おのれ、春
大学4年にさしかかる春休みは、就活をする時期だろうとシフトを勝手に遠慮され、結果暇な日が増えただけの(人生が)限界大学生でした。忙しくてヘロヘロで限界なんじゃなく、こんな怠惰で今後の人生どうすんの?っていう限界です。
振り返って何もないと、今の自分の存在が透けていく気がする。今の自分はこれまでの日々で作られているから、その日々が味気ないと結果自分の存在が曖昧になる。私にはなにもない。これからどこへ行くかなんて知らない。未来なんてないならないだけいい。
自分が嫌いすぎて好きになる気も起きない。自己肯定感が低いことを悩んだことがない。クソみたいな人生でいいから、自己肯定感が低くても問題ない。愛されるなんて思えないから、愛されたいと思わない。
私は小太りでニキビだらけの顔面の、中学生から変わってなさそうなリュックに靴に眼鏡で、電車のシートに前かがみで座りながら、挙動不審になって音ゲーに打ち込むDKの気持ちが、よく分かってしまう。
可愛くなったら愛される?とてもそうは思えない。
整形しようが、今後一生そのメンテナンスに追われ続けるのだと思うと息ができなくなる。今が完璧になっても、次の日は分からない。物を食べて体が変化して、顔が変わっていく。それに追いつこうと目前の誤差を直して、直して、結局完璧な形が崩れていく。なのに老化は止まらない。切れる部分や回数には限度があるのに、老化は心臓と一緒に自転する。それを公転している意識や行動は、いずれ追いつけなくなる。そのときにはもう完璧とも理想とも程遠い。
そんなの味わいたくないから、花火みたいに一瞬とっても美しく誇って死んでやろうと思う。14歳と17歳に死臭が漂うのと同じだ。刹那的で無鉄砲で、そこが人生の最大瞬間風速。
整形したインフルエンサーがすぐ死ぬのが分かる。借金を苦に自殺するように、自らの美意識を苦に自殺する。老化していく一途で、もう満たされることがないと分かるからだ。
幸せなのは美醜に執着しないこと。美しくありたいだなんて思わなければ、そのために努力なんてしなければ、その結果獲得さえできなければ、失われていくことに何も思わなかったのに。
最も美しい瞬間を愛されたら、もう老いていくだけの私は失望しか与えられない。今が華。今だけが華。華様年華のその後の話は誰も望んでない。
「愛して、愛さないで!」
私の盛りはとうに過ぎて、もう誰の、自分すらの期待もなく、ただ心臓が動いているから生きています。心臓が止まるなら死にます。夢も目標も希望もありません。ただ穴が開いていて、注いだそばから流れていって、そうしてできた川が私です。全ては一過性で核なんてものは存在しない。
「lainはlain。あたしはあたし」
どこにでも存在していて、誰の目にも見えないもの。
症状:自己陶酔、瘦身願望
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