見出し画像

わたしいきてる〜9歳脳出血からの生還

1  2016年7月29日金曜日

 私には9才の娘ぴーちゃんと彼女より三つ年下の息子がっちゃんがいる。ぴーちゃんは小学三年生。夏休みに入って一週間ほどがたった。今日は朝から暑くて暑くて、子どもじゃなくても水にずっと入っていたいと思うくらいだ。あまりの暑さにぴーちゃんも、
「ママ、プール行きたーい。」
と、朝から学校のプールに行きたがっている。しかしながら、午前とは思えないあまりの日差しの強さに、野外にある学校のプールにいくことには賛成したくなかった。私は、彼女の透けるような真っ白な皮膚を心配して言った。
「今日は暑すぎるから、屋根のあるプールに行こう。車で送っていくからさ。」
午前中は、私も仕事が入っているため、プールは午後から行くことにした。ぴーちゃんに部屋の片づけをしておくようにと伝え、私は仕事に向かった。
 数時間後仕事を終えた私は、プールの準備をし始めた。そして、お昼ご飯を食べて午後2時少し前頃、車にエンジンをかけ、玄関で出かける準備をし始めた時だった。
 
玄関から遠く離れた部屋から出かける準備をしているぴーちゃんの叫ぶ声が聞こえてきた。
「ママ!なんか手と足、しびれるんだけど!」
「え?しびれる?」
気のせいじゃないかと、私は、ぴーちゃんの話を受け流した。
その僅か数分後だった。
「ママ!やっぱりなんか変‼」
玄関にいた私のもとに駆け寄るなり、指につけていた数日前にお祭りで買った指輪を床に投げつけ、ぴーちゃんはその場に崩れた。
「ママ、足に力が入らない。立てない。」
この瞬間、ただ事ではない気がした私は、直感でぴーちゃんの細くて白い腕をさすりながら聞いた。
「これ、わかる?」
「わかんない……なにこれ、夢見てるみたいになってきた…。」
そう話すぴーちゃんを見て私の医学知識スイッチがオンになった。
『麻痺してる…しかも意識が朦朧…熱中症…?』
異常に暑い日だったこともあり、思い当たる一番身近な病気の可能性を疑った。私はぴーちゃんを玄関から抱き上げ、麦茶を飲ませてみる。ぴーちゃんは麦茶にむせた。呑み込めない。
『嚥下できない…。やばいな…』
そう思った瞬間、私はいつもあまり水分摂取をしないぴーちゃんをせめてしまっていた。
「なんでもっと水分とらなかったの!」
「…ごめんなさい…」
いつもは強気で自分の意見をしっかりはっきり口に出す反抗的なぴーちゃんが、私の目の前で弱く、弱くなっていくのが信じられない私と、これから自分が何をすべきかを考えている私がいた。ぴーちゃんとのやり取りをしている間に、ぴーちゃんの左手足がしびれてから三分ほど経っただろうか、私は一刻を争う緊急性を感じ無意識に叫んだ。
「救急車‼救急車呼んで‼」
 
 私の指示で119番してくれた家族が、救急隊員と話をしている。
「嫌だ!!救急車、乗らない‼」
ぴーちゃんが叫ぶ。意識朦朧の中で今まで感じたことのない恐怖におびえている様子で、訳もわからず救急車を拒んだ。でも、直感でこれはかなりヤバイ状況で、一刻を争うかもしれない…そう感じた私の口からは勝手に言葉が出てきた。
「命に関わるかもしれないんだよ!お願いだから乗って!」
私は精一杯真剣にぴーちゃんに伝えた。すると彼女はあきらめたのか、一瞬正気になったのか、私の懇願に応えた。
「わかった。乗る……救急車、、こわい?こわい?」
「大丈夫。ママも一緒に乗るから。」
 
