いいのよずっとこのままふたりはジャストフィットなんだから

井上陽水は明日BBCでドラマになってても別に驚かない

はじめに 井上陽水五十周年によせて

井上陽水先生がデビューして五十周年らしい。僕は中学生からずっと井上陽水が好きなので、三十五年くらい井上陽水といっしょにいたことになるのだろうか。親と一緒に行ったカラオケ喫茶で僕が最初に歌った曲は「心もよう」なんだそうです。僕は記憶にないんですが、いきなりマイク握りしめて「さびしさのつれづれに~」と坊主頭の中学生が歌い始めたら僕なら我が子だろうと躊躇なく警察を呼ぶと思うのでうちの親は度量が大きい。

傘がない、氷の世界、など陽水のシュールな歌詞の世界についてはいろいろな人がいろいろな考察をしているので、今更僕ごときが言うようなことではないのですが、ボブディランと井上陽水は僕がロックを好きになったきっかけだと思うので、ちょっと語らせてもらいたいと思います。僕は国語の教師なので言葉にはマニアックにこだわってしまうので、そういうのダメな人はどうかご容赦ください。

父親の甘ったるさがどうにも殺意を呼ぶ 「断絶」

まず「断絶」(1972年)。井上陽水ファーストアルバムのタイトルチューンであり、デビューシングル「人生が二度あれば」のB面でもあります。僕このアルバムめちゃくちゃ好きで、特にジャケットの、学生服が階段を上ってくるのを上で見ているスタジャンの陽水、という構図がまさに「断絶」という言葉通りで最高です。

この曲、歌詞だけを眺めていると普通の歌なんですよね。恋人と公園でいちゃついてたら恋人の親父が来て

私の娘は嫁いり前です 近所でおかしな 噂が立ちます

と言って邪魔をするわけです。それだけの歌です。

しかし、この曲、通しで聞くともう気持ち悪いんですよ。
「断絶」は全編フォークロックの手法で作られていて、出だしのギターのカッティングからスタイリッシュな前奏から「夜中にデートしたァァ!」と陽水が叫ぶところは若さにまかせた勢いを感じます。尾崎豊みたい。

だけど、親父の台詞の部分だけ甘ったるいんです。キラキラしたピアノで、フレンチポップスか!とつっこみたくなるような甘いメロディで、後ろに美しいハーモニーまでついてきます。何度か聞くと、このハーモニーのところが、「そうだぞそうだぞ」と同調するように聞こえてくるから最高にイカレています(僕の心が)。

あわせて心情を吐露していく若者にはエフェクトを使って音をひずませ、だんだん壊れていく感じを表現しています。まさに「断絶」といういかついタイトルにふさわしい名曲だと思います。

桜の下ではみんなが狂気に陥る 「東へ西へ」

セカンドアルバム「陽水Ⅱセンチメンタル」の4曲目。まず出だしからイカレています。

昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういう訳だ

知るかよ!ってつっこみたくなりますね。当たり前じゃん。そんなの。

満月空に満月明日はいとしいあの娘に逢える

デート前日なんですね。そいつはまた。

目覚し時計は母親みたいで心がかよわず

出ましたよ。こういう比喩使ってくるから一瞬たりとも油断ができないわけです。「なんで起こしてくれなかったんだよう!」「何度も起こしたわよ!」みたいな会話が交わされるわけですね。機械と。

たよりの自分は睡眠不足でだから
ガンバレみんなガンバレ月は流れて東へ西へ

日本歌謡史上最も気合の入らない「ガンバレ」が流れます。みんなガンバレってなんだよ、おまえががんばれよ、って思うのですが、遅刻しそうなときって電車に「ガンバレガンバレ」って声援を送ってることないですか。僕はあります。

最後がまたいいですよね。

花見の駅で待ってる君にやっとの思いで逢えた
満開花は満開君はうれしさ余って気がふれる
空ではカラスが敗けないくらいによろこんでいるよ
とまどう僕にはなんにも出来ないだから
ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ

はい。
もう何というのでしょうか、救いがないですね。
空でカラスがはしゃいでるのがまた不気味です。

でも桜の花が満開の下では何が起こってもおかしくはないですね。花見の駅の桜の中で狂ったように踊る彼女と、茫然とする主人公の姿が目にうつります。

そういえば本木雅弘さんがこの曲をカバーしてそこそこ売れて紅白に出たんですが、こないだNHKの「プロフェッショナル」に出たとき映像が流れて、そのときの衣装がめちゃくちゃパンクで(尻出しルック、眉なし!)、そういや親父が怒ってたなあと思い出しました。でも、この衣装がラストの歌詞にすごくマッチしていた。母と見とれた記憶があります。

時には安部公房の小説のように 「御免」

1位を取った「氷の世界」の後に出たアルバム「二色の独楽」。僕はこのアルバムも大好きなんですが、「夕立」から「Happy Birthday」までの流れを、サイコパスの独白のような「ゼンマイじかけのカブト虫」でいったんぶった切って、パーカッションをフューチャーした素敵なイントロで始まるのがこの曲です。人気があったのか、1975年にシングルカットされています。これはもう歌詞を読んでほしい。

何にもないけど 水でもどうです
せっかく来たのに なんにもないので 御免

いつぞや手紙と 家族の写真
笑って見たけど 返事を出さなくて 御免

よく来てくれた僕の家に
ありがとう ありがとう ありがとう

あいにく家内は 里へ帰っていて
目玉焼きくらい 僕がつくりましょう 御免

重ねてテレビも 調子がおかしくて
そうですかあなた 野球が好きですか 御免

あなたも運の悪い人だ とにかく何にもないです

なんにもないけど 又来てくださいね
家内が帰れば 何とかしますから 御免

よく来てくれた僕の家に
ありがとう ありがとう ありがとう
                   「御免」(1975年)

