父と母のこと。

人生において、お葬式に出る機会というのは最近では少ないかと思います。

それでもお葬式に出るというのは成長過程の私にとってはとてもとても心に残っており、色々なものに気づかせてくれた大切な通過儀礼でもありました。その時のことを書きたいと思います。

うちの両親は2人とも兄弟が6人以上いる田舎の家庭に育っていました。そうなると昔は中学や高校卒業を機に都会に就職という名目で家から出されます。また、兄弟が多いと全員が大学へ行くのも難しく、長男は家を継ぎ、それ以外は嫁いだり就職で都会に行く以外の選択肢のあまり無い時代でした。そうなると、2人とも15才とか18才の頃には親元から完全に離れて暮らす様になります。母が高校に行けたのも、お兄さんが祖母を説得してくれて高校に行けたと聞いたことがありました。その後は年に多くても2回、お盆と正月にならないと会う機会が無いという状態で大人になります。

私は幼いながらも何でも面倒に思う質で、お盆に正月にと当時は船でしか行けなかった徳島へと片道何時間もかけて向かうのが苦痛でしょうがありませんでした。その時は親が年2回、毎年の様に帰省する意味も分かってはいませんでした。

人生で1番最初にお葬式に参加したのは父方の祖母の時でした。小学校低学年の頃でお家から連絡が入ったと先生から教えてもらい、早退させてもらうという初めての経験をしました。そういえば、以前にも友達がら同じように帰っていた事があったなと思い出していました。そうして家に帰ると母親がバタバタと帰省の準備をしていました。そのうち姉も父も帰ってきて、よく分からないうちに田舎に帰ることになりました。父と母が普段は着ない真っ黒い服を着ていたのが印象に残っています。

そうして父の田舎に帰り、大勢の人が忙しそうに出入りする中、親戚の子どもばかりで暇を持て余して何かしら遊んで時間を潰したり、大人はみんな真っ黒い服を着ていて、子供達は学校でもないのにそれぞれの制服を着ているというのがいつもと違うなぁと思っていました。あとは気軽に入れない部屋が1つあって、大きな木の箱に祖母が入って置かれていました。父が父の兄弟と何かしら話している間、顔は少し覚えているけど、生前の祖母とは皮膚の感じが違うなぁとだけ思っていました。

そうこうするうちに、お盆の時と同じようにお坊さんが来たりお経を唱えている間はじっと座っていないといけなかったりして、ふと父を見るとその背中が子供から見ても凄く寂しそうに見えたものでした。その後も、祖母が入っている箱の近くに座ってじっと祖母を見つめる父を離れて見ていました。この時は年に2回しか会わない祖父母という人達が、両親にとってどういう存在なのかを想像した事はないままにお葬式が終わり、大阪へと帰ってきました。その後から、何回忌という単語を耳にする様になりました。今から思うと、父は一度も泣いたりはしていませんでした。

私が父や母を亡くそうものなら絶え間なく泣き続ける事しか想像できません。泣く事もせずに静かに棺を見つめていた父を思い出すだけで、当時は分からなかった色々な気持ちや、父がじっと堪えていた何かが押し寄せてきて、私が泣いてしまうのです。

今でもふと、まだ高校生になる前に親元から離れて生活する事になった父と、父の両親に対する感情と、お葬式で泣く事もなく祖母を見つめていた父の気持ちを想像するだけで、とめどない何かが溢れてきます。幼い当時は全く想像できない何かでした。

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