「ママ、祈ってよ!ママ!私が助かるように祈ってよ‼祈ってよ‼」
私にすがるようにぴーちゃんは必死に叫んだ。
叫んだらもっと悪化するかもしれない…
私もまたそんな恐怖を感じていた。
「わかった。わかったから。
助かるから!絶対助かるから。もう叫ばないで。お願い。」
私は、叫ぶぴーちゃんを抱きしめて寝かせ、ぴーちゃんに上から覆いかぶさるように抱きしめながらなだめた。
  ぴーちゃんはどんどんどんどん、意識がなくなっていった。しゃべらなくなったぴーちゃんは、ただぐっすりと寝ているようにすら見える。私は、そんなぴーちゃんの横でなす術もなく、ただ救急車が来るのを待つしかなかった。待っていることしかできない時間は長く、切なく、そして残酷だ。
ふと、現実の私を冷静に見ているもう一人の自分の存在を感じた。そして、その自分が、待っていることしかできない私を冷静にしてくれていた。

二   はじめての救急車

  「救急車ってこんなに遅いのか?」
と思うくらいずいぶん長いこと待った気がした。三十分以上待っていると感じるほど長かった。時計を見ると、実際は10分とちょっとくらいの時間だった。
そして、救急車が来てからも、これがまた長かった。
到着したらすぐ運んで、救急車に乗せて病院に向かうものだと思っていたが、そうはいかないらしい。
救急隊が意識レベルを確認するために大きな声ではっきりとぴーちゃんの名前を呼ぶ。ぴーちゃんには、まだこっちの声が聞こえているようだった。
「ひらりちゃん、どこか痛いところあるかな?」
と話しかける救急隊員に、
「あ・た・ま・い・た・い…」
とぴーちゃんは歯を食いしばり、やっとのことで答える。ポニーテールに憧れて、頑張って伸ばして結っていたぴーちゃんの髪をほどく救急隊員。ぴーちゃんは、見たことのないしかめ面で、声を上げてものすごく痛がった。
救急隊員は次の確認をした。
「いぃーってできるかな?」
ぴーちゃんは《いぃー》とできた。がしかし、片側は全く動かなかった。腕も、足も、顔も片側が一切動かない。尋常ではないことがぴーちゃんの体に起きている…素人の私が見てもそれは明らかだった。
ある程度の確認が終わり、ようやく救急車で地域の総合病院へ向かった。そこには、ぴーちゃんを幼いころ診てくれていた小児科医の先生がいる。救急隊が医師と連絡を取って話している。
「頭かな…と」
病院の医師と話す救急隊の言葉に、私の『まさか』という思いと、『やっぱり』と思いが交錯した。
 ぴーちゃんは救急車の中で二度嘔吐した。9歳の女の子とはいえ、麻痺している体は重そうで、救急隊の二人では横にするのも大変そうだったので、私も手伝った。二度目はほとんど何も吐き出せなかった。嘔吐した後、ぴーちゃんは、もう全く動かなくなった。
 
 救急車は自宅から10分くらいで総合病院へ到着した。私は先に降りて待合室で待った。処置に時間がかかっているのだろうか、まったく呼ばれない。
 
 ようやく十分くらい経った頃、検査に行くために出てきたぴーちゃんには輸液ポンプがつけられていた。
『痙攣したのかな…』
医療ドラマで見たことのあるシーンをなぞり、そんなことを思った。ストレッチャーは、急いでレントゲン室へ向かっていった。幼いころから診てもらっている小児科医は私が見たことのない必死の様相だった。
『ただごとではなさそう…』
そう思った私は友人に電話で相談した。ぴーちゃんが大好きな私の友人、やっちゃんである。
やっちゃんは、突然のことにびっくりして、一瞬言葉を失った。私が状況を説明すると、
「脳かなぁ。でも、大丈夫。大丈夫よ。」
待っている時間が長くなるにつれジタバタしそうになっていた私は、やっちゃんのその言葉でずいぶんと冷静に、客観的になれた。友人やっちゃんの存在が本当にありがたかった。
 
 

