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どうしたって後悔の残るこの人生だから。


最近この本を読んでいます。

「どうしても生きてる」朝井リョウ


本書の中で、こんなフレーズがあります。

「どこに向かって進んだって後ろめたさの残る歴史を歩み続ける以外に、この人生に選択肢はない」どうしても生きてるp108より


私たちは日常において、何か選択することを絶えず行っています。それは、「どこに住むか」「どの会社で働くか」「どの学校に通うか」というような分かりやすい大きなことから、「どのスーパーで買い物をするか」「ビールにするか、ハイボールにするか」「入浴剤は何のに香りにしようか」というようなごく些細なことも含まれます。


多くの場合、「選択肢A」を選ぶという行動を起こすことで「選択肢B」を同時に選ぶことは出来ません。

例えば、AさんとBさんというそれぞれ魅力的な異性が居たとしましょう。そして面白いことに「AさんとBさんと同時に付き合う」という事があったとしたとしましょう。この場合は「Aさん・Bさんと同時に付き合う」というCの選択肢を選んだのであって、Aさんだけと付き合うAの選択肢、Bさんだけと付き合うBの選択肢を同時に選択したわけではありません。つまり、自分が何かを選択し行動を起こした場合、選択をしなかった方「もし、Dを選んでいたら」という想像上の別パターンが存在してくるわけです。


あくまでも「想像上」であって、これらは自分自身が作り上げた完璧なフィクションです。作り話です。

けど、私たちはそのありもしない自分が作り上げた別の選択肢を物語状に仕立て上げ何度も自分の中で反芻します。そして、時に後悔し、抵抗し、のたうち回ってみたりしますね。

「あのときこうしていれば・・・!」

今日もどこかでこういう声が聞こえてきます。や、むしろ半径500mくらいにそんなことを考えている人が1、2人いそうです。(笑)


けど、それでも、私たちは毎日何かを選び続けなければなりません。そして、その選択が、良いのか悪いのか、よくわからないまま時は過ぎていきます。「こっちが正解でしたよ」と解答を確かめることが出来ないのです。

そして今現在の選択の意味が分かるのは、1年とか3年とか、もっと言うと10年とかそのくらい後になってからで、時差があるんですね。だから、今現在の自分の状況は過去の自分が選んだ選択肢で成り立ってる。

「あっちを選んでいれば」「こっちを選んでいれば」。いろんな考えが浮かんできますが、自分が選ぶ選択肢というのは様々な事情を含め、その時の自分なりの最善なのだと思うのです。どんなに後悔や反省を感じても、その時の自分には、それを選ぶことが精一杯であった、、とでも言いましょうか。

そして、選ばなかった方のことを考えてもそれはあくまで自分が作り上げた物語。自分で、自分を苦しめるって湿っぽい話です。

自分の今までの選択を、一先ず迎え入れちゃいましょう。少々の後悔もしながら。


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