見出し画像

「先生的」な私と、「親的」な私

「●●的」の使い方・・・笑


「先生」とひとくちに言っても色々あるんですけれど
ここでは学校や保育園や幼稚園に、こども園など、いわゆる教育や保育の現場にいる「先生」という設定で書いていきます。


先生・・・主に「勉強」「社会のルール」を教える、「仕事」として教育に携わる
親 ・・・愛と受容の精神で生涯を通じて子に関わり続ける、人生や生活そのもの

すっごくざっくりだけど、あえてこんなふうに「定義づけて」みたとき、

やっぱり
親の役割と先生の役割ってそれぞれあるし、両者は互いに違う性質のものです。

こどもにとって「先生」は家庭を出た先で、勉強やルールを教えてくれる存在で、
「親」は家庭で生活そのものを支えながらさまざまなことを伝え、導いてくれる存在、受容してくれる存在。

「先生」と「親」

それぞれ別個の存在ではあるんだけれど、

でも、私という一人の人間の中にも「先生モードな」「先生的な」私と
「親モードな」「親的な」私がきっといるよな〜と思っていて、

結局のところ、そのバランス取りなんだろうなと思います。

個人的な主観ですが、

私が思う「先生的なスキルが高い人、先生的な関わりが上手い人」は、
全体をざっと捉える俯瞰力があって、クラス運営力があるというか。
一人一人をよく見ていて、理解していて、役割を与えたりするのも上手いとか、そういう人をイメージします。授業や行事などの企画的な取り組みの中で「育成」することに長けている、そんなイメージです。


対して、「親的なスキルが高い人、親的な関わりが上手い人」は、
包容力・受容力があって、傾聴スキルが高い人。
個に関わるのが上手で、日常生活の中でコツコツと習慣づくりや「醸成」することに長けている人。そんなイメージです。


どっちがいいとか悪いとかではなく、ほんと、どっちも人を育てる上で、むちゃくちゃ重要なスキルだと思うんだよね。。。

で、私は、自覚しているんだけれど、
「先生的なスキル」はさほど高くなくて、
 
どっちかというと、「親的スキル」が後伸びしてる(と信じておこう。(笑))タイプだと自負しています。

その証拠として、

先生的スキルが高い人が親になると一度はぶつかるであろう、

「仕事と我が子の子育て全然ちがう‥」問題。

私にはそれが一切起きなかったのです。

それくらい、「先生的なスキル」低いんだと思います🤣

20代の頃は、わいわい授業やったりするの嫌いじゃなくて、むしろなんかこう‥仕掛け?みたいなのを考えたりすることに楽しさややりがいを見出していたのですが、
そんな私はどこいった?というぐらいに

40歳が近くなった今は、少人数でゆったりワークをやったりするスタイルのほうが好きというか
いや、なんなら授業を組み立てるあの感覚は
億劫ですらあり、おしゃべりスタイルのほうが
なんだかしっくりくる感じになってしまいました。(笑)

これもきっと、子育てをするようになったことで、新たに芽生えた世界観なのかもしれなくて、

だから、私の転職・退職って、ほんと、意の赴くままの、本能的な、自然な選択だったんだろうな、と思います。

「この道一筋!
教職人生○十年!」

とかいうのも
なんだか誠実で
かっこいいんですけど、

ふわふわと、スタイルを変えながら
自分らしさを探求しながら
人育てを生業とする、というのか
子育て・個育て・己育てに
向き合う、というのかな

私はそっちを選んだ人なんだな、と
今あらためて、書きながら気づきました。

‥という感じで、今や
「先生的モードな」私は
今やすっかり影を潜めてます、的なお話をしたんだけれど

でもやっぱり何度聴いてもしびれちゃう

大好きな言葉に

教師は五者である

という言葉があります。

易者・役者・医者・芸者・学者の5者なんだけれど。

詳しくは調べてみてほしい〜✨


あとは、
ウィリアム・アーサー・ワード(William Arthur ward)さんの格言。

凡庸な教師はただしゃべる。
よい教師は説明する。
すぐれた教師は自らやってみせる。
そして、偉大な教師は心に火をつける。

なんだろ、
うーん✨
やっぱり教職って
尊いな〜深いな〜楽しいな〜って
思い出させてくれる言葉なんだよね❤️


で、
「親」というと
やはりこれ。カトリックの有名な祈りの御言葉。

神様
もっと よい私にしてください。
子どものいうことを よく聞いてやり
心の疑問に 親切に答え
子どもを よく理解する私にしてください。

理由なく 子どもの心を傷つけることのないようにお助けください。

子どもの失敗を 笑ったり 怒ったりせず
子どもの小さい間違いには目を閉じて
良いところを見させてください。

良いところを 心から褒めてやり
伸ばしてやることができますように。

大人の判断や習慣で
子どもを しばることのないように

子どもが自分で判断し
自分で正しく行動していけるよう
導く知恵をお与えください。

感情的に叱るのではなく
正しく注意してやれますように。

道理にかなった希望は 
できるかぎりかなえてやり
彼らのためにならないことは
やめさせることができますように。

どうぞ意地悪な気持ちを取り去ってください。

不平を言わないよう助けてください。

こちらが間違った時には
きちんとあやまる勇気を与えてください。

いつも穏やかな広い心を お与えください。

子どもといっしょに 成長させてください。

子どもが 心から私を尊敬し
慕うことができるよう
子どもの愛と信頼にふさわしい者としてください。

子どもも私も 神様によって生かされ
愛されていることを知り
他の人々の祝福となることが できますように。

なーんか、、何度きいても沁み渡るんだよね〜。。

きっと、
我が子がもっと成長し、
思春期を迎えたときなんかに読み返したら
また違う気持ちになったりもするんだろうけと😁

タラタラととりとめなく書いてしまいましたが‥

「親としての関わり」「親的な関わり」って、
一生涯を通じて、
生活そのもの、
人生そのもの、なんだよね。

先生というお仕事は
あくまで仕事。部分的です。

でも、親は違う。

親になった瞬間に
ひとりの子どもにずーっと関わり続ける道が用意される。

責任重大で、特別で、
尊いなぁ‥と思う。

そんなの重たくてつらい、と感じる人も、いっぱいいるかもしれないけれど。

でも、
みんな誰かの子どもなんだよね。
親がいて、私がいる。

毒親とか、親ガチャ、とか
ちょっとドキッとチクッと痛む言葉も世の中にはあるんだけれど。。

私に「親」として生きる道が用意されたことは
とても愛おしくて尊い。

「親的に」生きることを、全力で味わい尽くしたいな〜と思っています✨

いただいたサポートは、このnoteのおよび、私が代表をつとめる地域団体「食と農の学び舎BASE」の運営に充てさせていただきます♩