定型発達からの施し

ただの虚無記事です。

日本は少子高齢化になってから、
やっとマイノリティを大事にしようとし始めたが、
しかしよく見たら、焦点がずれていると分かる。

「マイノリティの教育」がうまく行っていない国は、
「教育全体」
がうまく行っていない。

さらに、
「教育全体」がうまく行っていない国は、
「国全体」
もうまく行っていない、
もしくは「破綻」しつつある。

この社会は官僚を始めとする多くの人々は、
「様々な人々が活躍できる仕組み」が作れない責任を
 マイノリティに転嫁している。

何故このようなことになっているかというと、
人間は人間である前に動物であるため、
動物は自分の本能・欲望に従って行動する。

つまり、
自分が優位になるよう立ち回ろうとする。

定型発達の人々の
自分たちが優位になるために作った制度は、
わざとでも、わざとじゃなくても、
マイノリティの活躍を阻害してしまう可能性が高い。

自分の特性に合う制度は、自分の実績に繋がり、
他人の特性に合わない制度は、自分の実績を美化する。


世の中に天才という言葉は存在している。

以前の記事にも書いてあるが、
人間は天才という言葉を使う場合は、
「他人を理解するつもりがない場合」である。

何故かというと、
他人を理解するつもりがあれば、
より具体的な表現ができるはず、
そして理解が進むにつれ表現はより具体的になっていく。

既に天才というキーワードはあらゆる場所に溢れており、天才を取り上げたコンテンツの視聴率や書籍等の売り上げもよく上位にランクインするため、この話は一般社会のイメージに反すると思われるかもしれない。

何故人間は天才を理解するつもりがないのか。
それは天才という言葉はバリアになって、
自分の「努力したくない心理」を正当化できるからである。

この天才現象はまた別の記事でお話する。


話に戻る。
近年、日本では発達障害がかなり話題になっている。
発達障害は問題かな?

発達障害の人々を障害と考えている人々は、
自分も特定のグループと比べれば、
障害レベルであることに気づいていないのか。

特定のグループは例えば、
・ギフテッドの能力を基準にすれば
・ギフテッドの目指している目標から必要な能力を逆算すれば
世の中の多くの人々は発達障害か知的障害レベルになる。

それを証明することもできるが、
証明されたとしても彼らは死ぬまで否認するだろう。

「見ない、見ない」
 と現実逃避したり、

「あの人は嫌なことを言うね。きっと嫌な人」
 と傷を舐め合い、集団心理に逃げ込んだりする。

こうやって、
可能な限り、責任を他人になすりつけていき、
「ポジティブ」に生きていくでしょう。

人間社会は数千年前から、
「自ら奴隷でいたい」問題はずっと存在している。

戦えば、失うものがある。
失敗したら、次がない可能性さえある。

逆に、
加害者からの施し賄賂を受け入れれば、
ギリギリ生きていられる。

マイノリティたちに貼られたレッテルは、
彼らの経済的な困難を暫定的に緩和するかもしれないが、
彼らの尊厳を守るどころか、損ねてしまう。

そもそもマイノリティの経済的な困難は、
定型発達の強欲さに起因したでしょう。

支援対象、
間違っていませんか?

今回の記事はここまで。
GWなのに、ネガティブ記事すみません。

お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