルママだって働くし、恋もする。この人数は日本全体から考えると主婦が730万人なので、少数派ではあるが見過ごせる数字でもない。存在感がある。

 離婚原因は色々あっても(不倫・金・価値観の不一致)、圧倒的な理由は性欲。『四年周期説』がそれだが、三歳児を残して離婚するのが人間の本能。だが、今となってはこの養育は20年に及ぶ。だから、多くは我慢し・ごまかし・あるいは隠して浮気や不倫・托卵で老いるまでなんとか耐える。制欲が減退すれば、お相手を嫌う必要は無くなる。

 若い愛人の人生や子供は?
 
 金と時間のある、つまり要領が良くて能力の高い男性は、奥さんより若い彼女を数人作る。しばしば、その若い女性が中年になるまで引っ張られ出産の機会を失う。有能な女性ほど、就業を続けるし若い男性には見向きもしない。

 奥さんに磨かれたおしゃれ・お金がかかった服装・sexの経験・(できなければ家でも他所でもヤレるという余裕)男としての自信。そして何よりも美味い飯。
 
 そりゃあ、フグチリ&ひれ酒 VS 牛丼&缶コーヒーじゃあ勝負にならない。

美人さんが結婚できないと言われるのが、ここ。まずい飯を我慢できるかどうか?

女性の生きづらさ

 『女のくせに。』この言葉が、どれだけの女性に忍苦と諦めを強いてきたのだろう。男性の私にしてから『お前には無理。』『男のくせに。』などと言われてずいぶんと耐えてきた。まあ、最近では鈍くなって『叩かれるうちが花。』としぶとくなった。

桐島洋子先生


以下 ウィキ抜粋
桐島 洋子
は、日本の作家。
高校卒業後、、文藝春秋社)に入社。1957年、20歳で雑誌『文藝春秋』の記者となる。
1962年ダイビングで知り合った26歳年上のアメリカ人の退役海軍中佐と熱愛関係となる。1964年に「未婚の母」として、長女・かれんを産む。翌1965年、次女ノエルを身ごもり、退社してフリーのライターとなる。
1967年、愛人がベトナム行きの船の船長になったため同乗し、戦争下のベトナムに赴く。書類を偽造してプレスパスを入手し、「従軍記者」として戦地を取材。帰国後の1968年に、ベトナムでみごもっていた長男・ローランドを出産。
1968年、愛人との関係を清算するためもあり、ローランド出産後すぐ、かれんのみを連れてアメリカへ。かれんは東海岸の保育所に預け、単身アメリカを放浪し様々な職業につく。自伝的エッセイ『渚と澪と舵 ふうてんママの手紙』を1970年に刊行。新しい女の生き方を示して、多くのファンを得る。
アメリカ人の寒々とした心象を描写した『淋しいアメリカ人』を翌1971年に刊行。
以降、女性の生き方についての本などを多数、執筆、翻訳する。1976年の『聡明な女は料理がうまい』はベストセラーに。
また、1977年に創刊された女性雑誌「クロワッサン」が、1978年から「新しい女性の生き方を追う雑誌」に路線を変更すると、「カリスマ・シングル・マザー」として「生きかたの見本」として20代の読者たちから憧れの対象になる。
1987年、50歳で人生の「林住期」を宣言し別邸を買い、「林住庵」と名づけて年の3分の1を住むようになる。
2016年5月からは自身の半生を綴るエッセイ『ペガサスの記憶』を雑誌で連載していたが、認知症の悪化により10か月で連載を中断した。以上。

要するに、金は全部自分で稼いで、好きな男の子供を産む。というライフスタイル。まあ、破天荒だがお子様方のご活躍を見るに、後世に向けても間違いじゃなかった。

 雑誌クロワッサンでは、ヒーローの扱い。しかし、後に金持ちの日本人と結婚するに至り「お前も(男の金に頼る)か?」みたいな裏切り者扱いにあったり、子育ての際には子供たちに寂しい思いをさせたことは明白だ。想像もつかないご苦労もあったろう。

 その頃から女性雑誌は『自立する女』桐島洋子さんから黒田知永子さんなどのイメージ『金持ち男と結婚して楽に綺麗に贅沢に』へと方針を転換し日本女性の憧れとしてアイコン化する。(黒田さんご自身はそうではない)

 

地上に降りられない独身女性

 群ようこは自著のエッセイの中で、 このような女性の状況について、「展望台の2階に上がったら、始めはすごく眺めも良くて気持ちが良かったけど、 気が付いたら、誰もいなくなっていて、あわてて降りようとしたら、 階段もなくなっていた」と喩えている。ウィキ。

 若い女性は美しく可愛くパワーもあって、無双。華やかな乙女時代を突き抜けたら自らはオバサンとなり、孤独と不安の闇の中にいるってわけだ。

 若い時に結婚した友人は、すでに小学生の子供を持ち多くの課題をクリアしてきたように見える。私はいったい何をしてきたのか?
 生活疲れしている彼女より、私の方がずっと若く見えるけど。


本能に殉じた日本女性のあり方。

江戸以前は特に、女性が家を持ち食事を用意する。男性は、金を持って女性宅に通う。

一夫一婦制ではなく多夫多婦制。

男女の出産数はイーブン。(実際は数%、男性の方が多い。)男性は危険な仕事や戦争で少なくなりがち。だが、この通い夫のローテーションなら多少のアンバランスは解消できる。

 子宮の構造が複数の男性の精子の共存(というか闘い)を前提としているから、同時に複数の男性を呼んでも良いだろう。気に入った男性には厚く遇し、嫌いな男性は拒否すれば良い。

 そうして生涯に3−4人の子供を設ける。

その場合の(女性の)生活の軸は家と自分の稼ぎと、男性が持参する金だ。女性には生涯に二億円は稼いでほしい。中には貧乏だけどカッコいい男性もいるからね。

お金がないと、恋は出来ない。托卵率=托卵/検査実施 が5割の日本においては、主婦が借金付きで叩き出される。

男性側は、女性を必要としないときは金も要らない。また女の家に行きたければ貯金をするために働くか、安酒か小博打でもやっていればよろしい。

老いては、子供たちに少しづつ仕送りをしてもらうなり。


女性の怠慢が浮き彫りに

 ここで、『じゃあ、やっぱり美人がモテるわね。』との意見が出るだろう。当然だ。美人は男性の脳に報酬を与えている。男性は美人に感謝すべし。
 
 美貌で負けると思うなら、美味い飯を出す・床上手・話題が豊富・愛嬌が良い・その他の方法で男性を喜ばせば良いのだ。

 キャバ嬢をバカにする向きもある。『子供を産んでくれた女とどっちが大事なの?』というご意見もわかる。だが、逆の立場になったらどうだ?金のためとは言え優しく笑う女性の方が、マウンテンゴリラより可愛いのは当然だ。働いて家庭に家を入れてくれる男性に、もっと感謝しそれを表せ。男性からすれば、両方にお金を払っているのだ。もちろん、子供を産んでくれたことに感謝はしている。



どのみち稼がなきゃならない


結婚しようがしまいが、破産しようがしまいが私たちは明日の朝がこれば働く以外ないのだ。

ならば、そろそろ覚悟を決めようか?

最後まで、お読みくださりありがとうございました。


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