三   ドクターヘリ

 ぴーちゃんが検査から戻ってきてすぐ、私は診察室に呼ばれた。画面にはぴーちゃんのレントゲン写真が写っている。
「ひらりちゃん、頭の中、出血しています。
その出血範囲が広いので、ここでは処置できません。今からドクターヘリで大学病院に運びます。亅
 ぴーちゃんを小さい頃から診てくれている小児科の先生は、撮った写真を見せながら説明をしてくれた。そのレントゲンに写し出されたぴーちゃんの脳は、その4~5分の1ほどが白い影で覆われていた。しかし、その写真を見ても、医学に素人の私は、ぴーちゃんが今どれほど重篤で、これから何をどう治療するのか、どれほど緊急なのかはわからない。ただ、急いで大学病院で処置しなければならないということだけは確かに理解できた。
 午後4時にドクターヘリが到着するとのことだった。私は家族に状況を報告して、荷物をスーツケースに入れて運んで来てくれるようにとお願いした。小さいころから私の子どもたちも、妹の子どもも、体が弱く、月一で入院生活を強いられていた我が家にとって、入院準備は手慣れたものである。家族全員が入院に必要なものを熟知しているので、とてもありがたい。
『入院になったから荷物持ってきて!』
だけですべて通じる。
しかしながら、せっかく持ってきて来てもらった小型のスーツケースは、ドクターヘリには乗せられないというで、家族に大学病院に車で運んで来てもらうことにした。
 その病院にはヘリポートがなく、再度救急車に乗り込み、救急車でヘリポートへ向かうというので、救急車に同乗する小児科のドクターにバトンタッチされた。偶然にもその同乗したドクターが私の出身高校の先輩だったことが、私を少し安心させた。
「ご家族や親戚に脳の病気になった人はいますか?」
病院の診察室で聞かれたことと全く同じことを救急車の中でも聞かれた。我が家には誰も脳の病気になった人はいないし、親戚にも思い当たる人はいない。
「うーん。いないと思います。」
私は答えた。私を気遣ってくれる話し方や彼女のやさしさが、私を逆に不安にさせる。私は共通の知り合いの話などをして、救急車の中の静かな空気をかき混ぜた。私は、緊急という状況の中で、変なテンションになりつつあった。
五分ほどして、救急車はヘリポートへ到着した。皮肉なことに、ヘリポートは一週間前にぴーちゃんと一緒に来た花火大会の会場だった。一週間で、同じ場所が自分達の状況でこんなにも変わるのだと屁理屈ぶって、私の脳は現実逃避し始めた。
 
      *      *     *
 
 午後4時ごろ、私たちがヘリポートに到着すると、ドクターヘリはすでに到着していた。ヘリポートには安全確保のためパトカーも来ていた。
ドクターヘリを見るなり、私の脳は緊張と不安をワクワクにすり替えた。私は、一生に一度乗れるか乗れないかわからない乗り物に乗ることへの興奮のようなものをおぼえた。人間の脳は危険を回避するためにいろんなことをするのだという。まさにそんな状況が私自身に起こった。写真を撮りたい衝動を私は理性で抑え込んだ。
救急車からドクターヘリに乗り換え、ここからはまたドクターヘリ管轄の秋田赤十字病院のドクターにバトンタッチされるそうだ。
 
「狭いので頭、気を付けてくださいね。」
操縦士さんにそう促され、ドクターヘリの中に乗り込んだ。ドクターヘリに入ってすぐ、その狭さと天井の低さに驚かされる。パイロットと背中合わせのシートに看護師、その隣にドクター、ドクターの前にストレッチャーに乗ったぴーちゃん、看護師の向かい、そしてストレッチャーの隣のシートが私の座席だった。出発前、シートベルトと、ヘッドホンを装着するように言われた。私はまるで、ドラマの中にいるような感覚に陥った。
「出発します。」
というパイロットの合図の後、ものすごい轟音が体中に響き渡った。ヘッドホンをしていなければいけない理由がよくわかる。出発して数分後、眼下に自宅が見えた。さっきぴーちゃんが倒れ、救急車に乗り込んだ自宅、ぴーちゃんが今朝まで元気に遊んでいた場所だ。あれからたったの数時間。自分がどこで何をしているのかわからない、ジェットコースターにでも乗っているような、何かに突き動かされているような不思議な感覚だった。気を抜くとどこかに飛んで行ってしまいそうで必死に足元を意識する。
ふと、視線を感じ、その方向に視線を向けると、ドクターが心配そうな、不思議そうな顔をして私を見ていた。私は、はっと現実に意識を戻し、ぴーちゃんを見た。眠っているぴーちゃん。何もできないもどかしさに私はまた外に目をやり、雄大な自然の中に元気なぴーちゃんを映し出した。
 
