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【コントみたいな本当の話】1995年新入社員だった私の話

1. 1995年に新入社員だった私

浪人と留学を1年ずつ経験して就職活動をしていた私はちょーちょーちょー氷河期でござんした!
歳もバレバレの助ですね。
今でいうエントリーシートがはがきだったので、はがきを手書きで400枚は書いた記憶があります。

その中で面接に進めたのが3社。内2社で内定をもらったのでした。
あらゆる業種、職種にエントリーしたにもかかわらず、どちらもOAインストラクターという肩書でしたので、これは神のおぼしめしだと思いました。

あっ、ちなみに大学は京都の佛教大学で、落語の祖である安楽庵策傳和尚(あんらくあんさくでんおしょう)の伝記を英語で論じたので、仏様のおぼしめしに訂正させていただきます。
落語って元はちょいと難しい説教をダジャレを交えてわかりやすく話をしたことが発端でして、策傳和尚は、平林さんのお名前をタイラバヤシかヒラリンかみたいなことをおっしゃって、檀家さんの心をつかんでおられたようです。

話がそれました。
2社をcompareして、諸々の条件がよさそうな1社に絞り込みました。
注)Englandに留学していましたので、ちょいちょいと英単語がルー大柴さん的に出てきますが、お許しを!

2.やっと入社した会社でしたが・・・

社名ももちろん伏せますし、当時は時代がそういう時代だったので、勉強になりましたし、今の講師を生業とさせていただいているはじめの一歩ですので、とても感謝しています。

その前提のもとお話をしますと、Windows95発売年でしたので、日本全国でデモンストレーションやインストラクションをする機会が多くてまさしく飛び回っていました。
一番多かったのは東京で、大阪が本社でしたので泊りになることもしばしばでした。

東京での泊りは社宅でした。
PCが1台か2台あって新人の私たちは練習をするのですが、〇〇さんがずっと練習しててうるさかったとかを先輩が上司に密告されるわけです。
門限が22時だったこともあって、同期で飲み会をしてて門限に1分でも遅れると始末書を書かされて本社の入り口に貼りだされる+賞与減額という、今では考えられないようなことが普通にありました。

そんな環境の中、限られた時間でものすごく勉強と練習をしたので、かなりデモンストレーション&インストラクションskillは鍛えられたと思っています!

3.唯一の楽しみは同期と一緒の仕事

唯一といってもいいぐらいのオアシス(バンドじゃなくて憩いという意味ですよ)は、同期と大きな会場でデモンストレーションをしに行く時の行き帰りはお話をしたり、食事をしたりしてとっても楽しかったんですよね!
同期は10名いましたが、先輩も含めて、上司がメンバーを決めるので毎回違う方々と話ができるのも楽しかったです。

4.そんなある日の出来事

同期の中で背が高くてがっちり体形の男性が2名いて、私は背は低いですが、ぽっちゃり(今よりは30kgは細かったのですが・・・)だったんですね。
ある日、千葉の有名な大きな会場でのデモのためにとある有名IT企業のポロシャツを着て、ぽっちゃり3名組が一緒に歩いていたんです。

すると全く知らない人が声をかけてくださいました。
声かけ主さん「今日って柔道の大会があるんですか?
私「いいえ・・・ITのイベントです・・・
声かけ主さん「(気まずそうに)あっ、そうですか・・・(立ち去られる)」

*約30年前の出来事を昨日のことのように覚えていてくれた同期のYさん、ありがとうございます!
こんな感じでしたよね?(笑)


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