安部公房の小説に出てくるような光景ですね。なんというか、わびしいを通り越して不条理です。多分他人とつきあうのが徹底的にへたくそというか、他人と話をすることすらできないのではないかという家の主人が、急な来客を歓待しようとするのですが、どう考えてもうまくいかない。なんにもないと水を出し(茶葉がないほど貧乏とも、茶の入れかたもわからない、という風にもどちらにも取れます)手紙を見て笑ってはみたものの返事は書けずすいません、と言わなくてもよい謝罪をし、目玉焼きくらい作りましょうと席を立つ。いたたまれなくなった客がテレビをつけたらテレビはつかない。帰る客に「家内が帰ればなんとかしますからまた来てください」と言う主人。まあ、もう来ねえよ。絶対。

僕が安部公房的、と言ったのは、自分のパーソナルスペースにいきなり侵入者が来た感がすごいわけです。なにか用があったのか、家族の写真を送るくらいだから親戚なのか友人なのかもわかりませんが、それが出現したことによるあたふたが、石をひっくり返した時に見える虫の動きのようにも見えます。少し漂う不快感は、「すいません」ではなくて「御免」と短く謝るセンテンスの切り方にも表れています。実に上手いです。

そもそも家内が帰ってくることはあるんですかね。
家の庭に埋まっていてもおかしくないですよねこれ。

絶望感が心地よく響く 「とまどうペリカン」

この歌、武田鉄矢が坂本竜馬を演じた映画の中で流れて、いや合うてへんがな、と思ったんですが奇妙な歌詞につられてCDを借りてきた記憶が。

あなたライオン たて髪ゆらし ほえるライオン おなかをすかせ
あなたライオン 闇におびえて 私はとまどう ペリカン

ライオンの対角におくのならばガゼルとかじゃないですかね。四文字だとシマウマかカモシカではないでしょうか。ペリカンではないと思います。ライオンはペリカン食べないでしょ。もう少し見てみましょうか。

夜のどこかに隠された
あなたの瞳がささやく
どうか今夜のゆく先を
教えておくれとささやく
私も今さみしい時だから
教えるのはすぐできる

アレですね。はい。アレです。エロいです。そういうことですね。若いふたりは何度もホテルはリバーサイドです。ドキドキしますね。

だけど、です。「あなた」が荒ぶりほえて「闇におびえ」るとき、「私」はとまどう「ペリカン」でしかないわけです。捕食すらしてもらえない。獅子の行方を知らせる鳥の役目しか与えてもらえない。

そう考えるとすごく切ないです。改めて聞くといい歌ですね。

でも坂本竜馬にはあわねえよなあ。

BBCあたりでドラマ化してほしい 「Just Fit」

井上陽水がジュリーに提供したこの曲。僕はジュリーのほうは全く記憶になくて、井上陽水が歌っているのしか聞いたことないですが。この曲が入ってる「ガイドのいない夜」(1992年)はいわゆるセルフカバーアルバムなのですが、アレンジがみんなかっこいいです。特にさっきの「東へ西へ」なんかも一気にダンサブルになっています。本木雅弘のカバーもこれが元になっている(と思います。いま手元に音源が見つからないので不確かですが)。僕が陽水を再び聴き始めるきっかけになりました。なかでも「Just Fit」は本当にかっこいい。

まずはここでしょう。

ステーションワゴンに俺は乗り込んで
夜の荒野をかけているところ

バックミラーはあとを見るかがみ
ヘッドライトは前を知るあかり

日本歌謡曲史上最も美しい対句表現が炸裂します。なんでしょうかこれは。当たり前のことをさも大事そうに歌って失笑を買うこともある歌詞ですが、これはかっこいい。

車を走らせていたら、女がタップダンスを踊っているわけです。
思わず見とれてしまうのですが、ここからまたしびれる歌詞が続きます。

パンクナイトに見とれているうちに
女は俺の横にすべり込み
スーツケースにはみ出した下着で
俺の視線の行く先調べた

こんな誘い方あります?もう完全に手玉に取られています。
Netflixとかで海外のドラマを見るとこういうシーンあったりしますよね。ハードボイルドな始まりです。

ですがこの後、この歌はたまらない展開を迎えます。

いろんな夜を 転がりつづけて
知らないうちに 知りすぎたけれど
今でも肌を 重ねあったまま
ステーションワゴンの 中で暮してる.

 Midnight Sexy  急カーブにUターン
女が俺にささやく
“いいのよ ずっとこのまま”
 “二人は ジャスト フィット なんだから”

見事な転落劇。何が起こったのかはわかりませんが、「知らないうちに知りすぎた」結果、荒野を走っていたはずのステーションワゴンは女と自堕落に暮らす家になり果てています。そして女が囁きます。

いいのよずっとこのまま、二人はジャストフィットなんだから。

小説でもこんな小説なかなか書けないと思うんですよね。短い歌詞にこれだけの情報量をつめこんで開示してみせる。天才の技です。

陽水の強みは、「理解できないのなら理解しなくてもいい」という姿勢にあると思います。ありきたりの比喩は使わず、直截的な表現はできるだけ避けて、でも直球を投げるべきところはしっかり直球で打ち取る。これを五十年続けてきたわけです。

最近の「女神」でも、タモリの番組の主題歌なのに、「テレビなど見てないで」と挑発してみせたりして、健在だな、と思わせるものがありました。きっと創作が続く限り、これからも背筋が寒くなるような、切れ味鋭い歌詞が見られるのだろうと思います。期待していたいと思います。

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