      *     *    *
           
はたから見たら、変なお母さんだったのかもしれない。娘を見ずに外を見て、泣くどころか、ドクターヘリにちょっと興奮したりして。涙はまだ一滴も出なかった。いや、出さなかった。
『もうここまで来たら私には眠っているぴーちゃんを見守ることしかできない』と、私はこの数時間で悟ったのだ。いくらぴーちゃんの母であっても、もうここからは医療にすべてを委ねるしかない。そこに関してはなぜか自分でもびっくりするほど冷静だった。私が泣いたってわめいたってぴーちゃんが意識を取り戻すわけではない。
 【ここからぴーちゃんを救えるのは医療だけ】
私は冷静にそう考えた。

『大丈夫ですよ。』
友人のやっちゃん以外は、誰も口にすることのなかったその言葉。
それは、私が強く持ち続けると決めた。
そして、ぴーちゃんが元気になって、またあの笑顔に会えるまで、私は絶対に泣かないと、濃緑の景色を眺めながら私は心に誓った。

     *      *     *
          
 大学病院へ車で移動したら一時間以上もかかるが、さすがはドクターヘリだ。出発してからたったの十五分で大学病院の駐車場の屋上に到着した。ドクターヘリから降りると、私たちを大学病院の脳外科の医師、看護師数名が待っていてくれていた。医師が挨拶をし、私も、よろしくお願いします。と答えると、その医師はそれ以上何も言わず白衣を翻し、ぴーちゃんを乗せたストレッチャーとともにエレベーターに乗り込んだ。
『私は乗れなそうね…次で行くか。』
ぴーちゃんを医療に託すと決めた私が、戻ってきたエレベーターで階下に降りようと思っていると、
「お母さん、どうぞ。」
とエレベーターに乗るように脳外科の医師に促された。このエレベータータイムが、私と元祖ぴーちゃんの最後のひとときになった。

四  緊急開頭手術

どれだけの時間が過ぎただろう。外は陽が沈み始めている。検査をするためにぴーちゃんの体重を聞かれてからは、看護師も医師もERの待合室には姿を見せることはない。
私は翌日以降の仕事をすべてキャンセルするために電話をやりとりしたり、メールをしたりというのが一通り終わると、急に暇になった。冷房の効いた何の変哲もない救急外来の待合室。手持ち無沙汰な時間は苦手だ。私はネガティブな感情が湧いてこないようにスマホを手に取り、ネットサーフィンをし始めた。
 
      *                 *                  *
 
「三階へお願いします。」
ネットサーフィンをしてどれくらいの時間が経っただろうか。
看護師が私に声をかけた。
『やっと移動できる!』
私は目に見えて何も変わらない状況がようやくちょっと動いたことで、少し呼吸が楽になった。看護師に案内されたのは、3階手術室の近くの相談室だった。
そこには、一人の眼鏡をかけた医師が座っていた。彼は、ドクターヘリを降りたときにいた医師ではなかった。その医師に促され、私は椅子に座った。
『出血部位を詳しく確認したいので、カテーテル検査(=脳血管造影検査のこと。太ももの付け根の動脈から細い管(カテーテル)を血管の中に入れて脳の血管に造影剤を注入し、ⅹ線で撮影する検査で、血管の詳しい様子がわかる)をしたい。』
その検査をするにあたって母である私のサインが必要とのことだった。
 私の頭の中は『???』で満たされた。
『こんなに時間が経っているのにまた検査?ぴーちゃんは何か処置されているのか。』
『脳内の出血はまだ続いているのか。』
『手術はいったいいつになったらするのか。』
この三つの疑問が湧いた。
私は何かにつけて『知りたい!』に駆られ、疑問を抱き、調べ、解決することが趣味のような、好奇心旺盛な人間で、時に人を困らせてしまうことがある。
「手術はまだできないんですか?」
知りたがりの私は、医師の話を一通り聞いてから尋ねた。
「出血部位をしっかりと特定できないと逆に危険なので、検査が先になります。」
と、その医師は丁寧に教えてくれた。
そこで私は、二つ目の疑問をぶつけた。
「まだ出血してるんですか?」
「いえ、今はもう止まっています。」
ここまで聞くと、手術に一刻も早く入ってほしいと判断した私は、そうなんですね。わかりましたと答え、サインをするためにペンをとった。
『滞りなく早く手術してほしいから、手術を終えるまでは質問を最低限にしよう。』
とサインをしながら私は思った。
 このカテーテル検査は、全身麻酔下で行われるので、この時点でぴーちゃんはもう人工呼吸器を装着していると説明を受けた。
 
      *                 *                *
 
  ぴーちゃんのカテーテル検査が終わったころには、もうすでに午後7時を回っていた。麻酔科医が書類を持って説明に来た。テンションと身長が高めの風変わりな麻酔科医だ。話し方がヒップホッパーのように軽く、外国人のようなノリの良い医師のペースに翻弄され、私の心も少し軽くなった。
そのあと、またも違う医師に呼ばれた。エレベーターに迎えに来てくれた脳外科の先生だ。その先生はぴーちゃんの症状と手術の説明をし始めた。
 その先生は丁寧に図を描きながら説明してくれた。
「こどもが脳出血を起こすというときに疑う病気があるんです。それが『脳動静脈奇形』という先天性の病気です。通常であれば脳動脈→毛細血管→脳静脈とつながっているはずの血管が、動脈と静脈が直接つながり複雑に絡み合ってしまっていて、そこが破裂を起こし、脳出血を起こした可能性が高いと思われます。」
説明は理解できた。
「暑かったからでしょうか?」
何かしら理由があるのかと思い、私は尋ねたが、原因はわからない、とのことだった。
原因があればそれを後悔するのが人間であり、原因が変われば現実が変わる、そう思う人が多いからなのか、先生は私の質問をうまくかわした。
「出血で脳が押され、脳圧があがり、脳梗塞も起こしている状態ですので、頭の骨を外して脳圧を下げるために開頭手術をします。」
と説明を受けた。
「手術中に急に輸血が必要になる場合がありますので、了承いただけたらこちらの同意書にもサインをお願いします。」
そう言われ、二枚の同意書にサインをした。
 医師というのは大変ね…ぴーちゃんが将来の夢と掲げていたから、医師という職業には興味があった。外科医とはいえ、手術ばかりしているわけじゃないんだなぁ。学会や論文と違って、家族である一般の人たちに理解してもらえるような説明と、相手がパニックをもたらさないような配慮をした上で、なおかつ、リスクの説明も必須なのだ。これは医師自身を守るために必要なのだろうと考えられるが、このリスクの説明が、患者と家族の恐怖心をあおることもあることもまた、事実だ。私はぴーちゃんの手術の説明を聞きながらそんなことを考えていたので、恐怖心も、涙もなかった。
でも、私がここまで一度も泣かなかったのは、決して私が強いからではない。医師たちが話すことを理解するため、そして、現実についていくための必要な医学への知識欲が、恐怖心や悲しみよりも勝っていたからだと思う。要はオタクなのだ。さらに、泣くことで手術してくれる医師たちの精神的な負担になり、それが手術の成功の邪魔になると思ったので、私が涙を見せることは絶対に避けたかった。
 
【この先生は信頼できる人だ】と私は話を聞く時間が長くなるにつれて数時間前の自分の直感を確信した。
私は質問を最小限に抑え、手術や輸血の同意書にサインしながら、心の中で強くつぶやいた。
【先生を信じてお任せします。】
私のサインした同意書を手に、脳外科の先生は手術へ向かった。午後10時ごろ、私の母が手術の待合室に到着した。私は一人で抱えていたものを分かち合えて、心の荷が軽くなった気がした。私が、二人の子どもの母であると同時に、私にも母がいてくれることに心から感謝した。
【お母さん、ありがとう。】
 
この時の私のブログにはこう書かれている。
【5時間の手術に耐えてますよ。大丈夫‼
 私はいつもあなたの味方だよ。
 大丈夫…
 私の母が援護に来てくれました☆☆☆
 誰もいないと泣きたくなるから
 誰かいてほしいわ…】

五  いのちの瀬戸際

 ぴーちゃんの手術が終わったころにはもう夜が明けようとしていた。脳外科の先生からの説明によると、『脳動静脈奇形であろう部位を拾ったので、おそらく脳動静脈奇形の破裂による出血ではないかと思われる。でも、出血が多く、その原因の部位まではたどり着けなかった。』ということだった。

 私と母は、話をしながらいつしか眠ってしまっていた。私達が起きた時にはもう昼をすぎていた。母は一度家に帰るといって、帰宅した。私はその日1日、何をしたか覚えていない。ただコーヒーをやたらと飲み、いろんな人や仕事上連絡が必要な人に連絡をして、心配してくれてるブログの読者さんへ返信し、ブログを更新して、あっという間に1日が過ぎた気がする。寝て起きたらまた朝になるな…そう思いながら、夢を見ているようで、物語の中にいるような入院2日目だった。
 
      *               *               *
 
 7月31日日曜日。朝が来た。時計を見るともうすぐ午前9時。何事もなく入院3日目になった。このまま山を越えられれば…と期待する。
 今日は日曜日。家族で仲良くしている私の幼馴染の親友にぴーちゃんのことをメールしたところ、電話がかかってきた。私が電話に出るなり、
「ゆかちゃーーーん」
彼女は泣いている。私が、今までの経緯と、手術は無事に終わって今ICUにいるということ彼女に伝えていると、コンコンコンとドアをノックする音がした。返事をせずにいると、ドアが開いた。ドアを開けたのは男性の看護師だった。
私は友人に
「看護師さん来たからまたね。」
と電話を切り、その男性看護師に顔を向けた。
「ちょっといいですか。先生からお話があるということなので、相談室に来てください。」
とその男性看護師は私に伝え、ドアを閉めた。
 なんだろう?と思いながら靴を履き、部屋の外へ出ると、すぐ近くの相談室へ案内された。
 そこには昨日の手術で執刀してくれた先生が座っていた。どうも昨日と違う表情、オーラ、なんだろう?と思っていると、先生が説明をし始めた。
「昨日は容態も落ち着いたのですが、今日の朝見ると、左の瞳孔も開いていまして…
CTを撮ったところ、また脳浮腫があり、脳幹と左の脳も押しており、脳ヘルニアを起こしています。このままですと、命に関わり、大変危険な状態です。正直、今からやっても間に合うかどうかという……
もう、今、手術に行く準備をしています。お母さんの同意のサインをお願いします。」
そう話す先生の顔色、声のトーン、話し方。同意書には急いで書かれたと思われる
『処置をしなければ命の危険』の文字。
すべてが、今の状況がどれだけ重篤で緊急で、急がなくてはいけないのかが手に取るようにわかった。
【先生!こんなところにいないで早く手術してください!!!!】
心の中でそう叫びながら、私は素早くサインをして、同意書を先生に渡した。
 廊下で待っているとぴーちゃんがICUから出てきた。得も言われぬ空気感の中で、人工呼吸器につながれたぴーちゃんは体に似合わない大きく深いいびきをしていた。そのいびきを聞いて、これは本当にとんでもない状況なのかもしれない…と思った。
 
「ぴーちゃん!がんばって!!」
口から言葉が飛び出した。その言葉だけで精いっぱいだった。【頑張って】という言葉が嫌いな私からこの言葉が出たことに自分で驚いた。最後の最後まであきらめずに頑張ってほしい!絶対に戻ってきてほしい!もう一度目を開けたぴーちゃんの元気な笑顔が見たい!その思いが『ぴーちゃん!!頑張って!』という言葉になって口から飛び出たのだろう。
 
あっという間にぴーちゃんが乗っていたストレッチャーが見えなくなった。
【私はぴーちゃんと医療を信じる。
大丈夫!だって、ぴーちゃんだもの。
この子の人生はここで終わらない。ここで終わるように生まれてきていない】
なぜかそう思えた。そして、そう思い込んで現実を引き寄せようという意識が働いた。とにかく何度も自分に言い聞かせた。
手術室に入るまでバタバタで、私は母に連絡をしていなかったことに気づき、母に電話をするためスマホを手に取った。時刻は午前9時30分だった。 

#創作大賞2024 #エッセイ部門 #闘病記



 
 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?